優しい狩人(3)
闇夜の月に焦がれる太陽

 今朝のマリーベルは、いつもより食が細かった。
 食が細いというよりかは、食べ物がのどを通ってくれなかったが正しいだろう。
 昨夜のこと、そして朝食前に言われたデュークの言葉が、マリーベルの頭の中をぐるぐるまわって食事をするどころではなかった。
 マリーベルもさすがに気づいている。気づかないはずはない。
 けれど、どうしてもそれを認めてはいけない。
 胸も思いもこんなぐらぐら揺れているけれど、どうにか欠片程度残った理性がそれを押しとどめてくれている。
 しかし、その理性もいつかは押し負けてしまうだろう。
 その時のことは、恐ろしくて考えたくもない。
「どうしたの? 二人そろって……」
 窓辺に座り、ぼんやり外を眺めていたマリーベルのもとに、プリシラとハロルドが訪ねてきた。
 この部屋の扉がたたかれたことに意識せず、ただ条件反射のように返事をしたら二人が入ってきた。
 そしてまた、ぼんやりその姿を目に映し、ぼんやりつぶやいた。
 マリーベルの問いかけに、プリシラとハロルドは互いに目配せし合い、体をもじもじゆらしている。
 何かに精一杯で気をとられているようで、心ここにあらずといった様子のマリーベルには気づいていない。
 ハロルドが意を決したように顔をひきしめた。
「あの、実は、今日はマリーベルさんにお礼を言いに」
「お礼? わたしに?」
 ようやく飛んでいた意識を引き戻したように、マリーベルはぱちくりとまばたきし、首をかしげる。
 また、プリシラとハロルドが視線を合わせ、うなずきあう。
 プリシラがハロルドの手を引き、ずんずんマリーベルに歩み寄る。
 マリーベルのすぐ前までくると、ハロルドの顔がかっと真っ赤になった。
「はい、あなたのおかげで、僕たち……結婚することになりました」
「ええ!? け、結婚!?」
 勢いにまかせるようにハロルドがそう言うと、マリーベルは思わず立ち上がり叫んでいた。
 目を白黒させ、プリシラとハロルドを交互に見る。
 いきなりやって来て、いきなり何を言い出すのか……。
 展開が速すぎて、マリーベルにはついていけない。
 一体、何がどうなって、今こうなっているのだろうか?
 ふっと、プリシラの口元がおかしそうにゆるんだ。
 そして、驚き口をあんぐりあけるマリーベルの両手をとる。
「あのね、わたし、マリーベルに言われた通り、ハロルドに話してみたの。そしたら……」
「人間とか吸血鬼とか気にしません。プリシラがプリシラであるということが、僕には大切なんです。彼女の両親がそうであったように、僕たちもきっと……」
 ハロルドは上体を乗り出し、訴えるようにマリーベルに告げる。
 マリーベルはやっぱりあっけにとられたまま、プリシラからハロルドに視線を移した。
 すうと、マリーベルの目が優しく細められる。
「そっか、おめでとう」
 にっこり笑ってそう言った瞬間、マリーベルの目からほろりと涙がこぼれ落ちた。
「マ、マリーベル!?」
 プリシラはぎょっとして、マリーベルを凝視する。
 たしかに、驚くようなことを言ったとプリシラにも自覚はあるけれど、だからって泣かれるほどとは思っていなかった。
 何より、プリシラが知る限りいつも強気なマリーベルの目から、まさか涙がこぼれるなど、誰が思うだろうか。
「あ、ごめん。なんだか嬉しくて。――プリシラ、あなたの存在を知った時もそうだったけれど、人間と吸血鬼の恋は実るって証明してくれてありがとう」
 ぐいっと目元をぬぐい、マリーベルは精一杯笑って見せる。
「そういえば、マリーベルは……。そっか、マリーベルは本当に優しいヴァンパイア・ハンターね」
 プリシラはふっと笑うと、そのままマリーベルをふわりと抱きしめる。
 プリシラのやわらかな髪が、マリーベルの頬をくすぐる。
「プリシラ……?」
 マリーベルは不思議そうに首をかしげ、すぐ横にあるプリシラの顔をちらりと見る。
 どうして今、プリシラに抱きしめられているのか、どうしてプリシラからその言葉がでたのか、マリーベルはいまいちわかっていないらしい。
 どうして、マリーベルは優しいヴァンパイア・ハンターなんて、プリシラは言うのだろうか?
 ヴァンパイア・ハンターは吸血鬼の敵、そのはずなのに。
 たしかに、少々吸血鬼に肩入れし、ハンター仲間からは鼻つまみ者扱いされることはあるけれど、マリーベル自身変わり者という自覚はあるけれど、まさかそれが優しいに変換されてしまうなど思っていなかった。
「あなたみたいなヴァンパイア・ハンターがいてくれてよかった」
 プリシラはマリーベルの耳元でささやくと、またきゅっと抱きしめる。
 マリーベルはどうすればいいのかわからず、プリシラの腕の中でおろおろしている。
 プリシラはマリーベルの頭に手をやり、そっとなでる。
「わたしたち、絶対に幸せになるわ」
 マリーベルはばっとプリシラを見た。そして、皮肉るようににっと口のはしをあげた。
「うん、幸せにならなきゃ許さないからね」
「もちろんよ」
 そうして、プリシラはゆっくりとマリーベルを解放する。
「とりあえず、今日はこれで帰るわね。なんだか恥ずかしくて、これ以上いられそうにないから」
 そう言って、幸せそうにハロルドと手を取り合って帰っていくプリシラの背を、マリーベルはじっと見つめていた。
 切なげに、マリーベルの顔がゆがむ。
 扉が閉まる直前、マリーベルはさっとそこから視線をそらした。
 苦しげに、視線を落とし床をにらみつける。
 毛足の長い絨毯が、マリーベルの足をくすぐっている。
 暖炉に火がともり、ぽかぽかとあたたかい部屋にいるはずなのに、何故かマリーベルの心は寒かった。寒風が吹いている。
 プリシラとハロルドは、種族の違いを超えて決断した。
 では、マリーベルは?
 決意しているはずなのに、まだどこかで揺れ動いている。
 普段、ぞんざいに扱ったり、気づいていないふりをしているけれど、本当はマリーベルもデュークの気持ちに気づいている。
 気づいていて、だからこそ、そういうふうに振る舞う。
 自分の気持ちに正直になってはいけないことをわかっている。
 そして、この冬、リープ家に滞在して、痛いほど実感している。
 デュークとの差を。身分の差を。
 だから、気づきそうになるたびに、必死にその思いを押し殺している。
 気づかないようにしようとするほど、何故かそれは激しくマリーベルに攻撃をしかけてくる。
 今日も、雪がぱらぱら降っている。
 それは、果たしてマリーベルの今の思いをあらわしているのか……?
 否、マリーベルの今の思いは、こんな生易しいものではない。
 街ひとつ飲み込んでしまいそうなほど、激しい嵐。


 プリシラとハロルドは、雪がぱらぱら舞う中、寄り添うように街へ続く道を歩いている。
 二人とも、馬車を持てるほど余裕がある家柄ではない。
 よくて、辻馬車をひろう程度。
 一般人のたいていは、これが普通。
 街へ出るたびに馬車に乗っているマリーベルたちの方が珍しい。
 まあ、リープ家ほどの財力があれば、馬車を持っていて当然なのだけれど。
 雪が積もった坂道を下り、ようやく街の入り口にさしかかった頃、ふいにプリシラに声がかかった。
「ねえ、君、そこの混血の吸血鬼」
 そう言いながら、年季が入った建物の陰から、一人の男がすっと姿を現した。
「……え?」
 怪訝に思い振り返ると、プリシラは眉根を寄せ顔をしかめる。
 そこに現れた男は、どこか不気味な雰囲気を背負っていた。
 金の髪に、妙に印象的で恐ろしい赤い目をしている。
 身なりも整いどこもやましいところはないはずなのに、普通の人間には見えない。
 今にも数多の人を食い殺してしまいそうな、するどい、血に飢えた獣の目をしている。
 プリシラは、反射的にハロルドをその背にかばう。
 男はプリシラの行動を見てくすりと笑うと、赤い口をにやりと引き上げた。
「君に、お願いがあるのだけれど……」
 男がそう告げた瞬間、プリシラの顔からさっと血の気が失せ、体ががくがく震えだした。
 嫌な予感がする。何かよくないことが起こる。
 これ以上、この男の言葉に耳を傾けてはいけない。
 今すぐこの場を逃げ出さないと、プリシラもハロルドも危ない。
 そうわかっているのに、何故かプリシラの体は動いてくれない。
 はらりと舞う雪がひとつ、プリシラの頬に触れ、じわり解けていく。


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update:10/04/07