疑惑の男(1)
闇夜の月に焦がれる太陽

 デュークからはなれ、不穏な気配を追い、マリーベルは駆けている。
 もうどのくらいの角を曲がっただろう、ふいにマリーベルの前を黒い影が横切った。
「ヴァンパイア!?」
 マリーベルははじかれたように叫び、今度はその黒い影を追いはじめる。
 たしかに、マリーベルの前を横切った黒い影からは、これまでより強くあの気配を感じた。
 ならば、追いかけても無意味ではないだろう。
 本体か、またはそれに強く影響を受けた何か。手がかりにはなるだろう。
 その黒い影は、古ぼけた崩れ落ちそうな建物の横を曲がった。それを追いかけ、マリーベルも角を曲がる。
 そのようなことを何度も繰り返し、いくつもの角をまがり、路地から大通りに出ようとした時だった。
 マリーベルの体は、大きな衝撃を受けた。
 同時に、そのまま弾き飛ばされ、地面にたたきつけられる。
 けれど、幸いなことに、尻餅をついた程度だった。
 尾骨の辺りをさすりながら、マリーベルはのっそり立ち上がる。
「いったあ〜い……」
 そして、はっとして、すぐ下に視線を移す。
 するとそこには、どうやらマリーベルがぶつかった相手だろう、青年が地面に仰向けに倒れていた。
 青年はマリーベルに気づくと、慌てて上体を起こした。
「あ……ごめん。君、大丈夫だった?」
 そして、見下ろすマリーベルに、ばつが悪そうな微笑を向ける。
「え……!? ええ……」
 マリーベルは慌てて、それだけをどうにか答えた。
「あはは、ごめんね。僕がしっかり前を見て歩いていなかったばかりに」
「い、いいえ。わたしの方こそ、急いでいたものだから……」
「え? 急いでいたの? 大丈夫? それなら早く行った方が……」
 マリーベルの言葉に、いまだ地面に座ったままの青年が、さっと顔色を変えて慌てて言う。
 マリーベルは苦く笑い、ふるふる首を小さく横に振る。
「いいえ、ありがとう。もういいの。どうやら見失ってしまったようだから」
「そう……」
 青年は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
 青年とぶつかったために、マリーベルに迷惑をかけたと思ったのだろう。
 先ほどの衝突で、マリーベルはすっかり追っていた気配を見失ってしまっていた。
 ぶつかった瞬間、それまでたしかに感じていた気配を感じなくなってしまった。
 それに気づいたのは、立ち上がったマリーベルの足元に青年が倒れていると認めた時。
 マリーベルは慌てて辺りに気をやったけれど、やっぱりもう気配は感じられなかった。
 ならばもう、諦めるしかないだろう。その程度の状況で、ぶつかった相手をほってまた駆け出すのも無意味だし、礼に欠ける。
 今度は、闇雲に駆けなければならないから、なおのこと追う意味がない。
「それよりも、あなた、大丈夫? 立てる?」
 マリーベルでさえすぐに立ち上がったのに、なかなか立ち上がろうとしない青年に、マリーベルは難しい顔で問いかける。
 まさかの事態が、一瞬マリーベルの脳裏をよぎった。
 マリーベルがさっと手を差し伸べると、青年は苦笑し、素直にマリーベルの手をとった。
「……あれ?」
 けれどすぐに、青年は複雑そうにつぶやいた。
「どうしたの?」
 マリーベルの顔が、さらに険しくゆがむ。
 青年はさっと愛想笑いを浮かべた。けれど、その額にはじわりと脂汗がにじんでいる。
「あはは……。立てない。どうやら、足を痛めてしまったようだ」
「え!?」
 マリーベルは思わず、大声をあげてしまった。
 どうやら、先ほどのマリーベルの嫌な予感が的中してしまったらしい。
 マリーベルは無傷だったけれど、青年を負傷させてしまっていた。
 マリーベルと青年は、あははと苦く乾いた笑いをする。
「と、とにかく、あなたを送るわ。わたしがぶつかったせいだもの」
 そして、マリーベルは青年を支え、立ち上がらせる。
「いや、いいよ。女性にそんなことまでさせられないよ」
 青年はマリーベルの手をはなし、すぐ横にあった壁に支えるように体をあずけた。
「ううん、いいの。ね、あなたの家の場所を教えてくれない? 送るわ」
 もう一度支えなおそうとのばすマリーベルの手を、青年はやんわり制する。
 そして、にっこり笑った。
「大丈夫だよ、すぐ近くに馬車を待たせてあるから。――ああ、じゃあ、馬車まで行って、人を呼んできてくれないかな?」
「ええ、わかったわ!」
 マリーベルはようやく妥協点を見つけ、ぱっと顔をはなやがせて、そのまま青年に背を向けた。
 たしかに、青年の言う通り、大通りのすぐそこに一台の馬車がとまっている。
 マリーベルは馬車まで駆け寄ると、御者台に座る壮年の男に声をかけた。
 すると、御者はさっと顔色を失い、転げ落ちるように御者台から降り、一目散に青年へ駆けて行く。
 その後を、マリーベルも慌てて追う。
「ご主人様! どうなさったのですか、そのお姿は……!」
 あたふた駆け寄る御者に、青年はばつが悪そうに微笑を浮かべる。
 さすがに、使用人に格好悪い姿を見せるのは、あまり面白くないのだろう。
「ああ、ちょっとね。それより、馬車まで連れて行ってくれないかな? どうも歩けなくて」
「かしこまりました」
 御者はそう言うと、青年にさっと手を貸す。
 青年は御者の肩を借り、一歩一歩馬車へ歩いていく。
 その横を、不安げにマリーベルもついていく。
 馬車までたどり着き、御者が青年を乗せようとすると、青年はさっと手を出しそれを制した。
「ちょっと待って」
 そして、馬車に乗り込もうとする青年を見ていたマリーベルに向き直る。
「ありがとう、助かったよ。もうここでいいよ。近くに君の供がいるのでしょう? 女性がこんな夜更けに一人歩きもないだろうからね」
「え……!?」
 マリーベルは、青年の言葉にはじめて、デュークがそこにいないことに気づいた。
 あの時、気配に気をとられ、すっかりデュークのことは忘れていた。
 いや、デュークのことだから、マリーベルの後を追ってきているものだと思っていた。
 しかし、今ここにデュークがいないということは、デュークも追いつけないほどに、マリーベルは暴走してしまっていたということだろう。
 マリーベルの顔から、さあと色が失せていく。
「ど、どうやら、はぐれちゃったみたい」
 あははと愛想笑いをして、マリーベルはぽつりつぶやく。
 青年は一瞬ぽかんとマリーベルを見つめ、そしてふっと笑った。
「じゃあ、僕が君を送ろう。君のおかげて助かったし、お礼だよ」
 にっこり笑い手を差し出す青年に、マリーベルはきまり悪そうに微苦笑を浮かべる。
「ありがとう」
 そして、素直に青年の手をとった。
 ここで青年の申し出を断ることは、さすがにマリーベルにもできなかった。
 散々迷惑をかけてしまったのだから、これ以上失礼はできない。
 何より、ここからデュークの屋敷までの帰り道がわからない。素直に好意に甘えるほかないだろう。


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