悲しい恋の昔話(1)
闇夜の月に焦がれる太陽

 新雪を踏みしめると、きゅっと鳴く。
 思い切り息を吸い込むと、澄んだ雪の香りが鼻をくすぐる。
 さわやかな真冬の早朝。
 ジョナスのすすめもあり、デュークにおいてきぼりをくらったマリーベルは、使用人の娘たちとともに午前のお茶の時間を楽しんでいた。
 近頃のマリーベルは、この屋敷にはじめてやってきた時とは違い、何人かの使用人たちとは普通に話をするようになった。
 遠巻きにしていた使用人たちも、マリーベルとデュークの追いかけっこを見ているうちに、遠慮しているのが馬鹿らしくなったのかもしれない。
 また、マリーベルも特別扱いを嫌い、使用人たちと普通に接している。
 もともと田舎の娘なので、彼女たちとたいして変わらないのもあるだろう。
 マリーベルは主人の客人にもかかわらずお高くとまったところがないのも、使用人たちと打ち解けるいいきっかけになったのかもしれない。
 デュークが帰って来るまでの暇つぶしとはいえ一人でお茶をするのも味気ないので、その辺りにいた使用人たちも引っ張り込んだ。
 厳しい執事にしかられるかと思ったけれど、その執事が許しているので問題はない。
 会話はもちろん、彼女たちの恋の話。
 あえてさけているのか、それともぎりぎり使用人の慎みは忘れていないのか、マリーベルがデュークとの関係を追及されることはない。
 そうして楽しい時間を過ごしていたはずなのに、何故かマリーベルは今街にいる。
 街の中を、白い息をはきながら駆けている。
 昨夜降り積もった雪は、ようやく除雪作業がはじまったばかりで、街の道といえど歩きにくい。
 マリーベルが足を動かすたび、雪はからみついたり、きゅっきゅっと鳴いたりする。
 この街にまだよく慣れていないマリーベルは、焦りつつも冷静さを欠くことなく、迷子にならないようにいちばん大きな道を全速力で駆けている。
 ふと前方を見ると、見覚えのある紳士がちょうど馬車から降りてくるところだった。
 マリーベルはさっと足をとめた。
「あ、ファーガソン公爵さま」
 そして、思わずそう声をかけていた。
 すると、紳士はマリーベルへ振り返り、微笑みを浮かべた。
「おや? 昨日、デュークくんと一緒にいたお嬢さんだね」
「はい、こんにちは」
 マリーベルも乱れた息を整え、微笑む。
「こんにちは。今日は一人なのかい?」
 紳士はさっと片手をあげ御者に合図をし、下がらせる。
 すると御者は一礼をして、御者台に乗り込むとそのまま馬車を走らせていく。
 マリーベルはそれを横目でちらっと見て、さっとファーガソンに向き直った。
「え、ええまあ、ちょっとデュークから逃げてきたので」
 そして、ちらちらと警戒するように辺りを見まわす。
「逃げてきた?」
 ファーガソンは、不思議そうに首をかしげる。
 マリーベルは握りこぶしをつくり、力強くうなずく。
「だって、デュークってば、わたしに自分好みの服を着せたがるから。前は執事のジョナスが味方してくれていたのに、最近はデュークの味方ばかりなのよ」
 マリーベルは、ぷうと頬をふくらませすねて見せる。
 ファーガソンはおかしそうにくすりと笑った。
「どうやら、わたしはのろけられたのかな?」
「ち、違います!」
 からかうような目で見るファーガソンに、マリーベルは慌てて否定する。
 顔は真っ赤になり、わたわた両手を振り、やはり力いっぱい否定する。
「しかし、わたしの目には、二人は仲良く見えたけれどね」
「嘘、絶対に違う。絶対に違うわよ。そんなふうに見えちゃだめなのよ……」
 マリーベルは衝撃を受けたように目を見開きファーガソンを見つめると、ぷいっと顔をそむけ、辛そうに唇をかみしめた。
 ふるんと首を一度小さくふる。
 マリーベルは、懸命にそう見えないように振る舞おうとしている。けれど、はたから見れば、どうしてもそう見えてしまうのだろうか?
 どんなに頑張っても、もう誤魔化せないのだろうか?
 絶対に、そう見えてはいけないのに。マリーベルのためにはもちろんのこと、何よりデュークのために。
 ファーガソンは、急に元気がなくなったマリーベルを不思議そうに見ている。
 そして、ふっと口のはしをゆるめた。
「お嬢さん、……マリーベルさんといったかな? もし時間があるなら、わたしと少し話さないかい?」
「……え?」
 マリーベルは振り返り、ファーガソンをじっと見つめる。
 話といわれても、マリーベルには何を話せばいいのかわからない。何を話していいのかわからない。
 ファーガソンは一体、マリーベルと何を話したいというのだろうか?
「わたしも、デュークくんを気にかけていてね、よければ話してくれないかな?」
 ファーガソンは、探るように見てうなずこうとしないマリーベルを促すように歩き出す。
 マリーベルも思わず、促されるまま歩き出していた。
「マリーベルさんも知っているとは思うけれど、彼は早くにご両親をなくされてね」
「え? デュークが?」
 おだやかに語りだしたファーガソンの言葉に、マリーベルは思わず大きく反応していた。
 怪訝にファーガソンを見つめる。
「知らないのかい?」
 ファーガソンは、驚き目を丸くする。
「……聞いていない」
 マリーベルはさっと視線をそらし、どことなく悔しそうにつぶやいた。
 デュークのことをそれほど多くは知らないけれど、そんな重大なことを聞かされていなかったとは。
 しかも、それを、デューク本人ではなく、こうして第三者から聞かされることになるなど……。
 たしかに、マリーベルはデュークのことをあまり知らない。けれど、こういうことは言って欲しかった。
 何故かはわからないけれど、腹立たしさを覚え、同時に胸が激しく痛む。鼓動が早くなる。
「そうか。まあ、それでね、彼のご両親と親交もあったことだし、気にかけてはいるのだよ。彼もまあ、いろいろあるから……」
 顔を曇らせたマリーベルにかまわず、ファーガソンはつづける。
 どうやら、ファーガソンはマリーベルの顔色の変化に気づいているようだけれど、何か思惑があるのだろう、あえて気にかけていないふりをしているように見える。
「それは、デュークがリープ家でも特別だから?」
 マリーベルは険しい目で、ファーガソンを見る。
 すると、ファーガソンは驚いたようにマリーベルを見て、ふっと笑った。
「おや、それは知っているのだね」
「ジョナス……デュークの執事が言っていたから」
 マリーベルは不満そうにぽつりつぶやく。
 そう、それも、マリーベルはデュークから聞いたわけではない。
 こうしてみると、マリーベルは大切なことすべて、デューク本人の口から聞いていないような気がする。
 どうして、デュークはマリーベルに何も言わないのだろうか?
 こうして、他人から聞かされてばかりは、すごく面白くない。
 マリーベルだって、デューク本人から、デュークの大切なことを聞きたい。
 聞けないのならば、他人に聞かされるのではなく気づきたかった。
「では、そこまで知っているのなら、是非デュークくんの力になってやってくれないかな」
「どうして、わたしにそんなことを……?」
 おだやかに語るファーガソンとは対照的に、マリーベルは怪訝にファーガソンをちらりと見る。
 声もどことなく重い。
「なんとなくね、君なら彼のことをわかっていると思ったから」
 けれど、ファーガソンはマリーベルの明らかな不審にかまわず、相変わらずゆったり語り続ける。
 どこともなくあてなく、首都の大通りをゆっくり歩き続ける。
 ファーガソンはマリーベルを見下ろし、優しい眼差しを向ける。
 マリーベルは思わず、わずかに肩を揺らした。
 そして、くすりと小さく笑う。
「変なの。デュークも言っていたわ。ファーガソン公爵さまにはよくしてもらっているって。どうやら本当みたいね」
「デュークくんが? それは嬉しいね」
 ファーガソンは驚く真似をして、にっこり笑う。
 その少しからかっているような素振りに、マリーベルは思わず肩を落としてしまった。
 この公爵さまはぶざけているのか本気なのか、それとも、ただおちゃめなだけなのか。
 一瞬不審に思ったけれど、やはり第一印象通り悪い人ではない、優しい人のようにマリーベルは感じる。
 だからといって、無条件で信用したわけではない。信用してもいい人というだけ。
 まだ出会ったばかりの人を信用するほど、マリーベルは素直にはできていない。
 でもきっと、心のほとんどは、この老紳士をほぼ受け入れてしまっている。
 何故かはわからないけれど、ファーガソンにはマリーベルをひきつける優しさがある。
「それに、君も実にいい娘だ」
「え?」
 おだやかに微笑むファーガソンを、マリーベルは思わずぽかんと口をあけ見つめる。
 ファーガソンは、マリーベルの頬を包み込むようにふわりと触れる。
 マリーベルは、ファーガソンの手をはらいのけることはなく、じっと見つめた。
 ファーガソンはどことなく淋しげに眉尻を下げる。


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update:10/01/01