おいしいご馳走
ペテン師

「へえー、勉強だけでなく、家事もできるのか?」
 インチキ教師高瀬はそんなことを言って、キッチンで包丁を軽快に鳴らすわたしの顔の横から、ひょいっと手もとをのぞきこんできた。
 そして、ちゅっと頬にキス。
 ……おい。
 らぶらぶ新婚さんを絵に描いたような図、じゃないんだからね!
 まったく……。
 当然、持っていた包丁をさっと持ち上げ、高瀬の頬につきつけた。
 そして、その背で、ぽんぽんと高瀬の頬を軽くたたく。
 もちろん、ぎろりと目を輝かせ、極悪な微笑みを浮かべて。
 この男のおかげで、わたしもこんな表情ができるようになってしまった。
 もう、責任とってよね!
 だけど高瀬はやっぱり最強の極悪教師なだけあり、そんなものは他愛ないとばかりに、わたしの手から包丁をするりと奪い取る。
 そして、ことんとまな板の上に包丁を置き、ひょいっとわたしを抱き上げた。
 ……もちろん、新妻だっこ。
 もとい、お姫様だっこ。
 そしてくるりと踵を返し、そのままキッチンから逃走。
 ――だから、おい。待て。
「……あなたね、いい加減にしないと、エサ抜きよ?」
 高瀬の耳を引っ張り、そう言ってやった。
 すると、高瀬の動きはぴたっと止まる。
 そこは、あと一歩でキッチンを出るといった場所。
「あなたがお腹がすいたお腹がすいたとうるさいから、仕方なく、あなたのエサを作ってあげているんじゃない。めちゃくちゃ不服だけれど。不愉快だけれど。さらには、こんな同居生活認めないけれど」
 高瀬にお姫様だっこをされたそのままで、一気にまくしたててやった。
 すると高瀬は、無表情でするりとその場にわたしを下ろす。
 ……はあ、やっと解放された。
 どうやらこのインチキ教師も、エサにありつけないことは、そうとうのダメージをくらうらしい。
 ……よし。
 これからは、何かといってはこの手が使えそうね、うん。
「……ところで、それ、胃薬の必要はないだろうな?」
 がしっとわたしの両肩をつかみ、神妙な顔で高瀬はそう聞いてきた。
 同時に、当然、高瀬の足は、だんという大きな音ともに、わたしの足の下にある。
 にらみもお見舞いしてやる。
 しかし高瀬は痛がる様子なく、にやりと極悪な笑みを浮かべた。
「ちなみに、同居ではなく、同棲だから」
 まるでわたしの考えを見透かしているように高瀬はそう言って、再び踵を返し、ひらひらと手を振り、キッチンから出て行った。
 この男、一体何を考えているの?
 わたしには、この男の考えていることがさっぱりわからない。
 当然、放課後の教官室でのあの告白事件も。
 高瀬はわたしに好きだと言った。
 けれど、あれきり何も言ってこない。
 それまで同様、嫌がらせの数々。
 当然、好きという言葉も信じられない。
 嫌がらせの一環としてしか。
 しかし、最大の謎は、やっぱりこの同居生活。
 どうして、わざわざこんなことをする必要があるの?
 そう思ったけれど、それはきっと、絶対に触れてはいけない謎なのだろうと即座に悟ってしまった。
 触れたが最後、絶対、わたしの人生は完璧に終わりを迎える。
 そう確信できてしまえるから恐ろしい。
 この高瀬昂弥、二十六歳、インチキ教師という男は。


 そんなことがあって、約三十分後。
 簡単に今日の夕食ができてしまった。
 だってほら、だてに普段から家事をしていないもの。あんな年中春女を母親にもっていないもの。
 今日の夕食は、スパゲッティ。カルボナーラ。
 それに、シーザーサラダと野菜スープを添える。
 お望みならば、バタールもつけてあげよう。
 食べやすく小さく切って、ほのかに焦げ目を入れて。
 うん、我ながら、なんと立派なのだろう。
 ほわほわと、おいしそうな白い湯気を上げている。
 最高の出来栄えのそれらをテーブルに並べ、仕方がないから、リビングで待っているであろう高瀬を呼びに行く。
 ええ、仕方がないから、高瀬と今夜だけは夕食をともにしてやろう。
 しかし、明日の朝からは、まったくの別行動。
 これ、決定! 絶対に!
「高瀬!」
 リビングの扉を乱暴に開け、そう叫んだ。
 だけど、その瞬間目に入ってきたもので、思わず両手を口元にもってきてばっと口をとじる。
 だって、人がせっせと夕食の支度をしていたというのに、高瀬は高いびきでソファーでごろんなのよ!?
 し、し、信じられない、この男!
 人を何だと思っているのよ!
 あまりの腹立ちっぷりのため、どすどすと高瀬のもとまで歩いていき、一蹴お見舞いしてやろうと足を上げる。
 その瞬間、ぐいっと腕を引かれて、またしても高瀬の胸へとダイブ。
 ――嗚呼、自分がにくい!
 どうして、こんなありふれた行動がよめなかったのだろう。
 この男なら、こんなことくらい、平気でしてしまえるのに。
 寝たふりをしていたな、この男は。
 ペテンたぬきめっ!
 ぶん殴ってやる!
 右手を上げると、今度はその手までもつかまれて、ぐるりと体を返される。
 その勢いのまま、ソファーに埋められてしまった。
 覆いかぶさるように、高瀬の体がわたしの上にある。
 ふわりと香る、甘い薔薇の香り。
 ま、ま、まずい。
 この上なく、問答無用で、どうにもこうにもまずい!
 これは、限りなくまずい状況では……!?
 高瀬の目が、獲物を狙うライオンのようにぎらりと輝いた。
 そうして、やっぱり容赦なく襲いかかる、高瀬のキス。
「や……っ」
 顔をそむけ阻止しようとしたけれど、無理だった。
 さらに襲いかかる高瀬のキス。
 そうしてようやく解放された頃、息苦しさのあまり、思わずほうと息をもらしていた。
 そんなわたしの様子を見て、高瀬は満足げににやりと微笑む。
「やっぱり、これがいちばんうまいよな」
 高瀬はそんなことをこともなげにさらりと言って、わたしの上からようやく体をどけた。
 そして、やっぱり強引にわたしの腕を引き、起き上がらせる。
「夕食だろう? ダイニングへ行こう」
 ひょうひょうとそんなことを言いながら。
 真っ赤に顔を染めるわたしなんてそっちのけで、高瀬はあくまで自分のペースを貫く。
 この男――このペテン師、絶対にいつかめちゃめちゃに痛めつけてやりたい!
 この男、調子にのっていない!?
 この同居生活に入ってからというもの。
 いや、一度目のキスを奪ってからというもの。
 高瀬は、好き放題、わたしの唇を奪っていく。
 同居生活に入ってからまだ数時間しか経っていないのに、この男はあくまで自分本位に事を進めていく。
 さすがは、俺様。
 それよりも何よりも、どうしてこんなにキスをしたがるの?
 もしかして、キス魔?
 ……ところで、わたし、どうして、高瀬にキスされるの、別に嫌じゃないの?
 流されるまま、それを受け入れちゃっているの?
 ――流されるような恋。
 そんなこと、絶対に絶対に認められない。許せない。
 わたしの貞操観からは。恋愛観からは。
 恋……というものは、やっぱり……。
 許してはいけないのに、何故だか許してしまう、キス――。


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update:04/01/22