年中春女とその野望
ペテン師

「……へ?」
 家のリビングで、学校から帰ってきて、どさっとソファーに鞄を下ろした瞬間、そのとんでもない言葉がわたしの耳に飛び込んできた。
 インチキ教師の秘密を知ってから、まる一週間。
 この一週間、それはそれは、大きなものから小さなものまで、嫌がらせの数々を受けてきた。
 その中でも最大の嫌がらせは、もちろん放課後の国語科教官室でのあのキス事件。
 わたしのファーストキスを奪ってくれた、あのとんでもない告白事件。
 あれはもう、犯罪よ。
 これからは、犯罪教師とののしってあげようかしら?
「だから、単身赴任中のパパを追いかけて、ママも今からアメリカへ行ってきまーす!」
 きょとんとママを見つめるわたしに、ママは追い討ちをかけるようにそんなことを繰り返した。
 しかも、かなりうかれ模様で。
 きらきらにおしゃれを決め込んで。
 常々、この女のうかれとんちきぶりは世界記録ものだと思ってはいた。
 だけど、まさかここまで突拍子もないことをさらりと言ってのけるとは、娘のわたしでもさすがに思ってはいなかった。
 天晴れでございます、ママ上さま。
 いやいや、そんなところに感心している場合ではない。
「ちょっ、それどういうことよ!? 今からって、いきなりすぎない!?」
「あれ? 言っていなかったっけ?」
 ……聞いていません。
 嗚呼もう、本当に、この年中春女は。
 あまりにも突飛すぎて、もう怒りを通り越して、呆れしかございません。
 とうとうやってくれたか、この女は。
 まあ、別に、ママがいなくても、さして問題はないけれど。
 この人、家事全般まるで駄目なんだもの。
 だから、普段からわたしが家事をこなしているようなもの。
 ママがいなくなっても、たいして困ることは……むしろ、楽になります。
 ……と、ここで、このとんでもないママの発言に素直に順応し、受け入れることができるわたしは、最高にすごいと思う。
 でも、普段のママの手のかかりようからいえば、それは簡単なこと。
 本当、この人は、とんでもない人なのだから。天性のお嬢様気質とでも言おうか。
「でね、取引先の知り合いの息子さんが、この辺りで下宿を探しているのよ」
 頭痛を覚え、頭を抱え、ソファーにぼすっと体を沈めるわたしに、ママはやっぱり春爛漫な笑顔を浮かべ、嬉しそうに言ってくる。
 またしても、脈絡なく。
 この人の話の飛びっぷりもまた、常々世界記録ものだと思ってはいたけれど。
 さすがにもう、話が飛ぶくらいでは、驚きはいたしません。
 一体何年、この人の娘をしていると思うのだ。
「ふーん」
 興味なく、聞き流すように一応相槌は打つ。
 じゃないと、さらにやっかいなことになるから。
 この人の話を本気で聞いていては、いくら脳をフル回転させたって対応できない。
 だからといって無視すれば、大泣きをはじめる。
 本当、手がかかる人なのだから。
「それでね、いい機会だから、ママ、オーケーしちゃった」
 ママはうふふなんて人差し指を立て、得意げにそんなことを言い放つ。
「何を?」
 話半分、聞く気なんて最初からさらさらないけれど、やっぱり相槌は一応打つ。
 大泣きされるよりはましだから。
「だから、ママたちがいない間、うちに来てもらうことにしたの。やっぱり、年頃の娘を一人残して海外へ行くのはねー……」
 ――待て。
 今、何やらとても娘思いのようでいて、本当は娘のことなんてちっとも考えていないような発言がされなかった!?
 うちに来てもらうって、うちに来てもらうって……。
 ぎょっと見つめると、ママは嬉しそうににっこり微笑む。
 それこそ、苦労知らずのお嬢様笑いで。
 いかにも何も考えていなさそうで、癪に障る。
「男の人が一緒に住んでいる方が、何かと安心だものね」
 にっこにっこと、心から本当にそう思っているよう。
 さらに待て。
 とことん待て。
 何を差し置いても待て!
 あ、あ、あなたは、今何を言った!?
 それも十分危ないわよ!?
 いやいや、それがいちばん危ないってば!
 仮にも男でしょう!?
 そんなこと、さらりとオーケーするなあっ!!
 本人の意思を無視して。わたしの意思を無視して。
 何も考えていないにもほどがあるわよ、年中春女!
 少しは危機感というものを持ってください。お願いだから。
「ママ……待って。それってさあ、万が一にもということを、ちゃんと考えているの?」
 脱力してしまって、うなだれるようにソファーにもたれかかりながら、それだけを言うことができた。
 この年中春女は、年中春女らしく、危機感というものがまったく備わっていない。
 よりにもよって、これが自分の母親だと思うと、悲しくなってくる。
 いや、もはや悲劇を通り越して、喜劇よ。
「万が一? それは、楓花とその人が、どうにかなるということ?」
 小首をかしげかわいらしく言っても、その内容はまったくかわいらしくなどない。
 そこのところ、ちゃんとわかっている? ママ。
 それにその年で、かわいこぶりっこしても、気持ち悪いだけよ? ママ。
 とはあえてつっこんではいけない。
 微笑を浮かべた、絶対零度の怒りをかってしまうから。
 さすがよね、わたし。さすが、この人の娘を十六年しているだけのことはある。
 よーく、この人の怖さを理解しているよう。
 うん、わたしも天晴れ。
「つまりは……平たく言うと、そうなるわね?」
 責めるようにじっとママを見つめる。
 するとママは、やっぱり小首をかしげ、にっこり微笑んだ。
「うーん。むしろ、歓迎かしら?」
 ……おい。
 ということは、この女、わかっていて言っているのね? しているのね?
 計画犯か!
 それならば、さらにたちが悪いわよ。
 あなたは、はなから娘を売るつもりだったの!?
 何を考えているの!? この馬鹿親は!
 娘を何だと思っているのよ!?
 こんの、いいこぶりっこして、頭の中では悪魔なことを考える女め!
 あなたなんてねえ、あなたなんてねえ、母親だなんて、金輪際思ってあげないんだから!
 嗚呼もうー。
 ただでさえ高瀬だけでも頭が痛いというのに、さらに厄介事が舞い込んできそうな予感。
 ……いや、もう舞い込んできているの?
 ふるふる震え、体いっぱいで怒りを表現すると、にっこりとお嬢様笑いを浮かべて、ママはやっぱりさらりと言い放つ。
「だって、本当にとても素晴らしい人なのよ。是非ともこの機会に、ものにしてもらいたいくらいに」
「ああ!?」
 待てー!
 そんなとんでもない発言を、さらりと、しかも微笑みすら浮かべて言わないでよ!
 自分が言っていることを、ちゃんと理解しているの!?
 しているのね。していて言っているのね!?
 その悪魔な微笑みから察するところ。
 嗚呼、本当にもう、わたしはとんでもない人を親にもってしまったよう。
 というか、頭、大丈夫? この人。
 さらには、パパ。
 あなたはこのことをご存知なのでしょうか?
 知っていたら、この年中春女の暴走をとめてください。お願いですから。
 ――無理か。
 だってパパ、ママにぞっこんほれ込んでいるもの。
 ママが言うことは、この世で絶対。
 何があっても逆らうことはないだろう。
 たとえ娘の貞操が危機に瀕していようとも。
 そういう親なのよ、うちの両親は。
 そう思うと、わたしって、とてつもなく不幸な少女だったりするの?
 嗚呼ー。人生、呪うわよ?
 本当、わたしの人生、ついていない。
 もうどうにでもなれと、なかば投げやりになりかけたわたしに、ママはもちろん、楽しそうにさらに追い討ちをかけてくる。
 こういう人なのよ、この人は。この年中春女は。
「その方ね、高校の先生なのですって。何でも学校では生徒から慕われていて、とても人気がある方とか。性格も温厚で、絵に描いたような理想の教師。それだけじゃないのよ。なんとその方、そこの高校の理事長のお孫さんなのですって。楓花、うまくいけば、玉の輿よ!」
 ちょ、ちょっと待って、ママ。
 そのキーワードから連想できる男に、わたし、思い切り心当たりがあるのだけれど?
 この世でたった一人だけ知っている。
 そんな、聞くだけでは非の打ち所がないような完璧な男って、今まで生きてきた中で、たった一人しか知らない。
 ……その本性は別として。
 もしかしてもしかしなくても、その人って、まさか、あいつ!?
 あの性悪インチキ教師じゃないでしょうね!?
 思わずソファーから立ち上がり、ママを凝視する。
 もう言葉も出てこなくて、ただぱくぱくと口を動かすだけ。
 顔は真っ赤になったり真っ青になったり忙しない。
 するとママはくるりと振り返り、リビングの扉に手をかける。
 そして、もちろん、にっこりと汚れなき天使の微笑み。
 それは本当にもう、世間知らずもいいところな天使の微笑み。
 ――嘘くさいこと極まりないけれど。
「そういうわけで、はい、楓花。高瀬昂弥さんよ。仲良くするのよ?」
 ママの手によって開けられたリビングの扉の向こうから、ひょいっと、今最も見たくない男の顔が飛び出してきた。
 高瀬昂弥、二十六歳。国語教師。
 まさしく、あのインチキ教師だった。
 にやにやととても愉快そうに、わたしに微笑みかけている。
 そして、ママと会釈をかわした後、高瀬は当たり前のようにわたしへと歩いてくる。
 呆然と立ちつくしているわたしの手をとり、一人で勝手によろしくの握手をかわす。
 や、や、やられた!
 放課後の国語科教官室キス事件よりもさらに上回る、至上最低最悪の嫌がらせ!
 いやーっ!
 これから、こんなペテン師と一緒に暮らさなきゃならないなんて、わたしの人生終わりよ!
 というか、どうして、この男が当たり前のようにここにいるの!?
 それが、最大にして決して解くことができない謎だわ!
 ――この男、どこまでいっても、ペテン極まりない。


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update:04/01/18