人気教師の恋愛遍歴
ペテン師

 放課後のインチキ抱擁事件から、数日。
 またしても、ペテン師のいやがらせ勃発。
 ――わたし、さらし者?


 くすくすくすと、教室のあちらこちらから聞こえてくる、小さな笑い声。
 それは、半分くらいの同情と、半分くらいの面白みからの笑い。
「……こんなの、わかるかっ」
 わたしは右手にチョークを握り締め、ぶるぶると小刻みに震えている。
 すると、持っていたチョークがぼきっと音を立て折れた。
「ん? 南川、聞こえなかったぞ? もっと大きな声で……」
 右手から折れたチョークの欠片がぱらぱら落ちるわたしの顔をのぞきこみ、にっこりと悪魔な微笑みを浮かべ、高瀬は実に愉快そうにそう言ってきた。
「こんなペテンな問題、解けるわけがないでしょう!と言っているのよ。このインチキ教師!」
 ぐわっと高瀬に叫びかかると同時に、がしっと頭を押さえ込まれてしまった。
 さらに同時に、もう一方の手で口をふさがれる。
 高瀬の手の中でさらにまくしたてるけれど、もごもご言うだけで言葉にならない。
 わたしの口に触れた高瀬の手は、やっぱりとても大きかった。
 そして、また香る甘い香り。
 どきっと、心臓が悲鳴を上げる。
 ……悔しい。
 高瀬のその目は鋭くわたしをにらみつける。
 かと思ったら、今度は眼前に広がる生徒たちへにっこり微笑みかけた。
 何事もなかったように、癪に障るくらいごくごく自然に。
「まったく、南川は本当に真面目すぎて困るよなあ? 冗談も通じない」
 高瀬はおどけてみせ、クラス中に同意を求める。
 このインチキ教師は、どうすれば生徒の気持ちが自分についてくるのか、よーく心得ているよう。
 まったく、どうすればこんなペテンな性格になれるの!?
 これはもう、天性のペテンと言うべき以外、何ものでもないだろう。
 ――むかつく。
 こいつ……この男、絶対にやってしまいたい。
 許すまじ、インチキ教師!
 高瀬がおどけてみせると、もちろん教室中からどっと笑い声が上がった。
 このお気楽極楽クラスめっ!
 このクラスメイトたちにとっては、高瀬が言うことは絶対。
 そして、おもしろければ何でもオーケー。
 何を考えているのよ、この生徒たちは。
 自分の意思というものは、考えというものはないの?
 今日一日楽しく過ごせれば、将来なんてどうでもいいの?
 あなたたちは、少しはおかしいとは思わないの!?
 こんなペテンな問題を出されて。
 こんなペテンな授業をされて。
 絶対おかしいわよ、こんなの!
 こんな、こんな……高瀬の小学生時代の作文をひっぱり出してきて、『この時、おじいちゃんは僕に何を言ったでしょうか?』なんて穴埋め問題を出しやがって!
 わかるか、そんなもの!
 いや、わかりたくもないわ!
 あなたは、まともに授業をする気はあるの!?
 あなたは、まともに教える気はあるの!?
 誰が見てもそう思うでしょう、普通!
 こんなめちゃくちゃな授業を楽しむんじゃない。
 インチキ教師も、お気楽極楽クラスも!
「ああ、わからないなら仕方がないな。じゃあ、これはどうかな?」
 高瀬はわたしの頭を押さえつけていた手をぱっと放し、さらに口にあてていた手もどけ、そのまま教卓においてあった紙切れをひらりとわたしの目の前に持ってくる。
 そう、わたしだけにしか見えないように。
 わたしだけに向けたメッセージのように。
 そのプリントに目を通した瞬間、わたしは言葉を失い硬直してしまった。
 同時に、かかかーと顔が真っ赤っか。
 ……怒りのために。
 こんのペテン教師が!
「ふざけるな! あなたの恋愛遍歴なんか、わたしには関係ないでしょう!」
 叫ぶと同時に高瀬が持っていた紙切れを奪い取り、びりびりに破り捨ててやった。
 わたしの足元から教壇一帯に渡り、びりびりの紙片が散らばっている。
 ……まったく、このインチキ教師は!
 もちろん、わたしが恋愛遍歴なんて叫んだものだから、教室中大騒ぎ。
 それは当然、その手のことに興味津々な年頃の高校生がする反応。
 面白がっている、全員。
 ……馬鹿ばっかり。
 びりびりに破り捨てられた紙を拾い、あまつさえパズルなんてはじめちゃう馬鹿な男子生徒たち。
 どよどよと、びりびりの紙切れに群がっている。
 そして、高瀬に群がる、盛りのついたキャピキャピ女子生徒たち。
 目の色を変えて高瀬に抗議する者もいれば、完全に面白がっている者もいる。
 反応はみなそれぞれ。
 だけど例外なく、高瀬の言葉を待ち望んでいることはたしか。
 年頃の娘さんたちにとっては、適齢期の独身男、しかもお買い得な独身男の恋愛遍歴は、それはそれは興味をそそるものだろう。
 ふんっ。ざまあみろ。
 わたしだって、ただ黙ってさらし者になってやる気なんてないのよ。
 大人しい優等生だと思ったら大間違い。
 やる時はやるのよ。
 敵と判断したその時は、容赦なく戦うわ!
 女子生徒たちに群がられ、高瀬は大弱り。
 お子様の相手も疲れるよなーと舌打ちする高瀬の腕前、とくとみせてもらおうじゃない。
 どのようにして、この盛りのついた娘さんたちをおさえられるか。かわせるか。
 高瀬は、女子生徒たちにかこまれ、追及され、さらには授業なんてできなくなってしまって、恨めしそうにわたしにじとりと視線を流す。
 ――もともと、まともな授業なんてしていなかったくせに。
 わたしはそんな高瀬の視線をさらっとかわし、すたすたと自分の席に戻る。
 当然、まわりの喧騒なんておかまいなしに、すとんと席につく。
 そして、ばさっと現代文の教科書を広げ、自習にとりかかる。
 こんなペテン教師に教えられるくらいなら、自分で勉強をした方がよほどましというもの。
 確実に、はかどる。
 この後、両隣の教室から、「うるさい!」と先生たちが怒鳴りこんでくるまで、この騒動は続くことになる。
 そして、怒鳴りこんできた先生たちは、その教室で教鞭をとっているであろう教師の顔を見て、即座に顔を真っ青にして、すごすごと逃げ帰っていった。
 相手が悪すぎるのだから、それも仕方がないかもしれない。
 さすがに、自分たちの首はおしいだろう、首は。
 ――まったく、情けない。
 ちなみに、いくらパズルを組み合わせたって、高瀬の恋愛遍歴なんて出てくるはずがない。
 だって、あの紙切れには、そんなことはみじんも書いていなかったもの。
 一言、
 『今日の放課後、国語科教官室』
 ただそれだけが書かれていたのだから。
 それは、恐らく……いや、間違いなく、わたしへのメッセージ。
 つまりは、問答無用で来いということよね?
 人の意思など関係なく、断定形で書いてくれちゃって。
 だから高瀬は俺様だというのよ。
 自分のことしか考えていない、典型的なおぼっちゃまね。
 理事長の孫だか何だか知らないけれど、調子にのるのもたいがいにしろというのよ。
 高瀬は収拾がつかなくなったこの事態を、わたしのせいとばかりに、誰にも気づかれないように、さりげなくにらみを入れてきた。
 しかも、俺様なにらみ。
 もちろん、わたしも遠慮なくにらみ返す。
 もともと原因を作ったのは高瀬なのだから、わたしが気にすることなんてこれっぽっちもないものね。
 インチキ教師があんなペテンなことさえしなければ、わたしは大人しく優等生を演じてあげていたわよ? もちろん。
 どんなにインチキだろうが、ペテンだろうが、ぐっとこらえて。
 そんなインチキ教師とにらみ合うわたしを見つめる視線に、この時はまだ気づいていなかった。
 その視線が、後々とんでもない事態を招こうなど、当然露にも思わず。
 ところで、勢いにまかせてああ叫んだけれど、本当のところ、高瀬、あなたの恋愛遍歴ってどうなの?
 どことなくそう思うと、さりげなくちくんと胸が痛んだ。
 どうして?
 ……おかしなの。


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update:04/01/12