闇に生きる魔物(2)
闇夜の月に焦がれる太陽

 月は妖しく赤く輝いている。
 窓硝子一枚を隔て、明かりが落とされた部屋に月光が差し込んでいる。
 申し訳程度にともっていた燭台の灯りは、今はもう消えている。
 赤い月明かりを受け、妖しく二つの血色の瞳がきらめく。
 そして、鮮やかな赤を放つ舌が、その口からどろりとのぞく。
「くすくすくす……。本当、馬鹿な娘だ。人間如きがこの僕にかなうわけがないというのに」
 口元を白いハンカチでぬぐいながら、血色の瞳を持つ男がつぶやく。
 その視線の先には、青白い顔をした少女が力なげに眠っている。
 少女の首筋には、二筋の血がにじむ痕。
 口をぬぐったハンカチは、赤いしみがついている。
 男はふと何かに気づいたように、少女の口元をその白く長い指でぬぐい、それをぺろりとなめた。
 少女の口元にもまた、赤いものがつややかに光っていた。
 その赤いものは、恐らく、錆の味がする液体――鮮血。
「マリーベル、これで君は僕のものだよ」
 血色が悪い少女――マリーベルの頬にすっと触れ、男――ダークはつぶやく。
 一般的に、吸血鬼にかまれた人間もまた吸血鬼になると言われている。
 人間たちの間ではそう信じられているけれど、実際にはそのようなことはない。
 たいていはそこまでに至らず、体中の血を奪われ失血死してしまう。
 吸血鬼が意志を持って噛みつき吸う血を少量にとどめ、そして自らの血を分け与えてはじめて、人間は吸血鬼と化す。
 しかし、それはとても骨が折れる行為なので、吸血鬼もなかなか実行したりはしない。
 その事実を知っているのは、吸血鬼と人間ではヴァンパイア・ハンターを生業とする者たちくらいだろう。
 実際には失血死ばかりで吸血鬼になる事例がほとんどないので、それは人間たちに迷信のように信じられているにすぎない。
 そのため、人間たちに吸血鬼は恐怖の対象とされ、その生態を知る者は少ない。
「さあてと、あとは時が満ちるのを待つだけか」
 そうダークがつぶやいた時だった。
 にわかに部屋の外が騒がしくなった。
 誰かが乱暴に廊下を走る音、それにつづけ鬼気迫ったような叫び声。
 それは次第に大きくなり、この部屋へ近づいてきているように聞こえる。
 それに気づいたダークは、いまいましげに舌打ちをした。
 マリーベルに触れる手をはなし、面倒くさそうにベッドから降りる。
 その瞬間、部屋の扉が乱暴に開けられ、デュークとジョナスが飛び込んできた。
 そして、それに遅れてメロディと、追ってきたのだろう使用人の姿。
 しかし、使用人はそこにダークの姿を確認すると、そのまま踵を返して、また廊下の向こうへ駆けていく。
 ダークの血色の瞳の奥に、何かを感じ取ったのだろう。ダークと目が合うと同時に、まるで逃げるように使用人は駆けて行ったから。
「ずいぶんとお行儀が悪いですね」
 ダークは三人を認めると、うっとうしげにふうと大きくため息をついた。
 それから、醜く顔をゆがめ、デュークをにらみつけた。
 その瞳は怒りに満ちている。
「一体、何をしにいらしたのです? いくらリープ家当主とはいえ、他人の家に無断で入るとは、誉められた行動ではありませんね」
 ダークは馬鹿にするようにくっと笑う。
 しかし、デュークはその挑発じみた言動には動じることなく、ただ静かに言い放った。
「マリーベルはどこだ。マリーベルを返してもらおうか」
 つとめて冷静を装っているけれど、デュークのその胸の内はいかほどか……。
 はらわたが煮えくりかえる程度では、とうていおさまらないだろう。
 今にも暴発してしまいそうなほど、怒りと憎しみが体中からにじみでている。
 少しでも刺激を与えれば、そのまま爆発してしまいそう。
「マリーベル? ああ、それならばそちらに……」
 ダークは一瞬とぼけてみせようとしたけれど、すぐに面白いことを思いついたようににっと笑った。
 そして、視線をちらりと背後へやり、それで指し示す。
 ダークの視線に引かれるように、デュークとジョナスの視線も自然にそちらへ動いていた。
 同時に、そこにマリーベルの姿を確認すると、飛び出しそうなほど目を見開いた。
「マリーベル!!」
 デュークはそう叫び、色を失った顔でマリーベルに駆け寄る。
 ダークの背後のベッドに横たわるマリーベルの首筋に、血がにじんでいた。デュークはそれに目ざとく気づいた。
 それはちょうど、吸血鬼の牙のかたちのようにきっちりまるく小さな点があり、そのまわりが赤く染まっている。
 しかし、マリーベルにたどりつく寸前、ダークがさっと伸ばした腕が、デュークのいく手を阻んだ。
「邪魔をするな!!」
 ダークの腕を振り払い、デュークは怒鳴る。
 しかし、ダークは涼しい顔で払われた腕を戻し、またデュークの進行をさえぎる。
 にやりと、不敵な笑みをデュークへ向ける。
「安心してください、ご当主。彼女は死んではいませんよ」
 その言葉に明らかな戸惑いを見せるデュークを見て、ダークは意味深長ににやりと笑う。
「ただ、今はほんの少し眠ってもらっているだけです。そう、時がくるまでは。リープ家当主のあなたなら、この言葉の意味がわかりますよね?」
 デュークの体が大きく揺れた。
 顔からは色を完全に失い、声にならない悲痛な叫びを上げる。
 ぐらりと揺れるデュークの体を支えようと、ジョナスが駆け寄る。
 ジョナスががっちり肩を抱き支えると、デュークはそれをさっと制した。
「いい、大丈夫だ」
 気持ちを奮い立たせどうにかそうつぶやくデュークを見て、ダークはますます興を覚える。
 面白いくらいにデュークが思惑通りの反応を示すので、ダークは楽しくて仕方がない。
「それよりも、いいのですか? そのようにのんびりしていて。もうそろそろですよ? 彼女が目覚めるのは」
 ダークは挑発するように、デュークにちらりと視線をやる。
 しかし、その挑発にのると思いきや、デュークは力なくうなだれるのみ。
 デュークにはもう、そのような気力は残されていないらしい。
 体すべてが嗚咽をあげるように、その場にずるずるくずおれていく。
「デュークさま、何を弱気になっているのですか! まだ時間はあります、マリーベルさまを……!!」
 ジョナスはデュークの腕をぐいっとつかみ、立ち上がらせようとする。
 このままここで絶望感にさいなまれていても仕方がない。
 いつになく弱気なデュークに、ジョナスはいらだちを覚える。
 こういう時こそデュークが主になって動かなくてどうする。この危機的状況をどうにかできるのはデュークしかいないのに、そのデュークが動かなくてどうする。
 マリーベルを助けられるのは、デュークしかいない。ジョナスではどうしようもない。
 苦痛と希望、いらだちと願い、反する気持ちをこめて、ジョナスはデュークを叱咤する。
 ジョナスの叱責に、デュークははっと何かに気づいたように大きく体を震わせ、もう一度自らを奮い立たせる。
 このままここでうちひしがれていても何もはじまらない。
 もうそろそろといっても、マリーベルはまだ目覚めたわけではない。
 目覚める前に対処することができれば、あるいは――。


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