星降る夜にあなたと
(5)

「おはよう、セレスティナ」
「あ、アーヴィン様、おはようございます」
 朝食をとろうと食堂へやって来た時だった。
 ちょうど扉の前で、セレスティナはアーヴィンとばったり会った。
 使用人によって食堂の扉は開かれ、その向こうにはすでに席についているゴードンの姿が見える。
 食事にはまだ手をつけていないようだけれど、一人優雅に朝のお茶を楽しんでいる。
 これが、破産に追い込まれるほどの借金を抱えた男の姿かと思うと、めらめらと殺意がわいてくる。
 しかし、怒りはぐっとこらえ平静を装う。
 食堂の前面にめぐらされた硝子扉から、惜しげもなく朝の陽光が差し込んでいる。
「アーヴィン様なんて他人行儀だね。恋人なのだから、アーヴィンと呼んでくれないかな?」
 すっとセレスティナの腰に手をまわし、アーヴィンは食堂へと促す。
 セレスティナの体が、大きくびくんと跳ねた。
 たしかに、昨夜、セレスティナはアーヴィンの恋人を演じると言った。
 けれど、いきなりのこの馴れ馴れしい態度は何だろう。
 あまつさえ、腰に手をまわすとは、なんと破廉恥な。
 その手馴れた様子が、憎らしい。
 セレスティナは思わずアーヴィンをにらみつけそうになったけれど、ぐっとこらえた。
 たしかに、恋人、今は二人は恋人。恋人同士なら、これくらいきっと当たり前。
 どこか腑に落ちないセレスティナだけれど、大袈裟に騒ぎ立てることでもないし、騒ぎ立ててはいけないだろう。
 とにかく、任務を遂行するまで、我慢あるのみ。
「ア、アーヴィン?」
 セレスティナは探るように、ちらりとアーヴィンを見上げる。
 するとアーヴィンは、朝の陽光に負けないほどさわやかに微笑んだ。
「うん、何?」
 そう言って、セレスティナの顔をのぞき込みながら。
 セレスティナは思わず、ぷいっと顔をそむけてしまった。
 その目をまっすぐ見つめ返す勇気も忍耐も、セレスティナにはまだない。
 なんだか頬がほわほわ熱い。
 アーヴィンもまた、あくまで演技。このようないかにもな女たらしの業に惑わされてはいけない。セレスティナは自らにそう言い聞かせる。
 それに、昨夜のこともあり、セレスティナはなんだか照れ臭くて仕方がない。
 あれほど嫌だ嫌だと思っていたはずなのに、気づいた時にはセレスティナはすんなり恋人役を受け入れてしまっていた。
 それはきっと、アーヴィンの願いを聞いてしまったこともあるだろうけれど、普段のセレスティナなら、それでもきっとまだまだ抵抗していた。
 なのに、昨夜のセレスティナは、流されるように受け入れていた。
 それが、不思議でならない。
 しかし、一度約束してしまったのだから、今更それを覆そうとは思わない。そこまで無責任にもなれない。
 一度決めたからには全力で取り組む。
 それが、セレスティナの長所であり短所で、困ったところ。
 それにしても、恋人役を承諾してしまったのだから、諦めてそれらしいことをしなければいけないと頭ではわかっているけれど、それでもやはりまだ難しい。
 これほど当たり前のように腰に手をまわされ寄り添われては、セレスティナはどぎまぎするしかできない。
「でも、ちょっと待って。よく考えれば、屋敷の中で演じる必要はないのじゃない? 社交場だけでいいような気がするのだけれど……」
 セレスティナは、ふとそうぽつりつぶやいていた。
 すると、アーヴィンはどこか不機嫌に眉根を寄せた。
 かと思うと、セレスティナの頬に手を触れ、諭すように見つめる。
「いい、セレスティナ。たしかにそうかもしれないけれど、いざという時にぼろが出ては意味がないよね? だから、こうして屋敷の中でも常に振り≠していなければいけないよ。いつでも対応できるように、今から慣れておかなければ」
 やはりセレスティナは腑に落ちず、難しい顔をする。
 けれどまあ、そういうならそうなのかもしれないような気もしてくる。もっともらしいけれど、どうしても胡散臭さは拭えない。
 いざという時にぼろが出ないための練習なのかもしれないけれど、それにしても、常にこうだと心休まる時がない。
 セレスティナの心臓がどきどきしっぱなしで、むやみに疲れる。
 セレスティナは訴えるようにアーヴィンを見つめる。
 するとアーヴィンは、どこか困ったように微笑んだ。
 結局、何を言ってもアーヴィンには言い負かされそうな気がして、セレスティナはそれ以上疑問をぶつけることをやめにした。
 とりあえず今は、早く朝食をとることにする。
 昨夜、食事があまり喉を通らなかったこともあり、お腹がぺこぺこだから。
 食堂に入ると、ゴードンが笑顔で二人を迎え入れた。
「おはようございます、グリーンフィールド卿。セレスティナもおはよう」
 朝から無駄にさわやかなゴードンの微笑みに、セレスティナはかるく殺意を覚えた。
 元凶であるはずのゴードンがさわやかで、その被害に遭っているセレスティナがどんよりとは、なんだか不条理。
 腕の中で冷たく醒めた笑みを浮かべるセレスティナに気づき、アーヴィンは思わずくすりと笑っていた。
 本当に、この親子は楽しいと言いたげに。
 ゴードンをあからさまに無視して、セレスティナはアーヴィンの腰にまわす手を払い、さっさと席につく。
 アーヴィンは困ったように肩をすくめた。
「チェスタートン伯爵、おはようございます」
 そして、給仕の誘導を受け、椅子に腰掛ける。
「セレスティナ、この後は予定はある?」
 セレスティナが給仕から茶を受け取ろうとした時だった。
 向かい側に座るアーヴィンもまた、給仕から茶を受け取りながらそう問いかけた。
 セレスティナは手を止めて、首を傾げる。
「予定がなければ、この後街へ出ないかい」
 茶碗(カップ)から上がる湯気の向こうで、アーヴィンがにっこり微笑む。
 セレスティナは思わずじっとアーヴィンを見つめ、そしてためらいがちにうなずいた。
 やはり、恋人の振りをするということは、ここで拒否をするのもいけないだろうと判断した。
 まあ、今日の予定はなかったので、少しくらいならアーヴィンにつき合ってもいいだろう。
 そして、街に出るということは恋人の振りを人々に見せびらかすわけで、上手くいけばそれだけで噂が広まり、当初の目的が達成できるかもしれない。
 セレスティナとしては、必要以上に広まるのもありがたくはないが、手っ取り早く片づくなら、まあそれも許容の範囲だろう。
 このようなこと、このような恋人の振りを、いつまでも続けていたら、セレスティナの体がもたない。乙女の恥じらう心が消失してしまう。
 アーヴィンは女慣れしているのだろう、やけに女性の扱いが上手くて、セレスティナはどぎまぎさせられっぱなし。そして、それに耐えるのに必死。
「じゃあ、決まりだね」
 アーヴィンは頬をゆるめ目を細めると、堅焼き麺麭(パン)に手をのばしていく。
 ゴードンはその二人を、ただ静かに眺めていた。
 あれだけ嫌がっていたにもかかわらず、セレスティナが恋人役を引き受けたことを、まったく不思議に思っていないらしい。
 自分が諸悪の根源だということを、綺麗さっぱり忘れている。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:10/11/06