闇の中の光(2)
闇夜の月に焦がれる太陽

「たしかに、身分など実に瑣末なことだね」
「ファーガソン卿?」
 デュークははっとして、慌ててマリーベルを少しだけひきはなした。
 顔が真っ赤にそまっている。
 マリーベルも、ぱちっと目をあけ、すぐ横にファーガソンの存在に気づき、デュークの腕の中でうろたえる。
 ファーガソンのその言葉を聞くまで、マリーベルもデュークもすっかり失念してしまっていた。
 この場には、二人だけではなく、ファーガソンとプリシラもいたということを。
 プリシラはぷいっとそっぽを向き、あえて視線をそらしている。
 けれど気になるのか、時折、ちらちらっとマリーベルとデュークを横目で見ている。
 マリーベルに指摘された時は気にもならなかった。けれど、こうしてマリーベルの気持ちを確かめ腕にしっかり抱いていると、デュークがいかに恥ずかしいことを口にしていたのかようやく理解できるようになった。
 そして、理解してしまったら、デュークは恥ずかしくて仕方がない。
 デュークは、なんて気障な台詞を、恥ずかしげもなく口にしていたのだろうか。
 穴があったら入りたいとは、まさしく今のデュークの心境を言うのだろう。
 思ってもいないことを口にしたわけではないが、とてつもなく恥ずかしい。
 いかにくさくてこっ恥ずかしい台詞をはいたかを自覚し、デュークはマリーベルとともにうろたえはじめる。
 そんなデュークを見て、くすりと、ファーガソンはおかしそうに笑った。
「安心しなさい。君たちは、一緒になるのに何の問題もないよ」
 くすくす楽しげに笑いながら、ファーガソンがたわいなく語った。
 ぴたりと動きをとめ、マリーベルとデュークは怪訝にファーガソンを見る。
 うろたえつつも、そして訝しがりつつも、二人は互いの体をはなすことなく寄り添っている。
「え……? でも身分が……」
「マリーベル、まだ言うの?」
「だ、だって……っ」
 腕の中でぽつりつぶやくマリーベルを、デュークはたしなめるように見つめる。
 マリーベルはばつが悪そうに、さっとデュークから顔をそらした。
 たしかに、つい先ほど、マリーベルはデュークには負けたと言ったばかりなのに、相変わらず身分を気にするなど、デュークにとっては面白いことではないだろう。いい加減、マリーベルには諦めてもらわねば困る。
 ふと、ファーガソンの口元がゆるむ。
 そして、意地悪くにっこり笑った。
「身分か。公爵のわたしの孫なのだから、侯爵のデュークくんと一緒になるのに、何の問題があるのかな?」
「ええっ!?」
 マリーベルとデュークは、同時に叫んでいた。
 そして、目を皿のように丸くして見つめ合う。
 デュークの向こう側では、プリシラが動揺しつつもぱっと顔をはなやがせている。
 ファーガソンはふわりと優しい笑みを浮かべ、デュークに抱かれるマリーベルの足元にすっと跪いた。
 それから、マリーベルの手をゆっくりとっていく。
「マリーベル、これまで一人で頑張らせてすまなかった」
「あ、あの……?」
 マリーベルはうろたえながら、ファーガソンの手にのせる手を引こうとする。
 その手を、ファーガソンはぎゅっと握り締めた。
「君に言ったことがあるね? わたしにはかつて娘がいたと。それが、君の母親、シンシアだよ。そして、娘とともにいった男の名は、ルーク・ダグラス」
「お父さんとお母さんの名前……」
 震える声で、マリーベルはぽつりつぶやく。
 デュークはあまりもの驚きように声もでないらしい。けれど、しっかりとマリーベルは抱き続けている。
 ファーガソンはゆっくり立ち上がり、まっすぐマリーベルを見つめる。
「君を見てすぐにわかったよ、マリーベル、君がわたしの孫だってね。何しろ君は、シンシアの十七歳の頃にそっくりだ」
 ファーガソンはにっこり笑って、そのまま両手でマリーベルの頬を包み込む。
 ファーガソンの娘が駆け落ちをしたのも十七の頃といっていた。
 では、マリーベルの母親はその頃……。
 母娘そろって身分違いの恋に苦しむなんて、なんておかしいのだろう。
 たしかに、マリーベルとシンシアは母娘。何しろ、行動パターンがこんなにそっくりなのだから。
「君が幸せに暮らしているなら、今さらと思い本当は名乗り出るつもりはなかったのだけれど……」
「それじゃあ、本当に? 本当に、わたしの……?」
 最後の確認をするように、すがるように、マリーベルはファーガソンを見つめる。
 ファーガソンは力強くうなずいた。
 マリーベルの目から、また涙があふれ出した。
 その涙の粒は、ファーガソンの手を優しくぬらしていく。
 触れたファーガソンの手はあたたかかった。
 そして、ファーガソンの手をぬらすマリーベルの涙も、またあたたかい。
 本当は、マリーベルもなんとなく気づいていた。
 だからこそ、失礼とはわかりつつも、ファーガソンの屋敷を訪ねた。
 はっきりとした言葉はいらない。
 ただ、ファーガソンがマリーベルの最後の肉親だと確信できればそれでよかった。
 確信さえできれば、孫と名乗るつもりもなかった。
 ファーガソンはマリーベルの祖父、その事実だけでよかった。それ以上はいらない。
 ただ、心の安らぎが欲しかっただけ。
「君の幸せを、遠くから見守らせてもらえれば、それでよかった。けれど、どうやらそうもいかないようだからね? 君たちのたったひとつのわずらいを取り除くには、必要かと思ってね」
 ファーガソンはマリーベルの頬から手をはなし、おどけるようににっこり笑った。
 マリーベルはあっけにとられたようにファーガソンを見つめ、そして探るようにつぶやく。
「お、おじいさま……?」
「ああ、マリーベル」
 ファーガソンはゆっくり深くうなずき、答える。
 緊張、虚勢がすべて崩れ落ちたように、マリーベルの体からすとんと力が抜ける。
 マリーベルは、肉親すべてを失い、もう誰も血のつながる者はいないと思っていた。
 これからの人生、一人で強く生きていかねばならないと覚悟していた。
 それが今、思いがけない幸運を手に入れた。
 一人ではなかった。まだ肉親がいた。
 それが、どれほどマリーベルに力を与えることか――。
 くずおれるマリーベルを、デュークはとっさに抱きとめる。
「マリーベル」
 デュークは耳もとで優しくささやき、涙をぽろぽろ流し泣くマリーベルを、両腕いっぱいに包み込み抱きしめる。
 マリーベルも、自らデュークの背に腕をまわしていく。
 その二人の様子を見て、ファーガソンは安心したように肩をすくめる。
「さて、これで問題はすべて片づいた。それで、二人はこれからどうするのかな?」
 マリーベルとデュークは、思わずぽかんとファーガソンを見つめた。
 しかしすぐに、デュークは得意げににっこり笑った。
「もちろん、マリーベルを幸せにします」
「な……!? デュ、デューク!?」
 マリーベルはばっと顔をあげ、デュークを凝視する。
 ファーガソンとプリシラは、思わず確認するように顔をあわせる。
 二人の目は、楽しそうにきらめいている。
 腕の中にいるマリーベルに視線を落とし、デュークはいたずらっぽくにっと笑った。
「結婚しよう、マリーベル」
 瞬間、マリーベルの顔が真夏の太陽よりもっと熱く赤く、燃え上がる。
「お馬鹿ー! 一気に飛躍しすぎよー!!」
 そして、冬の水晶のような陽光を浴び、金剛石(ダイヤモンド)をちりばめた世界に、マリーベルの雄叫びが響き渡る。
 風にのり、どこまでも広がっていく。


 白く曇った窓の外では、雪がはらはら舞っている。
 暖炉の火が、やわらかくこの部屋を暖める。
 毛足の長い絨毯にすわり、少女は幸せそうにうっとりと窓の外を眺めている。
 その手には、大切な人の名が記された手紙がもたれている。
 宛名は少女のもの。差出人が、この世でいちばん好きな人。
「ロザリア! マリーベルから手紙が来たって!?」
 そこへ、乱暴に扉を開け、少年が飛び込んできた。
 ロザリアはせっかく幸せにひたっていたところをぶち壊され、憎らしげに少年――ショーンをにらみつける。
 けれど、ショーンは気にせず、ロザリアの横にすとんと座り、じゃれつきまとわりつく。
「早く早く、読もう読もう」
「うっとうしいわね。もう少し落ち着きなさい」
 急かすショーンの額を、ロザリアはべちんとひとつぶつ。
 それから、もったいぶるように手紙をもてあそび、ショーンの顔の前でちらつかせる。
「そういうロザリアもそわそわしているじゃないか」
 ショーンはむっと頬をふくらませ、唇をとがらせる。
「うるさいわね!」
 するともちろん、もう一発、ショーンにロザリアの拳が振り下ろされた。
 ショーンは頭を両手でおさえ、ぶうぶう不平をもらす。
 蔑むようにショーンをちらりと見て、ロザリアは手に持つ手紙に視線を落とした。
 そして、こくりと息をのみ、もったいぶるようにゆっくりと封を切り、便箋を取り出す。
 ショーンがおあずけをくらった犬のように、落ち着かない様子でロザリアの手もとを見る。
 それから二人、ふと顔をあげ、互いに目配せし合い、開いた手紙に視線を落としていく。


親愛なるロザリア ショーン

ひさしぶり。手紙ありがとう。
ロザリアとショーンは元気にしている?
わたしは相変わらず、デュークをたたきのめす忙しい毎日を送っているわ。
あ、そうそう。害虫駆除剤ありがとう。とても役に立ったわ。

それでね、これを書いちゃうと、ロザリアもショーンも驚き、激怒すると思うのだけれど……。
わたし、デュークと結婚することになったの。
その報告も兼ねて、春になったら一度、お世話になった町のみんなに挨拶に、そしてロザリアとショーンに会いに北の町に戻るわ。
詳しいことは、その時にね。
ロザリアとショーンがデュークに下す鉄槌、今から楽しみにしているわね。

首都より、マリーベル

 

 もうすぐ、この北の町にも、そしてロザリアとショーンの大切な幼馴染が残る首都にも、春がやって来る。
 一足先に、胸はすでに春の陽気のようにふわふわし、ミモザ色に染まっている。
 闇の中に光が生まれ、世界は輝きに包まれる。


闇夜の月に焦がれる太陽 おわり

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update:10/08/03