コーヒーの香り香る朝
ペテン師

 朝起きると、もう隣に高瀬はいなかった。
 二人分のぬくもりが残っているはずのベッドには、わたし一人分のぬくもりしか残っていない。
 もうずいぶん前に、高瀬は一人、ベッドを抜け出たのだろう。わたし一人を残して。
 ということは、わたし、あのインチキ教師に、もしかして寝顔を見られたとか?
 ……不覚。
 そんな思いとともに、ちょっぴり、どことなく淋しくなってしまう。
 一晩中ずっと感じていたぬくもりが、気づけば消えていたりなんかするから。
 だけど、まだ残っている。甘い香りだけは。
 ふわっと、顔にかかったわたしの髪から香ってくる。
 ……やだ。
 ということはもしかして、わたしにも高瀬の香りが移ったの!?
 気持ち悪い。不気味。やめて。嫌。
 どうしてくれよう、こんな屈辱的なこと……!
 怒りを抱えたまま、とりあえず今はベッドから抜け出す。
 枕元の時計の針が朝の七時をさしているから、とにかく起きなければならない。
 あの極悪エロ教師のことは、おいておきたくなんてないけれど、ひとまずおいておいて。
 そうしないと、学校に遅刻しちゃう。
 つくづく、自分の融通がきかない性格、真面目というところが、憎い。
 こんな時でも学校を気にかけられる自分が、天晴れ。
 さらに、「朝食は一日の活力源。朝はしっかりとらなきゃね」とか言って、ちゃっかり朝食を食べる気でいる自分の神経の図太さにも感心する。
 ……キス、はされたけれど――この上なく認められないけれど――それ以上はまだ。
 告白――告白……だよね?――はされたけれど、わたしは答えていない。
 なのに、そんなものを全部すっ飛ばして、あのセクハラ極悪教師は、自分の腕にわたしを抱き、昨夜幸せそうに眠ってくれた。
 そんなとんでもないできごとに見舞われたのに、それでも朝食をとれる自分が、やっぱり天晴れ。
 とにかく朝食の用意をしようと、キッチンへ向かう。
 しかし、わたしの足は、キッチンに入る前に、その手前のダイニングで止まってしまった。
 ダイニングに入るなり、なんともかぐわしい香りが漂ってきたから。なんとも信じられないよい香りが漂ってきたから。
 ちらりとテーブルに視線を移すと、なんともうすでに、そこには朝食の用意がされていた。
 きっちり二人分。
 何故だか二人分。
 テーブルの上には、こんがり焼けたフレンチトースト。
 ハムエッグにサラダ。そして、フルーツヨーグルト。
 さらに、香ばしい香りをさせたコーヒーが、コーヒーメーカーの中に鎮座している。
 これは一体、何事!?
 昨夜、どこかのお話の中の靴屋のように小人さんが出てきて、この食事の用意をしてくれたとか!?
 などとぼけっと現実逃避をしてみたりする。
 呆然と、そのおいしそう――本当、認めたくないけれど、思わずつばを飲み込んじゃいそうなほどおいしそうに見える。……まあ、見えるだけだけれど――な朝食の景色を見ていると、奥のキッチンから、あのインチキ教師高瀬が、マグカップ二つを手に持って現れた。
 これでもかというくらいさわやかな微笑みを浮かべて。
 天気のよい朝にぴったりな微笑みを浮かべて。
 同時に、わたしは気分最悪になったけれど。
「……これ、あなたが?」
 テーブルの上の朝食からゆっくり視線を移し、この上なく不愉快に高瀬を見る。
 当然、わたしの顔は訝しげに思い切りゆがんでいる。
「ああ、早く座って。学校に遅れるぞ」
 高瀬はこともなげにさらりと認めると、マグカップをテーブルの上に置いた。
 そして、すいっとわたしの腕を引き、さらには椅子も引き、そこに無理矢理座らせる。
 ぽんとわたしの両肩に手を置き、わたしの顔をのぞきこみ、高瀬は嬉しそうににっこり笑う。
 ……待て。
 どうにもこうにも、わたしはさっきからこの状況についていけていない。
 いや、理解できない。
 これって……?
 何も言葉にできず、とにかく高瀬を凝視していた。
 すると高瀬は、わたしの前の席に、これまたむかつくくらいスマートに腰かける。
 そして当然、にっこりとわたしに微笑みかける。
 ……だから、待て。
 これは、一体……?
 そんなわたしの疑問などおかまいなしに、もう絶対に二度とごめんだと思っていた、高瀬と二人きりの食事が否応なくはじまってしまった。
 さわやかな朝の陽気差し込む、そのダイニングで。
 どろどろ最悪気分なわたしなどおかまいなしに。
 ずるずるとひきずりこまれ、このインチキペテン師の思惑通りに。
 ――むかつくっ。
 それにしても、高瀬の奴、なかなかやるわね。
 ここまで完璧に朝食を用意しちゃうなんて。
 昨日の夕食の後片づけの時も思ったけれど、この男、見た目と金持ちというだけでお買い得な独身男じゃなかったみたい。
 こんなところでも、お買い得かもしれない。
 だって、おいしそうに見えた朝食は、実際おいしかったのよ。
 認めたくないけれど、むかつくけれど、ほっぺが落ちそうなほど。
 今までだって朝食は自分で用意して、一人で食べて学校へ行っていた。
 そして、誰かに食事を作ってもらうということも、あまりなかった。
 ……母親が母親なだけに。
 家事の一切ができないお嬢様育ちの年中春女だけに。
 誰かに作ってもらった食事が、こんなにおしいものだったなんて、久しぶりに感じた。味わった。思い出した。
 なんだか、ちょっぴり胸の辺りがくすぐったいような気がする。あたたかいような気がする。
 ……不思議。
 イチンキ教師が入れたいかさまなコーヒーを一口口に運び、ちらっと目の前のペテン師を見てみた。
 その瞬間、ふわっと香ばしいコーヒーの香りがわたしの鼻をくすぐる。
 そして、立ち上る湯気の向こうに、高瀬のインチキな微笑みがぼやけて見えた。
 ペテン師は、幸せそうにわたしを見つめていた。
 ……どうして?
 というか、夏なのにホット?
 そこに、いちばんの憤りを覚える。


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update:04/01/29