懐古、追想(1)
闇夜の月に焦がれる太陽

 懐古。追想。
 この想いには、そんな言葉がよく似合う。
 ただ、大切で、愛しかっただけなのに、何故あのようなことになったのだろう?
 ……いや、それは、自らがいちばんよくわかっている。
 君が命をかけて教えてくれたのに、結局駄目だった。
 君なしではもう、正常ではいられない。生きていけない。
 君こそが、生きる意味――。

 マリーベル。
 愛している。
 けれど、この思いは、君にとってはよいことではない。
 君がこの人ならざる者のために、どのようなひどい仕打ちにあっているかも知っている。
 君のためには、どうすればよいのか……。
 ――そうか、そうだな。もうそれしかないのかもしれない。


 村はずれの教会に寄りそうように一本でたたずむ、大きなねずの木。
 そこに、マルセルは一人、もたれかかるように腰を下ろしている。
 空は憎らしいくらいにからりと晴れ、雲ひとつない。
 見渡す限りの青い世界。
 不思議なことに、マルセルは太陽の光をその体いっぱいに浴びても、灰と化すことはない。
 多少体のだるさを覚える程度。
 吸血鬼の本来あるべき姿では、きっとないのだろう。
 そもそも、教会(このようなところ)に巣くっている上、人間たちを餌≠ニしない辺りから、もう本来あるべき姿から逸脱しているのかもしれない。
 きっと、異端。
 異端だからこそ、本来は餌≠ナあるはずの人間を――。
 マルセルは、恨めしいくらいに青い空を見上げる。
 瞬間、人間の気配を感じた。
 このようなところに来る物好きは、あの人間くらいのものだろうと思っていたのに、いつも感じるその気配とは少し違う。
 はっと身を強張らせ、マルセルは視線を移す。
 するとそこには、一人の男が立っていた。
「君が……」
 男はぽつりとつぶやいた。
 驚いたように、その目が見開かれている。
「君が、マリーベルの……。大丈夫、怖がらなくていいよ」
 見開いたその目をふわりとやわらげ、男は微笑を浮かべる。
 しかも、そのように不可解なことを言いながら。
 マルセルは、訝しげに男をにらみつける。
「怖がっているのはお前の方じゃないのか? 僕は吸血鬼だぞ? 他の村人と同じように、僕を恐れないのか?」
 しかし、マルセルのにらみにも動じる様子なく、男はにっこり微笑む。
「まさか」
 今度は、マルセルが目を見開くことになった。
 しかし、すぐにくしゃりとその顔をくずす。
「かわった奴だな」
「まったく」
 くすりとマルセルが笑うと、男もくすくすと笑い声をもらした。
 この男は、本当に、吸血鬼であるマルセルを恐れてはいないのだろう。
 とりつくろっているだけならば、マルセルがにらみを入れた時に、何らかの恐怖を示す反応をしているだろう。
 吸血鬼の視線は、生易しいものではない。
 それだけで、人間など容易く殺めてしまえることもある。……そう、心が弱い人間ならば。
 だから、この男はマルセルを恐れてはいないし、心が強いのだろう。
 そして、きっと、敵意もない、……と信じたい。
 不思議と、マルセルはそう思えた。
 村の人間など、あの少女以外は信じられないと思っていたはずなのに。
 あのようなことがあったのだから、もはや信じられるはずがない。皆、敵。
 それなのに、何故だか、マルセルはこの男を受け入れつつある。
 きっと、その目がマルセルを異質なものを見るようではないからだろう。
 すっと視線をそらし、マルセルはまた、憎くらしいくらい青い空を見上げ、ぽつりとつぶやく。
「なあ、お前はどう思う? やはり、僕が間違っているのか? 彼女を愛してしまったこと……」
「違うな」
「え?」
 間をおかず、男はきっぱり答えた。
 がばりと顔を戻し、マルセルは男を凝視する。
 まさかそのような言葉が返ってくるなど、しかも迷うことなく返ってくるなど、マルセルは思っていなかった。返答はマルセルを絶望へ突き落とすとわかっていて、あえてそのような問いをした。
 マルセルが予想していた言葉は、そのようなものではない。
 人間は皆、そうでない者にはおぞましい言葉を投げつけ拒絶する。そう思っていた。……あの少女以外は。
「だってそうだろう? 誰かを愛しいと思うのに、人間だとか吸血鬼だとかは関係ない。大切なのは、本人たちの気持ちだろう?」
 男は肩をすくめ、驚くマルセルに困ったように微笑む。
 そして、試すように見つめる。
 マルセルは男から視線をそらし、微苦笑を浮かべた。
 ぽてんと、ねずの木の幹に頭をあずける。
「やっぱり、おかしな奴だな」
 そして、男へ向けてにやりと笑った。
 男も得意げにマルセルに微笑み返す。
 すうと、マルセルの顔が険しく変化する。
 それから、幹にあずけていた上体を起こし、迫るように男へ向く。
「――なあ、そう言ってくれるなら、頼めないかな?」
 マルセルの目が、男の目をとらえる。
「……何を?」
 男の顔が、瞬時に険しくゆがむ。
 マルセルはきゅっと唇をかみ、そして叫ぶように悲痛にはきだした。
「僕を……僕を、殺してくれ!!」
「何だって!?」
 男は、まるでマルセルを非難するように怒鳴った。
 その言葉が、マルセルからもたらされるだろうことを知っていたように。しかし、一縷の望みを抱いていたように。
 マルセルはもっと違った選択をするのではないだろうかと、どこかで期待していたように。しかし、それは裏切られてしまったように。
 それではまるで、男はすべてを知り、悟っていたようにすら見える。
「殺し方なら簡単だ! ただ、僕の、僕のこの心臓に、銀の杭を打ち込んでくれるだけでいい。それだけで、僕は簡単に死ぬ!」
 マルセルは、どんどんと力いっぱい自分の胸を叩きながら、すがるように叫ぶ。
「できるわけがないだろう!」
「頼む! ――これ以上、彼女を苦しめたくないんだ。彼女が今、どのような仕打ちにあっているか、僕は知っている。だから、これがいちばんいい方法なんだよ!」
 マルセルはさらに男へ身を迫らせ、食いつかんばかりの勢いで叫ぶ。
 男は悔しそうに唇をかみしめるだけで、それ以上何も言おうとはしなかった。いや、言えなかった。
 少なからず、男にもマルセルの気持ちがわかってしまうから。
 しかし、わかってしまっても、同時にマルセルが言う彼女≠フ思いもわかってしまう。
 きっと、それがいちばんいい方法なのだろう。マルセルの言う通り。
 けれど、彼女を思うと、それは必ずしも良いとは思えない。


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