夕日の中のペテン師
ペテン師

 本当だった。
 高瀬が言ったことは嘘ではなかった。
 ……ペテンなくせして。
 どうやら、こういうことだけは本当に実行できてしまうらしい。
 どうにもこうにも、むかつく男よね。
 そう、昨日。
 放課後の国語科教官室。
 風に飛ばされたプリントを追いかけ、迷い込んだ校舎裏。
 そして、そこで見てしまったある事実。
 それは、学校一の人気教師高瀬昂弥の裏の顔。
 ……いや、本当の顔。
 常々、胡散臭い奴だとは思っていたけれど、やっぱり普通じゃなかった。
 さすがは、インチキ教師。
 ――ただではすまなかった。


 盛大な音を立て、わたしの足元に散らばる大量のプリント。
 これは今日の午前中、現代文の時間、インチキ教師にされたいやがらせの一環。
 ペテン教師め、授業中、大量のペテン現代文の問題を出しやがった。
 しかも、とうてい授業中に終わるはずもない大量課題。
 よって、何故だか……いや、当たり前にも、わたしが指名され、こうして解き終わった大量プリントを国語科教官室へ持っていくはめになった。
 そう、悲愴な空気漂う教室で、蒼白になって仕上げた大量プリント。
 さすがに今回は、学校一の人気教師も、学校一の鬼教師とののしられていた。……一部にだけ。
 わたしが嫌いとする人種上位に位置する娘さんたちは、「高瀬先生なら大丈夫」なんてそんな根拠がない自信から、まともに課題に取り組んでいなかった。
 だから、彼女たちからは鬼教師とはののしられていない。
 そして、普段から、高瀬のめちゃくちゃ、濡れ場ピックアップ授業をげらげら笑い楽しむ健全なのだか不健全なのだかわからない男子生徒さんたちも、「高瀬の奴、彼女にでもふられたか?」なんてやっぱりげらげら笑って、まともに課題などしていない。
 よって、必然的に、一部は、わたしと、あと少しの、まじめをうりとする生徒だけになる。
 そして、そんなわたしたちに、高瀬は鬼教師とののしられることになっていた。
 いや、わたしの場合、鬼教師ではなく、インチキ教師なのだけれど。
 しかもそれ、ののしりじゃなくて事実だし。
 さらに、この課題、半分以上はやっぱりペテン課題だから、やる気が失せる。
 あのインチキ教師は、どうやらまともに授業をする気などさらさらないらしい。
 まったく、いいご身分だこと。
 放課後の教官棟の国語科教官室へ続く、真夏の廊下。
 西に傾きかけた太陽は、オレンジ色にわたしを染めている。
 誰もいない廊下。
 人気がない廊下は、少しの淋しささえ感じさせる。
 足元に無残に散らばった課題に、わたしはやるせなく目を落としていた。
 ……まったく、こんなペテンプリント、拾う気も失せるというものよ。
 やる気なく、だけど仕方なく、プリントを拾おうと腰をかがめた瞬間、この上なく不愉快な男の声が聞こえてきた。
「あれ? 南川、まだこんなところにいたのか。遅いと思ったら」
 人をからかうような明るい声。
 さらには、くすくす笑ったりしている。
 ……やっぱり、この男、一度は絶対に殴ってやりたい!
「どこかの誰かさんが、か弱い女の子に、こんな大量のプリントを運ばせるからよ」
 かがめていた腰をしゃきんとのばし、ぎろりとインチキ教師をにらみつけてやった。
 そう、こんな時に不愉快極まりないことをさらっと言ってのけられるのは、わたしの気をさかなでられるのは、この男しかいない。
 ペテン教師高瀬昂弥、二十六歳!
 ペテン師高瀬昂弥は、わたしの言葉に「ん?」と少し首をかしげた後、足元に散らばるプリントに視線を落とした。
 そして、「あーあ」と言葉にならない声をもらし、大量のペテン課題プリントを拾うべくしゃがみこむ。
「ほら、お前も拾う!」
 そう言って、高瀬は怪訝に見下ろすわたしの腕をぐいっと引いた。
 同時にわたしの体はぐらりと揺れ、二度目のインチキ教師の胸へダイブが実行されてしまった。
 やっぱり、高瀬の胸は、そのすらっとした体型からは想像がつかないほどがっしりしていて、男の人なのだと思わせる。
 そして、昨日知ったばかりの甘い香り。
 やっぱりこれって、高瀬の香りだったんだ。
 ――だから、こんな場所でこんなのんきなことを考えている場合じゃないの!
 慌てて高瀬を振り払おうとしたけれど、高瀬は自分の胸にわたしをぐっとおしあて放そうとしない。
 何を考えているのよ、このセクハラ教師!
 それよりも何よりも、慌てないわたしもどうかと思うけれど。
 なんだかもうすでに、この男には逆らうだけ無駄のような気がしてきてしまったのよね。
 ああ、嫌だ嫌だ。
「……くす。顔が真っ赤。思った通り、南川はかわいいなあ」
 高瀬はあまったるい顔でそんなことを言って、わたしの髪に顔を押し当てる。
 ちょ、ちょ、ちょっと待て!
 このインチキセクハラペテン教師!
 な、な、何をしている、貴様は今!
 さすがにこれは、わたしでも慌てるわよ。
 というか、悪かったわね、顔が真っ赤で。
 それで、あなたに何か迷惑をかけた!?
 迷惑をかけられているのは、わ・た・し!
 こんな状況で真っ赤にならない娘さんの方が、むしろどうかと思うよ!?
 高瀬に抱き締められ、もがいてみるけれど、やっぱり振り解けなかった。
 高瀬の腕の力はすごく強くて、わたしには振り解けない。
 こんなところでも、高瀬は男の人なのだと実感させられるからむかつく。
 そして、高瀬が言う通り、真っ赤だったわたしの顔はさらに赤くなっていく。
 だって高瀬の奴、調子にのって、髪にキスなんてしたから。
 小さく聞こえてきた、ちゅっという音。
 ああ、もう、本当、どうにかして、このセクハラ教師!
「ちょ……っ! いい加減にしなさいよ、このペテン師!」
 オレンジ色の景色の中、オレンジ色に染まったインチキ教師を、そうののしってみるけれど、まったくペテン師の耳には入っていない様子。
 ――いや、その前に、このおかしな状況の説明をして欲しい。
 どうしてこのペテン師は、わたしを抱き締めているの?
 さらに、普通する? 髪にキスなんて。恋人でも何でもないのに。
 認めたくないけれど、まがりなりにもわたしはあなたの教え子よ!?
 そこが最大の謎だわ。
 インチキ教師は、何も反応しない。
 ただ、わたしを抱き締めているだけ。
 しかも、ぎゅっと。この手を放したくないとばかりに。
 本当に訳がわからない。
 何なの? このペテン師は。
 ペテン師から逃れようともがくわたしの目に、窓越しにきらりと輝くものがふと入ってきた。
 同時に、その正体に気づき、びくんと体を震わす。
 すると、インチキ教師もわたしの急な変化に気づいたらしく、すぐさま顔を上げた。
 そして、窓越しのきらりと光る物体に気づいた。
 次の瞬間には、わたしはインチキ教師に抱えられるようにして、廊下に倒れこんでいた。
 同時に、何かが勢いよく窓にぶつかる大きな音が響き渡る。
 すぐ後には、砕けた硝子が廊下に落ち散らばる音。
「……まったく、ノーコンめっ」
 舌打ちをしつつ、憎らしげに高瀬はそうつぶやいた。
 頭を抱えられ、廊下に横たわるわたしを覆うように高瀬の体があった。
 高瀬の体の分だけ、わたしに大きな影がかかる。
 とても大きく見えた、高瀬が。
 そして、癪だけれど、頼もしくも見えた。
 ……認めたくないけれど。
 すぐそこの廊下では、ぽんぽぽんと、野球ボールが力なく弾んでいる。
 それで、気づいた。
 高瀬はもしかして、窓を破り飛び込んできたノーコン野球ボールからわたしをかばったの?
 ――どうして? 今の今まで、わたしは高瀬をののしっていたのに……。
 まあ、抱き締められていたり、髪にキスをされていたりはしたけれど。
 こんな俺様キングなインチキ教師が、わざわざ自分の身を挺して……?
 信じられない。
 目を見開きじっと見つめているわたしに高瀬は気づき、微笑を浮かべ肩をすくめる。
 それはまるで、「俺ってそんなに信用がない?」なんて、ちょっと傷ついたよう。
 ちくんと、わたしの良心が痛む。
 こんな極悪悪魔相手でも、痛むものは痛む。
「怪我……なかったか?」
 そう言いながら、高瀬は変わらずわたしを守るように体を起こす。
 そして、わたしの腕をひき、少し強引に立ち上がらせる。
 その時、ノーコン野球ボールを放ったであろうノーコン野球部員が、グラウンドの向こう側から慌てて走りよってきた。
 それから、オレンジ色に染まるそこで、割れた窓越しに、インチキ教師と何やら話をはじめてしまった。
 インチキ教師はわたしなど無視して、ノーコン野球部員の相手をする。
 ……なんだか、ちょっぴりむかつく。
 インチキ教師とノーコン野球部員が話している内容は、わたしには聞こえてこなかった。
 ただ、オレンジ色に染まった高瀬の口元の動きだけが、妙に気になっていた。
 それに、目をひきつけられる。
 さっき、わたしの髪に触れたそれに。
 何故だか、自分でもわからないけれど。
 そして、インチキ教師にこつんとおでこを小突かれ、ノーコン野球部員は一礼をし、オレンジ色の夕日へ向かい去っていった。どこかの使い古された青春の一ページのように。
 それで、だいたいの話の内容は悟ってしまえた。
 ノーコン野球部員は、簡単にお許しをもらえたらしい。
 極悪俺様インチキ教師のくせして、簡単に許してしまったらしい。
 ここが、このインチキ教師が生徒に人気がある所以かもしれない。
 罪を憎んで、人を憎まず。
 素直に謝れば、そのまま放免。
 なんて理解があるインチキ教師なのだろう。
 まあ、当然、割れた窓硝子修理費の請求は、後からノーコン野球部員にいくであろうけれど。
 インチキ教師とノーコン野球部員の会話を呆然と見ていたわたしに気づいたペテン師は、ゆっくりわたしへと振り返った。
 そして、オレンジ色の大きな太陽を背に、にやりと不気味に微笑む。
 オレンジ色に溶け込んだインチキ教師の顔は、これからわたしの身に降りかかるであろう最悪な事態を予感させた。
 ぞっと、背筋に悪寒がはしる。
 同時に、放課後の廊下の抱きつき事件のその真の意図を悟ってしまった。
 それは、嫌がらせ以外の何ものでもない。
 このインチキ教師は、ぬけぬけと嫌がらせを実行していた。
 ただではすまない。昨日のその言葉通りに。
 わたしはこれから、この極悪俺様ペテン師に、いいおもちゃにされてしまうのだろうか?
 知りたくもない悪魔な本性を知ってしまったばかりに。
 平穏無事にと願っていた高校生活が、音を立てて崩れていく。
 わたしの人生、乙女の青春、返してください。


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update:04/01/10