恋するマリオネット
(98)

「……萌歌!」
 一気に色とりどりの花々が咲く庭園を駆け抜けようとした時だった。
 ふいに、萌歌の腕がぐっと握られた。
 それは、力まかせにつかみ、容赦なく萌歌の足をとめさせる。
 勢いあまって、萌歌は後ろへ倒れそうになる。
 だけど、あたたかくて大きいそこへぼすんとたおれこみ、やはり力まかせに抱きすくめられた。
「萌歌、君は本当にそれでいいの!?」
 萌歌をつかまえる人物が、萌歌の耳元で乱暴に怒鳴る。
 それに顔をゆがめる余裕すら、今の萌歌にはもうない。
 ただ、抗うこともできず、その腕に抱かれつづける。
 顔など見なくても、今萌歌を責め立てるこの人が誰だかわかる。
 無関心なふりをして、本当はずっと見守ってくれていた人。……ライヒ。
「だって、だって……こうするほかないじゃない。これ以上、フィガロットが馬鹿にされるのが、貶められるのが嫌なのよ。これ以上、フィガロットの立場を悪くさせるなんて、これ以上、フィガロットを苦しめることなんて、わたしにはできない……」
 そう一気にはきだし、萌歌はずるずると力なくくずおれていく。
 ライヒはどこか呆然とした様子で、それをとめることができなかった。支えることができなかった。
 萌歌の望むまま、腕を解き放ち、くずおれさせていく。
 悲しげに土の上に座り込んだ萌歌を、ライヒは苦しげに見下ろす。
 一瞬でも気を抜けば、その目から何かがあふれそうに、悲痛に顔をゆがませている。
 今の萌歌は、うちひしがれ、果てのない悲しみに嘆き、見るに耐えない。
「萌歌……」
 ライヒはすっと腰をおろし、萌歌を後ろから優しく抱きしめる。
 すると、萌歌はびくりと体をふるわせ、だけどすぐに、ライヒの腕に身をゆだねるようにすっと顔を寄せた。
 こてんと、そこに頭をおく。
「本当は、フィガロットとずっと一緒にいたかったの……」
 ぽつりと、萌歌がつぶやいた。
 それは、萌歌の心からの叫び。願い。
 萌歌の本当の望み――。
「うん、そうだね……」
 泣きじゃくる萌歌の頭に、ライヒは自らの頭をこつんと打ちつける。
 ライヒには、もうこれ以上何も言うことができなかった。
 フィガロットの気持ちもわかるけれど、萌歌の気持ちもこんなにわかってしまうから。
 痛いほど、その思いが、直接胸へ訴えてくる。
 苦しみを、悲しみをわけあうように耐えあう二人のまわりに、ひらひらと、七色蝶が集まってきた。
 このようなことになっても、七色蝶はまだ萌歌を好きでいてくれるらしい。なぐさめてくれるらしい。


 いろとりどりの花々が広がるその庭を見下ろす、白い建物の上。
 ここに、フィガロットは四ヶ月ほど前にも立っていた。
 そこから、やる気なく、馬鹿みたいにうかれる観光客を、一般人を見下ろし、悪態をついていた。
 だけど今は、その手にあの時あった双眼鏡はない。
 だってもう、フィガロットはそのような気にはなれないから。
 悪態をつく気持ちになれない。そのような余裕なんてない。
 ――いや、むしろ、もうどうにでもなればいい。
 何がどうなろうと、もうフィガロットには関係ない。
 なによりも欲したそれは、もう手に入らないのだから。
 それが手に入らないなら、何がどうなろうとどうでもいい。
 あの後、萌歌が自ら身をひいたことをいいことに、重臣たちによって、気づいた時には強引に事がすすめられていた。
 萌歌を失い、自らも失ったようなフィガロットに、ランバートももう何もすることができなかった。
 フィガロットさえその気でいるならば、ランバートも何かしら悪あがきをしようものだけれど……。
 当の本人がこれでは、何をしてもやるせなくなるだけ。意味のないものになる。
 憎らしいくらいに晴れ渡った青い青い空をぼんやり見つめるフィガロットを横目に、ランバートはふうっと吐息をもらす。
 足元には、これから再度執り行うことになった儀式のための文様が描かれている。
 その不思議な円の中に、本来なら、四ヶ月前、運命の乙女と呼ばれる女性が召喚されるはずだった。
 ならば、これからしようとしていることは、本来あるべきかたちを取り戻すことになるのだろうか?
 ……そうではない。このようなフィガロットが、本来の姿なんて……。
 やはり、誰かを犠牲にした平和など、本当の平和ではない。
 ただのまやかしにすぎない。
「どうせ俺は、操り人形だから……」
 それは、ここへつれられてくる少し前に、フィガロットの口からぽろりと出た、小さな叫び。嘆き。
 それがランバートの頭の中をぐるぐるまわり、出ていかない。
 そう言わせてしまうこの国の汚い人々が、何よりも、そこまでフィガロットを追い込んだ萌歌が、……憎い。
 ――いや、萌歌を恨むことなど、フィガロットは望んでいないだろう。
 ならば、ランバートも恨めない。
 萌歌もまた、苦しんでいることがわかるから。
 彼女は、フィガロットのために身をひいたとわかるから。
 一体、その思い、いかばかりだったか……。
 やはり、その元凶となっているあの神が、この国の神が、憎い。
 この世から消してしまいたいほどに、憎い。
 円陣のすぐ横に力なく座り込むフィガロットへ、ランバートは歩み寄る。
「……フィガロットさま、本当によろしいのですか? お望みならば、また……」
「かまわん。しきたり通りに儀式を行え」
 ランバートがためらいがちに話しかけると、フィガロットは不思議と力強くそう答えた。
 そのようなことは、あるはずがないのに。
 この期に及んで、この悲しい王子は強がってみせる。王子であることを貫き通す。
 なんと愚かしい王子なのだろうか。
 ランバートに、強がる必要など、王子を演じる必要などないのに。
 その思い、幼い頃より分かち合ってきた仲なのに。
 あまりにも、よそよそしすぎるではないか。
 いや、そうではなくて、フィガロットは――。
 ランバートは、フィガロットのその言葉に、何も返せなかった。
 ぎゅっと拳をつくり、震わせる。
 フィガロットのその姿は、すべてを投げ出してしまったよう。
 自らの意志さえも。命さえも。
「……わたしにはもう、望むものは何もない。望めない……」
 さあと、なまぬるい風が吹き抜けていく。
 眼下に広がる花々にも、平等に風が吹いている。
 それが、フィガロットが抱く本音なのだろう。
 たしかに、萌歌が自ら身をひいた今となっては、フィガロットには何も望むことはできないだろう。
 そのような気力などないだろう。
 萌歌に迷惑だと、大嫌いだと言われた時の、あの言いようのないフィガロットの顔を見れば……。
 また、萌歌はそう仕向けていた。
「フィガロットさま……」
 悲しげに、ランバートはその名をつぶやく。
 そして、くるりと身を翻し、円の中心へゆっくり歩いていく。
 青く晴れ渡った空へすっと向けたランバートのその目は、どことなく不敵に笑んでいるようだった。
 まるで、予定通りというように。


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update:09/03/18