風化せぬ思い(1)
闇夜の月に焦がれる太陽

「そうだ。あの男はああ言って、僕の望みをかなえてくれたはず。……なのに、何故?」
 悲しくかすかに形をとどめるフレスコ画の天井の下、マルセルはマリーベルをじっと見つめる。
 その腕は、いまだ必死にマリーベルにすがりついている。
 崩れかけの礼拝堂の中、マリーベルは優しい眼差しをマルセルへ向ける。
「そうね、あの男は、村人たちに、あなたのことは自分に任せてくれと言った。そして、それを聞いた村人たちも、その男に任せることにした。何故ならば……彼は、その名を知られたヴァンパイア・ハンターの家系の男だったから。そして……」
「そうだ、その時に僕は殺されていたはずだ……!」
 ぐいっとマリーベルの胸をつかみ、マルセルは不思議そうに見つめる。
 ふっと、マリーベルが微苦笑を浮かべる。
「それが違うのよ。あの男は、あなたを殺さなかった。あなたとマリーベルを憐れに思い、あなたとの約束を違えても、殺すのではなく、封印する道を選んだのよ。――そう、この礼拝堂の地下深くに……」
 マリーベルは崩れかけの天井をすっと見上げ、静かに告げる。
 マルセルの目が、おろおろとゆらめく。
 こつんと、乾いた地を蹴る音が、暗い礼拝堂に響く。
 手に持つ燭台ひとつのぼんやり浮かぶ明かりに照らされ、デュークが一歩、マリーベルに歩み寄った。
「しかし、彼の意図しないところで、その封印が解かれてしまったということだな」
 複雑そうに、そして重苦しそうに、デュークが静かにつぶやく。
 天井からすうと視線を戻してきて、マリーベルは苦しげに顔をゆがめ、こくんとうなずいた。
 マルセルは半ば放心したように、マリーベルと近寄ったデュークを交互に見つめる。
 どうやら、いつの間にか、デュークに対するマルセルの敵対心はなくなってしまったらしい。
 マルセルの目は、デュークへもまた、すがるように向けられている。
 恐らく、デュークに、マルセルに対する殺意が感じられなくなったからだろう。
 生かしておくわけにはいかないと思っていたはずなのに、デュークの中でもまた、その抱く思いが変わってしまったのかもしれない。
 マリーベルの話を聞いているうちに。五十年前のマルセルを知ってしまったために。
 デュークとて、ヴァンパイア・ハンターと名乗っているからには、この教会に封印された吸血鬼のことは知っている。
 しかし、マリーベルが語ったそれほど詳しくは知らなかった。
 そして、詳しく知らされてしまったために、もうこの吸血鬼を狩ることを戸惑いなくできなくなってしまった。
 なんという皮肉だろう。
「それで……僕は、封印されたというのか。だけど、一体どうして、そんなことを……?」
 マルセルは腑に落ちないといった様子で、マリーベルを見つめる。
 腑に落ちないというよりは、不思議といった方が正しいかもしれない。
 その目には、クール・ダグラスが選んだそれを、非難も否定もしているような光はない。
 ただ、純粋に、どうして?と、そう思っているのだろう。
「彼は信じていたのよ。いつの日か、再び、二人が堂々と愛し合える日が来ることを。そして、いつかその時がやって来たら、あなたの封印を解き、マリーベルと幸せにしてあげようと……。けれど、それは叶わずに、今に至ってしまったけれど」
 マリーベルは悲しげに顔をゆがめる。
 その頬に今にも涙が伝い落ちてきそうなほど、悲痛に顔がゆがんでいる。
 そのようなマリーベルを見て、マルセルは複雑そうに微笑を浮かべた。
 そこまで君が苦しむことはないのに、といったふうに。
 しかし、次の瞬間、何かに気づいたように、はっと目を見開く。
 そして、マリーベルの両腕をぎゅっとつかむ。
「教えてくれ! そ、その後、彼女は……マリーベルは、どうなったんだ!? 君にならわかるだろう? はやり……!?」
 色を失った顔で、マルセルはマリーベルをすがるように見つめる。
 つかむ両手をゆっくり解き取りながら、マリーベルは静かに答える。
「……生きていたわよ」
「え……?」
 マリーベルは、我を忘れたように時間をとめたマルセルの両手をすっかり解き取り、そのまま自分の膝の上でぎゅっとにぎりしめる。
「あなたは、てっきりそうだと思っていたようだけれど、彼女はあの時死んではいなかったのよ。ただ気を失っていただけ」
 けろりとした様子で、マリーベルはさらりと言ってのける。
 それから、どこか意地悪くにっこり微笑む。
「そうか……」
 マルセルは一瞬ぽかんとしたけれど、すぐに安堵したように胸をなでおろした。
 マリーベルは肩をすくめて、やはり意地悪げに微笑む。
「安心した?」
「ああ……」
 マルセルは、この礼拝堂に入ってきた時の様が嘘のように、穏やかな表情を浮かべていた。
 恐らく、彼がいちばん知りたかったこと、気になっていたことが知れて、安心したのだろう。そして、彼が信じた人間たちの優しさに触れて。
 マルセルが信じたことは、決して間違いではなかった。
「ヴァンパイアが封印された後はね、あの少女は、毎日ヴァンパイアが封印されている教会に通い、ヴァンパイアとの幸せだった日々を思い、ただただヴァンパイアのことだけを思い、その生を終えたそうよ」
 おだやかだったマルセルの顔が険しくなる。
「でもね、彼女の最期の顔は、とても幸せそうだったそうよ」
「え……?」
 マリーベルはくすりと笑い、試すようにマルセルを見る。
 それから、優しくマルセルを見つめ、微笑む。
「きっと、幸せだったのよ。愛する人と引き離されてしまったけれど、ずっと愛しい人のことだけを思い、生き続けられたのだもの。彼女にとっては、それが何よりも大切だったのね。幸せのかたちはそれぞれだもの、ね?」
「そうか……」
 マルセルは複雑そうに、けれど嬉しそうにつぶやく。
 それが、マルセルの今のすべてなのかもしれない。
 愛しい少女の幸せこそが、マルセルのすべて。そして、願い。
 先程まで――封印が解かれた後、マルセルがこの少女と出会うまで抱いていた、あれほどの憎悪が嘘のように晴れていく。
 どうして、この少女は、マルセルが求めていたものをくれるのだろう?
 この少女から感じるその優しさに、まるで包み込まれ、癒されているようにすらマルセルは感じる。


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