懐古、追想(2)
闇夜の月に焦がれる太陽

 本当に、それ以外の方法はないのだろうか?
 どうして、罪もない二人が、自らその道を選ばねばならない?
 ただ、二人幸せに静かに、暮らしていきたいだけだろうに。
 何故、それを世の中は許してくれない?
 思いのままに生きることは、この世では難しいのだろうか?
 男は苦しげにゆらめくその目で、マルセルを見つめる。
 その時だった。
 教会をはさみ、向こうの方で、ざわざわと何やら騒ぎ立てる声が聞こえてきた。
 そして、それはそう時間を要さないうちに、こちらへ近づいてくることがわかった。
 マルセルと男は、はっと何かに気づいたように顔を見合わせる。
「いたぞ! 奴だ、吸血鬼だ!!」
 教会の陰から、複数の人影が現れると同時に、そう叫ぶ声が聞こえた。
 人影はどんどん大きくなり、すぐにマルセルたちのもとまでやって来た。
 人影――村の男たちは、口々に耳をふさぎたくなるような言葉を叫び散らす。
「殺せ!」
「そうだ、殺してしまえ!」
「こんな奴、生かしておくとろくなことにならない!」
「生きる価値のないものだ!」
「死ね、化け物め!!」
 その目はどんよりと暗く、生気を失っているように見える。鈍い光を発している。
 ――尋常じゃない。
 一目でそうだとわかった。
 けれど、同時にそれもうなずけてしまった。
 きっとこれが、恐怖に追い詰められた人間の目というものだろう。
 そして、彼らをここまでにしてしまったのは、まぎれもなくマルセルの存在――。
 ここまで現実を、事実をつきつけられてしまうと、やはり、マルセルにはもうとる道はたったひとつしか残されていないと思わざるを得ない。
 彼らが望むまま、彼らの手にかかった方が……。
 マルセルが覚悟を決め、すっと立ち上がり、ゆっくり目をとじた時だった。
 ともにいた男が、マルセルの腕をぐいっとひく。
 それから、さっと立ち上がり、村人たちとマルセルの間へすっと身をすべりこませた。
 マルセルは、ぎょっと男を見つめる。
「待て。一体、彼が何をしたという――」
「うるさい! そこをどけ、邪魔だ!」
 男の言葉を遮るように、村人の一人が叫ぶ。
 どんと、男の胸を突き飛ばす。
 男は少しよろけたけれど、マルセルをかばうように、すぐに体勢を立て直した。
 マルセルは、その背で不安げに男を見つめる。
 不安なのは、この常軌を逸した村人たちに殺されることではない。
 この男が、マルセルの巻き添えになるのではないかと、そこが不安でならない。
 この男は何故、このような村人相手に、危険を承知でマルセルをかばおうとするのだろうか?
「邪魔をすると、お前も一緒にやっちまうぞ!」
「この化け物はな、村の女をたぶらかしやがったんだ!」
「そうだ。そして、村まで滅ぼそうとしたんだ!」
 村人たちは、口々に狂ったように叫ぶ。
 男ははあと大きく息をはきだし、あきれたように言う。
「彼がいつ、そんなことをした? 言った? 言いがかりはよすんだ」
「うるさいうるさい! とにかく、そいつは殺さなければならない! 村の平和のために!!」
 そう一人が怒鳴ると、男たちは一斉に、手にしていた斧や鍬やら、そして銀の杭を振り上げる。
「狂っている! お前たち、みんな狂っている!」
 男はいまいましげにそう叫んだ。
 そして、
「逃げろ、逃げるんだ、マルセル! こいつらは俺が引きとめておくから!」
そう言い放ち、どんとマルセルを突き飛ばす。
 とんと、マルセルの体がねずの木にぶつかる。
 ――何故、この男はマルセルの名を知っている……?
 マルセルは不思議に思ったけれど、そこに気をとられている場合ではない。
 一瞬何が起こったのかわからなかった。しかし、すぐに男が何をしようとしているのか理解し、マルセルは苦しげに顔をゆがめる。
 そして、ふるふると、首を左右にふる。
 ――それは、否。
 男の言葉には従わないという意志表示。
 マルセルの拒否に、男は顔を青ざめる。
 男の横をすっと通り、マルセルは自ら村人たちの前に歩み出る。
 今度ばかりは、マルセルの拒絶に動揺しているのか、男もとめようとはしない。
 なかば呆然といったように、マルセルを見つめている。
 それほど、マルセルのこの選択が信じられないというのだろうか? 意にそわぬのだろうか?
 ……馬鹿な。マルセルは、はじめから言っている。
 彼女のために、あの愛しい少女のために、この命を捨てようと。
 彼女を守るためなら、命など惜しくはない。
「いいんだ、これで……。これでいいんだよ。こうなることがいちばんいいんだ」
 マルセルは男へ顔だけを向け、小さく微笑む。
 そして、すうと目を閉じ、大空を仰ぐ。
 まぶたのその裏にすら、大空は憎らしいくらいの青を映している。
 この身も震えるほど真っ青な空も、きっともう今日限りで見ることはなくなるだろう。
 けれど、それでもいい。
 それで、この世でいちばん愛しい者を救うことができるなら。
 訴えるような男の視線が、マルセルの背につきささる。
「どのようなかたちであれ、彼女を守れるのなら、それでいい」
「本当に、本当にそれでいいのか!? 他に方法があるかもしれないだろう!?」
 マルセルの背で、男が何かを訴えている。
 しかし、マルセルはもう聞く耳を持たない。
 耳を傾けてはいけない。
 男がいうそのような都合のいいことを、期待してしまいそうになるから。
「綺麗事はやめてくれ。所詮、お前も人間ということだ」
 マルセルを思ってくれるその心でさえ、踏みにじろう。
 そうして突き放さないと、あの少女以外で気を許せた人間を巻き込み、苦しめることになるだろうから。
 むしろ、憎んでほしい。
 人の心を踏みにじる怪物め。やはり、吸血鬼だな、とそのように。
 おかしなことに、男がマルセルをかばえばかばうほど、マルセルもまた、男に情がわいてくる。
 心のどこかでは、この男を、友人≠ニすでに認めているのかもしれない。
 どうしてそこまで、マルセルのために必死になるのだろう?
 どんと、マルセルの肩に何かがぶつかった。――いや、何かではなく、男がつかみかかっていた。
 思わず、おろしていたまぶたをあげる。
「そうじゃないだろう! 人間だとか吸血鬼だとかは関係ないだろう! 君がいちばんそう思っているはずだろう!?」
 マルセルの目から、火花が飛び散った。
 どうしてこの男は、それを言い当てる?
 マルセルが普段から願っていた、それを……。
 人間だとか吸血鬼だとか関係なく、ただ、ともに生きていきたいだけ、というその願いを。
「……もう、どうにもならないよ」
 肩をつかむ男の手をゆっくりはなしながら、マルセルは投げやりに言い放つ。
 そう、ここまできては、もうどうにもならない。
 あの少女と、そして今はこの男を守るためにも、マルセルは村人たちに殺されなければならない。
 マルセルを必死に守ろうとしてくれるから、マルセルもまたこの男を守りたいと思う。


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