恋するマリオネット
(100)

 青く晴れ渡り、入道雲が我が物顔で空を占拠するその下。
 白亜の建物の上で、こっそりとそれは行われている。
 周知のことで、けれど、その実態を知るのはごく一握り。
 ……いや、今は城中がそのことを知っているだろう。
 誰一人もれることなく。
 ここのところのあの騒動は、それを知らせるには十分すぎた。
 円の中央に立ったランバートが、その外になげやりに座り込むフィガロットへちらりと視線を流す。
 やはり、フィガロットは相変わらず、ぼんやり空を眺めている。
「……フィガロットさまが乗り越えてくださるのなら、それでいいのですよ」
 フィガロットの様子を確認すると、ランバートはどこか意味のわからない、そのようなことをつぶやく。
 それから、四ヶ月ほど前に口にして途中でやめてしまった奇天烈な言葉を、再びその唇にのせるため口をひらいていく。
 不気味な方陣のようなものが描かれた他何もない床へ向かい、妙に真剣に、普通ではないことを口にしていく。
 変わらず、円の外では、フィガロットがぼんやりと、ゆったり流れる雲を追いかけている。
「我は願い奉る。王となるこの男の生涯の伴侶になるべき娘を、今すぐこの場に召喚されたし。この国の全てのものを加護するために。この男とその伴侶を捧げよう。我が母神、ヴィーデ。主が望む乙女を、この場へ――!」
 そう空へ向かってランバートが告げると同時に、見渡す限りの空がかっと光った。
 ぼんやり空を見上げていたフィガロットも、その光にまぶしそうに目をほそめ、ぎゅっととじる。
 一瞬の光だったから、すぐにまぶたをあけることもできたけれど、フィガロットは何故かそうする気にはなれなかった。
 このままずっと何も見たくないと、拒絶するように。
 すうっと、心の全てが、意識の深く深く、奥深くへと沈んでいく。
 もう、何もいらない。受け入れられない。
 その時だった。
「フィガロットさま! 見てください……っ!」
 慌てたようなランバートの叫び声がした。
 思わず、引き戻されるように、心が戻ってしまった。
 ――残念。失敗した。
 心を殺さないと、今現れたであろう運命の乙女≠受け入れられないような気がフィガロットはしたのに。
 ……いや、どちらにしても、受け入れられるはずがない。
 フィガロットのすべてをかけて愛しいと思うその女性でない限り。萌歌でない限り。
 しかし、意識の向こう側で、ランバートはしつこく何かを必死に叫んでいる。
 仕方がない。ここはあきらめて、目を開かねばならないだろう。
 ……嫌だけれど。見たくなどないけれど。だけど……それが、フィガロットに与えられた義務だから。
 この国の王子として生まれてしまった、フィガロットの運命≠セから。
 愛したその女性と結ばれない。そのような運命――。
 やる気なく、面倒くさそうに、ランバートの声にこたえ、フィガロットはゆっくり目を開け、いまだ淡く光るそこへ視線を向けていく。
 瞬間、フィガロットは我が目を疑うことになる。
 あまりの驚きに、床についていた手がずるりとずり落ちる。
 慌てて体勢を立て直し、もう一度、よくよくそこを見つめる。
 同時に、フィガロットは確信する。
 その淡い光は、まるで七色蝶がまわりを舞っているような光に包まれたその女性は、フィガロットの目に飛び込んできた女性は、この世で最も大切で愛しい女性だと――。
 錯覚などではない。
 求めすぎるあまり、フィガロットの心が見せた幻でもない。
 その女性のまわりを、幸福の象徴、七色蝶が数多楽しげに舞っている。
 ふわりと、床につま先をつけるように舞うその女性を、フィガロットはこれ以上ないというほど目を見開き見つめる。
 そして、次の瞬間には、すべてを理解し、納得したようにこくんとうなずいていた。
 くすりと、自然笑いがこぼれる。
 結局、こういうことだったのかと。
 はじめから、運命の相手を、フィガロットは選べていた。
 自分の意志で。
 ……いや、そうではない。
 これはきっと、運命≠ノ打ち勝った瞬間だろう。
 定められていた運命≠、自らの力で切り開いた瞬間だろう。
 果たして、今ここに現れた女性は、はじめから本当にそう≠セったのかは、今となっては永遠にわからない謎のまま。
 だけど、それでもかまわない。
 今目の前にあるこの真実があるならば。
 腰を抜かしたように座っていたそこからすっと立ち上がり、フィガロットはゆっくりと円の中心へ向かい歩いていく。
 そして、中心までやってくると、すっと手をさしのべた。
「ようこそ、ぼくの運命のお姫様」
 フィガロットはにっこり微笑み、戸惑いの表情を浮かべる女性の手をきゅっとにぎり、とる。
 ……そう、儀式などなくたって、フィガロットは、自らの意志で、心で、しっかりと選んでいた。
 フィガロットにとっては、最も大切なものを。なくてはならないものを。
 今つかむものは、フィガロットのゆずれないもの。
 そして、証明になるだろう。
 フィガロットの心を救ったあの愛しい女性が言った、ゆずれないものさえゆずらなければ、もうそれは操り人形などではないというあの言葉の。
「フィガロット……」
 手をとりぐいっと引き寄せ、フィガロットが自らの胸の中へ抱き寄せると、女性はやはりまだ戸惑ったようにつぶやく。
 胸に抱き寄せるこの女性は、この世でただ一人、愛しい愛しいフィガロットだけのお姫様、……萌歌。
 自然、フィガロットの顔がほころぶ。幸せいっぱいに。
 そして、胸の中で頬を赤らめ戸惑う萌歌の耳に、フィガロットはそっと顔を近づけていく。
「もう二度と逃がさない」
 それから、思いのすべてをこめて、あまくあまく、優しくささやいた。
 萌歌の顔が、幸せに満ちたようにほころぶ。
 萌歌にもわかったのだろう。その言葉にこめられた意味が。
 これが、フィガロットたちが言っていた、あの儀式≠セということ。
 もう、誰にも邪魔されることはない。
 萌歌の腕が、ゆるやかにフィガロットの背へまわされる。
 その手に――指では、この国の空と海と大地をとじこめたあの指輪がきらりと優しく光っている。
 そして、どちらからともなく口づけをかわしていた。
 求めるように。
 こうなることがもともと運命だったのか、それとも、二人の思いが運命をかえたのか、それは今となっては誰にもわからないこと。
 ただ、フィガロットの腕の中には今萌歌がいる、それだけが事実(ほんとう)――。


 マリオネットの唯一ゆずれないもの。
 それは、はじめて愛したその女性。
 彼女だけは、たとえ国を滅ぼすことになろうともゆずれない。
 操り人形だった王子の心を救えるのは、この世でたった一人。
 彼が愛した異国の女性だけ。
 王子はもう、マリオネットではない。


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update:09/03/28