星降る夜にあなたと
(9)

「やっぱりおいしいな、この砂糖煮」
「おいしいおいしいって、それしか言えないの?」
 円卓におかわりの茶を置きながら、セレスティナはほくほく微笑むアーヴィンを呆れがちに見る。
 砂糖煮が出来上がり、早速その砂糖煮で茶を楽しみたいというアーヴィンのわがままのため、時間にはまだ早いけれど、急遽茶の時間となった。
 侍女たちは、やはりなんだか嫌味なくらい楽しげに笑い、すぐにこの席を用意してしまった。
 そして、セレスティナは、茶を茶碗に注ごうとする侍女から茶出し(ポット)を奪い取り、まとめて侍女たちもこの露台から追い出した。
 そこで仕方なく、セレスティナ自ら茶碗に茶を注いでいる。
 だって、あのまま侍女たちを控えさせたら、この状況をもっと楽しみ、セレスティナはますます恥ずかしさで居た堪れなくなる。
 放っておいたら、アーヴィンは一体何を言い出すか知れない。
 いくら演技にしても、アーヴィンの言葉は砂糖をそのまま嘗めるよりも甘い。
「だって、本当においしいから。甘さもちょうどいいよね。優しい味がする」
「ば、ばかっ!」
 きいちごの砂糖煮をたっぷり入れた茶を口に含み、アーヴィンはセレスティナを見つめる。
 セレスティナは手に持っていた茶出しを、どんと勢いよく円卓に置いた。
 本当にもう、アーヴィンは放っておいたら何を言い出すかわからない。
 侍女たちを早々に下がらせておいて大正解だった。
 このようなところを侍女たちに見られたら、セレスティナは恥ずかしくて恥ずかしすぎて、もう生きていられない。
 どのように主として振る舞えばいいかわからなくなる。
 冷静で清楚な令嬢という仮面が、べりっと剥がれてしまう。
 わなわな震えるセレスティナを見て、アーヴィンはくすりと笑った。
 そして、鼻歌まじりに小型麺麭(スコーン)を手にし、今度は茨の花の砂糖煮をのせる。
 たっぷりの茨砂糖煮とともに小型麺麭を一口かじり、アーヴィンは満足げに微笑む。
 陽に透けたアーヴィンの茶色がかった金の髪が、目にまぶしい。
「うん、茨砂糖煮も最高だね」
 セレスティナは目を見開きアーヴィンを見つめ、そしてすぐにはっとして、ぷいっと顔をそむけた。
「べ、べつにお世辞なんていいわよ」
「本当だよ。これほどおいしい砂糖煮を食べられるなんて、私は幸せだよ」
「もうっ、からかわないでよ!」
 セレスティナは精一杯叫び、どんと円卓を両手で叩いた。
 すると、その拍子に、小鉢にたっぷり盛った砂糖煮が飛び散り、アーヴィンの手の甲にぽとっとついた。
「あ、ごめん。すぐに拭……」
 セレスティナは慌てて手巾を取り出し、砂糖煮が飛び散ったアーヴィンの手に触れる。
 同時に、思わずさっと引き戻しそうになった。
 すっとうつむいてしまった顔は、熱を帯びている。
 まだそれほど厳しくない陽光が、セレスティナの肌をじりじり焦がしていると思えるほど、頬が熱くて仕方がない。
 アーヴィンは驚いたようにセレスティナを見て、口の端を意地悪く上げた。
 そして、逆にセレスティナの手をぎゅっと握り、そのまま口元に持っていく。
 セレスティナが慌てて顔を上げると、同時にアーヴィンは手の甲についた砂糖煮をぺろりと嘗めた。
「うん、そのまま食べてもやはりおいしいね」
 セレスティナの手を頬に触れさせ、くすくす笑うアーヴィンの手の甲には、一週間前のあの傷の痕が残っている。
 かすり傷とアーヴィンも言っていただけあり、傷はすっかり塞がっている。
 その傷痕は、セレスティナがアーヴィンに助けられたという証。
 セレスティナはどうしようもなく、ただ目を白黒させるしかなかった。
 顔は火照って、のぼせて、このまま倒れてしまいそう。
 アーヴィンは調子に乗って、握ったままのセレスティナの手に唇を寄せようとしている。
 セレスティナははっとして、慌ててその手を乱暴に振り払った。
 そのようなことをされたら、セレスティナは本当に恥ずかしさのため倒れてしまう。
 油断も隙もあったものではない。
 セレスティナは引き戻した手をぎゅっと握り締める。
 恨めしそうにアーヴィンをにらみつけた後、セレスティナは誤魔化すようにへらっと笑顔を作った。
「そ、それより、どうして、わたしだったの?」
 そして、脈絡なく、そう問いかける。
 このまま流されていてはアーヴィンにいいようにされてしまうと判断し、話題を変えることにしたのだろう。
 アーヴィンはちょっぴり残念そうにセレスティナを見る。
 やはり強引にでも話題を変えて正解だったと、セレスティナは自らの判断を賞賛する。
 あそこで手を引き戻しておかなければ、今頃セレスティナの手はアーヴィンのいいように扱われていただろう。
 本当に、なんて手癖が悪い男なのだろうか。
「お父様の負債の肩代わり……とは言っていたけれど、あなたはそうするに足るだけの関係でもないし義理もないでしょう? あなたなら、喜んで偽りの恋人になりたいという女性もたくさんいるでしょう?」
 セレスティナは探るようにじっとアーヴィンを見る。
 それまでふざけていたアーヴィンの顔が、すっと引き締まった。どことなく険しくなる。
 セレスティナが真面目に問うているとわかり、アーヴィンも真面目に答えることにしたのだろう。
「そうですね、覚えていますか? ひと月前の夜会のことを」
 そう言って、アーヴィンは手をのばし、セレスティナの手をもう一度取り、きゅっと握った。
 セレスティナの体が、小さくびくんと震える。
 けれど、再びその手を振り払おうとはしなかった。振り払う余裕がなかった。
 アーヴィンのその瞳に引き込まれるように、セレスティナは見つめ返す。
「え? あ、うん。その夜会には出席していたから……。もしかして、あなたもいたの?」
 戸惑いながらセレスティナが問うと、アーヴィンはこくりとうなずいた。
「あの夜会の席で、あなたは男からしつこく言い寄られる女性を助けたね。その時のあなたの凛とした姿はとても印象的だった。あのような衝撃、はじめてだったよ」
 アーヴィンは、握るセレスティナの手をぐいっと引き寄せる。
 その勢いにつられ、セレスティナの腰が椅子から浮く。
 その腰にアーヴィンの手がさっとまわり、円卓を挟みセレスティナを抱き寄せる。
「あの時もそうだったし、こちらを訪ねたあの日の街でのことも、あなたはなんと果敢で気高く、清らかなのだろうと思った」
「か、からかわないでっ」
 セレスティナは腰にまわされるアーヴィンの手を引き剥がそうと、手を触れた。
 同時に、びくんと、セレスティナの手は飛び跳ねた。
 手も腰も何もかもすべて、アーヴィンに触れたところが熱い。
 アーヴィンも立ち上がり、セレスティナを抱き寄せたまま、円卓をぐるりとまわる。
 間に何も隔てるものがなくなると、アーヴィンはそのまま一気にセレスティナを胸に抱き寄せた。
「からかっていないよ、本当だ。だから、そのようなあなたなら、私の恋人になってくれるだろうと思ったんだ」
 アーヴィンは企むようににこっと微笑む。
 その微笑を見て、セレスティナの弾む胸が一気に静かになった。
 胸のずっとずっと奥深くが、痛い……ような気がする。
 セレスティナは、疑わしげにじとりとアーヴィンを見たかと思うと、諦めたようにふうと息を吐き出す。
「……付け込んだのね?」
 アーヴィンは目を見開き、驚いたようにセレスティナを見る。けれどすぐに、意地悪くにっと笑った。
「はい、付け込ませていただきました」
「もうっ、なんて人なのっ!」
 セレスティナは、抱き寄せるアーヴィンの胸を、勢いよくひとつどんと叩く。
 アーヴィンは、セレスティナをその腕に包みながら、楽しそうに声を上げて笑っている。
 図星だ。
 セレスティナの馬鹿正直で律儀なところに付け込み、アーヴィンは思うように事を進めていた。
 あのようなことを聞かされたら、セレスティナは精一杯恋人を演じざるを得ない。
 そして、たしかに演じてしまっている。
 ――そう、演じている。
 あくまで、振り=B決して本気ではない。
 アーヴィンは、ぽかぽか胸を叩くセレスティナの手を捕まえきゅっと握る。
 そして、セレスティナを切なそうに見下ろした。
「このようなことを聞いても、協力してくれる?」
 どこか不安げなその様子に、セレスティナは早々に抵抗することを諦めてしまった。
「今さら嫌とは言えないでしょう?」
 セレスティナは困ったように微笑み、アーヴィンの手をつけたまま、その頬にそっと触れる。
 アーヴィンは、一瞬、今にも泣き出しそうな顔で微笑んだ。
 セレスティナは思わず目を見開き、アーヴィンを見つめてしまった。
 アーヴィンの顔にまた、先程と同じようにどこか得意げな笑みが戻る。
「……よかった。では、明日の夜会をお願いします。そこで仲睦まじい姿を見せれば、ある程度の牽制にはなると思うんだ」
「そのように上手くいくかしら?」
「上手くいくよ。上手くいかせてみせる。セレスティナがちゃんと私の恋人になってくれたらね」
「……詐欺師」
 セレスティナはがっくり肩を落とし、そのままぽてっとアーヴィンの胸にもたれかかった。
 どこかで嗅いだことがある、甘いよい香りがセレスティナを包み込む。
 本当に、アーヴィンという男は、なんていい加減で胡散臭いのだろう。
 けれど、何故かわからないけれど、そのようなアーヴィンを、セレスティナは今は嫌いじゃない。
 声を上げさわやかに胡散臭く笑ってみたって、心のどこかではアーヴィンを信じている。
 きっと、アーヴィンなら黒でも白く変え、不可能を可能にしてしまう、セレスティナはそう信じてしまっている。
 それが、不思議でならない。まるで、詐欺(ペテン)にかけられたよう。
 明日の夜はいよいよ、夜会の日。
 一体どれだけ、アーヴィンの企みが功を奏するか……。
 そして、上手くいってもいかなくても、その夜でこのふざけた偽りの恋人契約は終わる。
 まだ一緒にいられる、いたいと思いはじめていたのに、騙し討ちのように告げられた終わりの日。
 はじまりも騙し討ちだったのだから、終わりもこれが似合っている。
 しばしば忘れそうになるけれど、これはあくまで契約。近い未来、必ず終わりがくる。
 上手くいけば、偽の恋人はもう必要なくなり、上手くいかなければ偽の恋人は役立たずで終わる。
 そう、どちらにしても、明日の夜で、アーヴィンと過ごす日々は終わり。恋人の振りは終わり。
 そして、もう会うことはないだろう。
 会い続けてしまえば、いつかは勘違いをしてしまうだろうから。
 だから、これ以上、踏み込んではいけない。その禁断の領域に。
 そうして数日もすれば、アーヴィンにからかわれて怒ることもなくなり、おだやかな日々が戻ってくる。


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update:10/12/05