毛皮を脱いだライオン
ペテン師

 シャー……。
 そんな音が、わたしが立つ扉の向こうから聞こえてくる。
 何故って?
 それはね、高瀬が今、シャワーを浴びているから。


 あの後、呆然とするわたしを抱え、高瀬はダイニングへ歩いていった。
 そして、そこに用意されていた、辛うじて湯気がたつ夕食をおいしくいただいた。
 その時の記憶はあまり定かではないけれど、たしか、高瀬は手放しでわたしの手料理を誉めていたはず。
 時々、思わず殴りたくなるようなむかつく言葉をまじえてはいたけれど。
 そんな夕食がすみ、やっぱり呆然としているわたしをそこに残し、高瀬はさっさと後片づけをしてしまった。
 その手際がまた実によいものだから、思わず目を疑ってしまったほど。
 だって、独身男性というだけでも意外なのに、高瀬はおぼっちゃま。そんな奴が、こともなげにさらさらっと後片づけをこなせてしまうのだから、驚くなという方が無理。
 呆然と見ていると、いつの間にか後片づけを終えた高瀬に抱き上げられ、再びリビングへ逆戻り。
 観たかったトレンディードラマを観るのも忘れ、音も画もないそこで、ただわたしは高瀬に抱かれていた。
 ソファーの上で、ぎゅっとぎゅっと、飽きることなく。
 一体、それの何が楽しいの?
 わたしはそう思うけれど、高瀬はとても嬉しそうだった。
 ……訳がわからない。
 そんな時間がしばらく続いて、「そろそろ寝なきゃな。明日も学校だ」なんて高瀬はぽつりと言って、そして先にシャワーを浴びにいった。
 何故だか、鼻歌まじりに。
 絶対、何かが間違っている。
 とりあえず今日の高瀬の寝床は、客間。
 次の日曜に、少しばかりの荷物が家へやってくるらしい。
 その後も、客間を中心に、高瀬は暮らすという。


 そして、気づいた。
 高瀬の奴、タオルを持っていっていなかったのよ、バスルームに。
 拭くものもないのに、よくシャワーを浴びれるものだと思い、仕方なくバスタオルを持ってきてやった。
 濡れたままでその辺りを歩きまわられるのは迷惑この上ないから、本当に仕方なく。
 別に、高瀬を思ってのことじゃない。
 あんなペテン師がどうなろうと、わたしの知ったことじゃない。
 だけど、これ以上迷惑をかけられるのは本意ではない。不本意極まりない。
 だから、本当の本当に、仕方なく。
 だけど、ここまで来て、ふと気づいた。
 ……入れない。
 入れないのよ、中に。
 当たり前だけれど、鍵がかかっているから。
 そこで、問題勃発。
 高瀬がお風呂から上がってくる前に、バスタオルだけ置いて逃亡が不可能になってしまった。
 こうなってしまっては、高瀬が上がってくるまでここでこうして待っていて、そして上がってきたら、扉の隙間からバスタオルを渡すくらいしか、わたしにはもう方法が思いつかない。
 ……むかつく。
 タオルくらい、ちゃんと持っていけ、インチキ教師め!
 そうして、扉の前で頭を抱えていると、ふいにシャワーの音がやんだ。
 それから、脱衣所に出てくるような音。
 もしかして、今がチャンスということ!?
「た、高瀬?」
 仕方がないから、一応声をかける。
 すると中から、「ん?」となんともご機嫌な声が返ってきた。
 ……むかつく。
 わたしは今こんなに苦悩しているというのに、この男はそんなものはみじんも知らないとばかりにご機嫌でいるのだから!
「タオル! タオルを持っていっていなかったでしょう? 持ってきたから、ほら。扉をちょっと開けて、受け取ってよ!」
 わたしがそう叫ぶと、中の方ではしばらく沈黙が続いた。
 ……え? どうして?
 わたし、何かまずいことでも言った?
 そう首をかしげていると、ゆっくりとちょっとだけ扉が開いた。
 それを見て、すかさず中へバスタオルをねじこもうと、隙間にそれを入れる……ことは、不可能だった。
 ねじこもうとした瞬間、扉が全開。
 ちょ、ちょっと待てーっ!
 慌ててぎゅっと目をつむると、頭の上から実に愉快そうなくすくすという笑い声が聞こえてきた。
 はたとなり、ゆっくり目を開けると、そこには、上半身毛皮をぬいだライオンの姿があった。
 下はちゃんとはいている。
 体の水滴はきれいに拭き取られ、片手でタオルを持ってわしわしと頭を拭いている。
 ――や、やられたっ。
 この男、ちゃんとタオルを持参していた!
 だったら先に言ってよ!
 ほかほかと湯気が立ち上る、いつか感じていたそのがしっとした胸をさらし、くくと肩を揺らして笑っている。
「サンキュー。やっぱりお前は気がきくよな」
 高瀬はわたしの手からバスタオルをすいっと奪い取る。
 そして、そのバスタオルを口元へ持っていき、そこでやっぱりくすくす笑う。
 とても楽しそうに。
 とても嬉しそうに。
 とても幸せそうに。
「やっぱり、同棲っていいよな」
 そう言いながら、高瀬は怒りに震えるわたしのおでこにちゅう。
 その瞬間、一蹴をくらわし、わたしは脱兎の如く逃げ去った。
 そんなわたしを、愛しそうに見つめる高瀬になんて気づくこともなく。
 さっきの沈黙は、恐らく……いや、絶対、毛皮を着込んでいたからだ。
 目にした高瀬の毛皮を脱いだその姿は、今でもどくどくとわたしの心臓を躍らせている。
 思わずそれに見とれてしまった自分が不思議でならない。
 わたしは、何度もあの胸へ、強引にダイブをさせられていたんだ。
 はじめて見た。男の人の体。
 その体で感じていたように、高瀬の胸は頼りがいがありそうに、がっしりとして、ひきしまっていた。
 ……悔しい。そんなことがわかってしまうくらい、わたしは高瀬を見ちゃっていたということが。
 見とれていた……ということが。
 そして、やっぱり香る、甘い香り。
 きっと高瀬の体には、薔薇の香りが染みついていて、もうとれないんだ。
 抱き締められるたびにかぐ、その香り。
 高瀬の香り――。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:04/01/24