星降る夜にあなたと
(8)

 王都の中心に近い一角にある茨城から、若い娘たちの楽しそうな声が聞こえてくる。
 茨の垣に阻まれ、その中の様子はうかがうことができない。
 たとえ茨垣がなくとも、もとより、屋敷の奥で戯れる娘たちの声など、通りに聞こえるはずもないけれど。
 王都にあるとは思えないほどのその広さもまた、茨城と言われる所以のひとつとなっている。
 城と言われるだけあり、チェスタートン伯邸は貴族の屋敷においても広い方に入る。
 王都のこの本宅だけでなく、地方へ行けば、いくらか本物の¥驍熄蒲Lしているというから、貴族の中でも裕福な方に入るだろう。まあ、同時に一地方の領主でもあるから、それもうなずける。
 それほどの財を持ちながら破産へ追い込まれるなど、ゴードンは一体どのような失敗をしたのだろう。
「お嬢様、こちらの実はよく熟れているようですよ」
「あら、本当?」
 侍女の一人に声をかけられ、セレスティナはくるりと振り返った。
 すると、そこにはたしかに、みずみずしく熟れた黄色いきいちごがたわわになっていた。
 小さなつぶつぶした実がきゅっと集まりひとつのまるいかたちを作っている。
 ぷるんとした姿が、何ともおいしそうに見える。
 棘に気をつけながら、セレスティナがひとつぷちっともぎ取った。
 そして、手首にかけた籠に潰れないようそっと入れる。
 籠にはすでに、底が埋まる程度にきいちごが摘まれていた。
 その横で、あちらのきいちごがよく熟れている、こちらのきいちごがおいしそうと、小鳥のようにさえずりはしゃぐ侍女たちがいる。
 そのうちの二人ほどの侍女が持つ籠には、赤い茨の花びらがあふれんばかりすでに入っている。
「楽しそうだね、セレスティナ」
 茨の垣の向こうから、くすくす笑いながらアーヴィンが顔をのぞかせた。
 アーヴィンはあれ以来、毎日茨城にやって来る。
 たった一日だけ、どうにも都合がつけられなかったのだろう、言葉通りセレスティナの顔を見に来ただけの日もあった。
 甘い言葉を二言三言ささやいて、うろたえるセレスティナを楽しみ、満足げに帰っていった。
 あの時は、セレスティナは心の底から、なんて質が悪い男だろうと思った。
 同時に、アーヴィンの目的は、本当にセレスティナなのだと悟り、胸がうるさく騒いだ。
「あら、アーヴィン」
 茨の棘に服を引っ掛けないように気を払いながら、アーヴィンは垣根を越えセレスティナの前にやって来る。
 セレスティナはきいちごを摘む手を止め、アーヴィンに振り返る。
 侍女たちは、セレスティナの背後にさっと控えた。
「きいちごを摘んでいるのかい?」
「え? あ、うん。これで砂糖煮(ジャム)を作ろうかと思って。あと、茨の花の砂糖煮も」
 そう言って、セレスティナはひとつきいちごをもぎ取り、控える侍女が持つ籠を示した。
 籠からは、赤い花びらが顔をのぞかせている。
 それを見て、アーヴィンはなるほどとうなずいた。
「それはいいね。きっと、お茶に入れるとおいしいだろうね」
 セレスティナはにっこり笑い、同意する。
 アーヴィンの目が優しげに細められ、セレスティナを見つめる。
 それから、ふと気づいたように、さっとセレスティナの手首を握った。
「な、何!?」
 セレスティナはぎょっとして、アーヴィンを見つめる。
 けれどアーヴィンは気にせず、握ったセレスティナの手を引き寄せる。
 そして、その手に持ったままになっていたきいちごを、ぱくりと食べた。
 拍子に、セレスティナの指先が、アーヴィンの唇に触れていた。
 アーヴィンの唇に触れたセレスティナの指先が、鼓動を打つ。じんじん熱を感じる。熱くて痛い。
 セレスティナの頬が、真紅の薔薇の花よりも赤く染まる。
 セレスティナは必死に手を引き戻そうとするけれど、何故かアーヴィンは握ったまま放そうとしない。
「手、手ー! 手を放して!」
 セレスティナがたまらず慌てて叫ぶと、アーヴィンはにやりと笑った。
 そして、もう一方の手をセレスティナの腰にまわし、引き寄せる。
 わたわたうろたえるセレスティナに、アーヴィンはにっこり笑う。
 そして、小刻みに震えるセレスティナの指先を、ぺろりと嘗めた。
「うん、おいしいね」
 上目がちにセレスティナを見て、アーヴィンはどこか艶かしく微笑む。
 そのとたん、セレスティナの腕から、籠がどさりと落ちた。
 ぱらぱらぱらと、きいちごが緑の絨毯の上に散らばる。
「ば、ば、ば、ば、ばっかじゃないのー!!」
 そして、茨城にセレスティナの雄叫びが轟いた。
 憤るセレスティナは気にせず、アーヴィンは声を上げ楽しそうに笑っている。
 セレスティナは悔しさに唇を噛み、顔を真っ赤に染めて、憎らしげにアーヴィンをにらみつける。
 アーヴィンの唇が触れた指先を、強く強く握り締めながら。


 おいしいきいちご砂糖煮の作り方。
 まずはじめに、摘んできたきいちごをよく洗う。
 それをちょっぴりの水と一緒に鍋へ入れ、火にかける。
 灰汁が出てきたら灰汁を取り、たっぷりの砂糖を入れる。
 後はじっくりぐつぐつ煮込むだけ。
 そうすると、いつの間にかきいちごはかたちを崩し、砂糖と混ざり合い、甘くてとろっとした砂糖煮の出来上がり。
 茨の花も同様に砂糖煮にする。
 甘い香りを放ちことことおしゃべりする鍋を眺め、セレスティナは満足げに微笑んでいる。
 茨城の厨房を占拠し、料理長と侍女たちが見守る中、セレスティナは砂糖煮との戦いに勝利を予感している。
「ねえ、セレスティナ、それちょっとだけ嘗めていい?」
 アーヴィンは目を輝かせながら、きいちご砂糖煮の鍋を指差す。
「駄目」
 セレスティナはじろりとアーヴィンを見て、ぱちんとその手を叩く。
 セレスティナは、怒っている。まだ先程のアーヴィンの暴挙を許したわけではない。
 だって、アーヴィンは、あのようなとんでもないことを、平気でさらっとしてのけたのだから。
 よりにもよって、人前で、侍女たちの前で!
 アーヴィンが暴挙に出た瞬間、侍女たちの楽しげな黄色い声が響いたことが、またセレスティナの怒りの後押しをしている。
 恥ずかしすぎて、頭がおかしくなりそう。
「ちぇっ」
 アーヴィンはぷっくり頬をふくらませて、唇をとがらせる。
 そして、すぐ横に置いたままになっていた籠に手を入れ、底に残ったきいちごをひとつ摘まみ、口に放り込んだ。
 砂糖煮の味見が駄目なら、きいちごそのもので我慢する。とりあえず。
 セレスティナに冷たくされすっかり拗ねてしまったアーヴィンを、セレスティナはちらりと見た。
 そして、諦めたように、匙にひと口分だけ煮込み途中のきいちごの砂糖煮をとり、アーヴィンの顔の前にずいっと突き出した。
 アーヴィンは驚いたように、セレスティナを見る。
「ちょ、ちょっとだけよ」
 セレスティナはぷいっと顔をそむけ、ぶっきらぼうに言い放つ。
 アーヴィンはおかしそうにくすりと笑った。
 そして、セレスティナの手ごと匙を握り、砂糖煮を口に含んだ。
「うん、おいしい」
「もう、さっきから邪魔ばかりして!」
 満足げに微笑むアーヴィンを、セレスティナは非難するようににらむ。
 けれど、目は呆れているだけで怒ってはいない。
 何故か、頬がとっても熱い。
 何故などではなく、きっと、火の側にいるからに違いない。そうに違いない。それ以外では、……きっと、ない。
 セレスティナがこの厨房に来て、砂糖煮を作りはじめた時から、アーヴィンもついて来て、ずっとそこにいて楽しげに眺めていた。
 セレスティナの動きひとつひとつに、いちいち反応して、いちいち口を挟んでいた。
 それが、ひやかしとか冗談とかそのようなものならまだかわいいけれど、いちいち妙に甘い言葉が含まれていた。このぐつぐつ煮込む砂糖煮よりも、もっとずっと甘い声で甘く告げていた。
 そのたびに、セレスティナは居た堪れなくなり、ぷいっと顔をそらす。
 恋人の振りをしているだけとわかっているけれど、それにしたって、アーヴィンの言葉や眼差しは、本当の恋人たちよりずっとずっと甘いような気がする。
 アーヴィンは、なんて演技と嘘が上手いのだろう。
 吹く春の風が二人を包み、砂糖煮の甘い香りとともに通り過ぎていく。


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update:10/11/27