闇の中の光(1)
闇夜の月に焦がれる太陽

 しゃりと、雪を踏む音が、先ほどまでの吸血鬼との戦いが嘘のように静まり返ったその場に響いた。
「すべて、終わったのだね」
 デュークの胸にすがるように顔をうずめるマリーベルに、ファーガソンが静かに声をかける。
 マリーベルははっとして、慌ててデュークの胸から顔をはなす。
 同時に体も離そうとしたけれど、それはデュークが許さなかった。
 マリーベルは早々に諦めて、デュークの胸の中から顔だけをファーガソンに向ける。
 いや、あるいは、マリーベルもまだそこにとどまっていたいと、心のどこかで思っているのかもしれない。
「ファーガソン公爵さま。……はい。巻き込んでしまって申し訳ありません」
「いや、わたしこそ、君たちの邪魔をしてしまってすまない」
 ファーガソンは、申し訳なさそうにマリーベルを見つめる。
 マリーベルは、ふるふると首を横に振った。
 それから、デュークを見つめ、ようやく決意したように、ゆっくり体を離していく。
 今度は、デュークもそれをとめようとはしない。
 名残惜しそうに、いつまでもその手だけは握り締めようとしているけれど。
「マリーベル?」
 デュークは、戸惑いがちにマリーベルを見つめる。
 マリーベルはすがるようにデュークを見つめた後、思い切って握るデュークの手もはなしていく。
 そして、じゃりじゃりと雪を踏み鳴らし、デュークとファーガソンから後退していく。
 ぴたりと、マリーベルの足がとまった。
「デューク、ファーガソン公爵さま、そしてプリシラ、わたし、北の町に帰るわ。やっぱり、このままここにいてはいけないと思うの」
「マリーベル!? どうして……!?」
 デュークは驚きに目を見開き、マリーベルへ迫るように腕をのばす。
 けれど、すっと手をあげ、マリーベルはそれを制する。
 デュークはぐっと息をのみ、渋々足をとめた。
 苦しげにマリーベルを見つめる。
「きっと、これからも、わたしはこうして吸血鬼に狙われ続けると思う。わたしがここにいては、みんなを危険な目にあわせてしまう」
 ふっと、自嘲気味にマリーベルの口のはしがあがる。
 たとえ北の町へ帰ったとしても、今度はそこで同じようなことがあるかもしれない。
 とても傲慢で利己的で自分勝手なことだとわかっているけれど、同じ危険に巻き込むなら、より愛しい人からそれを遠ざけたい。
 そのために、マリーベルはここにいてはいけない。愛しい人からはなれなければならない。
「そんなことはない。仮にそうだとしても、その時は俺がマリーベルを守る! 一緒に戦ってやる!」
 デュークはマリーベルへじりっと一歩踏み出し、叫んだ。
 しかし、それを拒絶するように、マリーベルはデュークからすっと視線をそらし、きゅっと両手をにぎりしめる。
 そして、吐き出すように言い放つ。
「それが耐えられないのよ。デュークはわたしにいろんなことをしてくれる。でも、わたしはデュークにしてあげられることはひとつもないもの」
「違う。マリーベルが俺のそばにいてくれるだけで、俺は十分だ。俺は救われる! 俺はマリーベルだけが欲しい!」
 じりっと、また一歩、デュークの足がマリーベルへ迫る。
 マリーベルはさっと顔をあげ、訴えるようにデュークを見つめる。
 その目には、いっぱいの涙があふれている。 
「わたしには、地位も血筋もお金もないもの。そんなわたしが、あなたに何をしてあげられるというの? ただ、こうして迷惑をかけるだけだわ」
 マリーベルはそう言い放つと、またさっと顔をそむけた。
 そこで、苦しみに耐えるようにふるふる体を震わせている。
 デュークはまた一歩踏み出し、そしてそのままマリーベルへ向かい駆け出そうとした。
 けれど、ファーガソンがデュークの腕をつかみ、制する。
 デュークは非難するようにファーガソンをにらみつける。
 けれど、デュークを背へ追いやり、ファーガソンは戸惑うマリーベルに静かに語りかける。
「マリーベルさん、では、わたしのところに来るかい?」
「……え?」
 マリーベルはゆっくり顔をあげ、訝しげにファーガソンを見た。
 マリーベルは北の町へ帰ると言ったばかりなのに、とめるならまだしも、どうしてそういうことになるのか不思議に思う。
 大切な人を守るため北の町へ帰ると言ったマリーベルに、たとえどのような形でも首都に残る選択肢はないはず。なのに……。
 その意図がわからずおろおろしはじめてしまったマリーベルに、ファーガソンは優しく微笑みかける。
「年寄りの一人暮らし。何も遠慮はいらない。デュークくんのそばにいることが辛いなら、一度彼からはなれて、自分の気持ちを見つめなおすのもいいだろう。わたしもまだ、君を帰したくはないからね」
 マリーベルは驚きに目を見開き、ファーガソンをじっと見つめる。
 たしかに、デュークのそばにこれ以上いるのは辛い。
 大切な人たちの中でも、マリーベルはデュークをいちばん傷つけたくない。
 デュークは、マリーベルのためならどのような危険も顧みないだろう、そうわかるから、だからデュークを守るためにもデュークから離れなければならない。
 しかし、ファーガソンは、そんなマリーベルの決意にゆさぶりをかける。
 デュークからはなれなければならない。けれど、デュークからはなれたくない。そんな矛盾したふたつの気持ちの間でぐらぐら揺れている。マリーベルの決意はそれほど不安定なもの。だからこそ、自らを叱咤して、いちばんはなれたくない人からはなれようとしている。
 それを、ファーガソンは邪魔しようというのだろうか?
 ファーガソンの真意をさぐるように見つめ、マリーベルはすぐにふるると首を振った。
 そして、自らに言い聞かせるように語っていく。
「辛いけれど、可能な限りそばにいたい。そのために、わたしは北の町に帰らずに残ったの。これが最後と諦めるために……」
「そうだね」
 ファーガソンはデュークをその場に残し、マリーベルに歩み寄り、優しく抱き寄せた。
 マリーベルは抵抗することなく、素直にその腕に体をゆだねた。
 ぼんやりかすむ目で、ファーガソンを不思議そうに見つめる。
 それが、帰ろうと思えば帰れたけれど、それでも首都に残った本当の理由。
 すべては、気持ちに決着をつけるため。
 デュークのために、デュークを手放す。
 デュークと完全に決別するために、マリーベルは今まで首都にとどまっていた。
 ファーガソンに身を寄せていたマリーベルが、はっと何かに気づき、こらえていたもの吐き出すように、じわりと切なげに顔をゆがめていく。
 そして、これまで抱いていた苦しみすべてを吐き出すように、ファーガソンを見つめる。
「嬉しかった。デュークがわたしを求めてくれることが。気持ちをくれることが。でも、わたしではこたえられないから」
 マリーベルは一気にそう言い放つと、そのままファーガソンの胸にすがりつく。
 体を小刻みにゆらし、ファーガソンの腕の中で静かに泣きはじめる。
 その目から、とめどなく涙が零れ落ちていく。
 それまで黙ってマリーベルの様子を見守っていたデュークが、さっとファーガソンの横にならぶ。
 そして、一気にファーガソンの腕の中から、マリーベルを少し乱暴に奪い取った。
 デュークは、苦しいくらいにマリーベルを強く抱きしめる。
「デュ、デューク!?」
 マリーベルは、ぎょっとして目を見開いた。
「この馬鹿っ。地位とか血筋とか金とか、そんなものはいらない。俺が望むものは、マリーベル、お前だけだ、お前自身だ。マリーベルがいれば、他は何もいらない」
「……デューク?」
 マリーベルはデュークの腕の中で、おろおろとして身じろぎする。
 デュークの目がすっと細められ、包み込むような優しい眼差しをマリーベルに落とす。けれど、その瞳の奥は強い決意に燃えている。
「だから、もう何も考えるな、迷うな。俺に飛び込んでこい。俺のすべてをかけて、お前を守り愛しぬく」
 拒絶することは許さないと、まっすぐマリーベルを見つめ、その姿を澄んだ緑の瞳に映している。
 驚き見つめていたマリーベルの顔が、瞬時に真っ赤に染まった。
 責めるように、デュークをにらみつける。
「ば、馬鹿はそっちよ。なんておろかな男なのよ。自信過剰もいいところよ。そんな恥ずかしいことを、よくこんな……っ」
「今さらだね」
 デュークは得意げににっこり笑い、さらりと言い放った。
 マリーベルは、ぽかんと口をあけ、呆れたようにデュークを見つめる。
 けれどすぐに、皮肉るように、観念したように肩をくすめ、くすりと笑った。
 いたずらっぽく目をゆらめかせ、デュークを見つめる。
「デューク、あなたには負けたわ」
 そしてそう言うと、マリーベルは素直にデュークの胸に頬を寄せる。
 あるいは、すべての災い、危険から守ろうとすることは、デュークにかかれば杞憂なのかもしれない。
 マリーベルの助けなど必要ないほどに、デュークは強く愚かしい。
 気持ちよさそうにデュークの心臓の音を聞きながら、マリーベルはそっと目を閉じた。
 デュークは大切に、マリーベルをその両腕に包み込む。


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update:10/08/03