麻薬キス
ペテン師

 合縁奇縁(あいえんきえん)
 ――気心が合う合わないは、不思議な因縁によるということ。特に男女の間柄についていう。

 比翼連理(ひよくれんり)
 ――男女が深い絆で結ばれていることのたとえ。

 落花流水(らっかりゅうすい)
 ――男が女を思えば、女も男を慕うという相思相愛のたとえ。

 わたしは、思わず言葉を失ってしまった。
 すると高瀬の奴、このインチキ教師の奴、くいっとわたしの左手をとり、その手の甲にちゅっとキスを落とす。
 うっすらと艶かしい視線をわたしへ送ってくる。
「俺としては、是非とも三つ目を支持したいところ」
 そんなことを言いながら。
 呆然と高瀬を見ていると、このペテン師め、これ幸いとやっぱりわたしの唇を奪ってくれた。
 だから、誰かこのスケベ教師をどうにかしてください。
 切にそう願わずにはいられない。
 頭を抱えていると、四字熟語のプリントをひらりと奪い取られ、今度はかわりに人の名前が書かれたプリントをぱらりとテーブルの上に置かれた。
 そしてやっぱり、わたしはとてつもない脱力感に襲われる。
 もう書く気力すら奪われてしまったわたしは、じとりと訴えるように高瀬をにらみつけた。
 すると高瀬は、一問目から問題を読み上げていく。
小野小町(おののこまち)
 通った声で、そうつぶやくように言った。
「百夜通いの話でしょう」
 わたしは即座にそう答えていた。
 それは、小町を手に入れるため、深草少将(ふかくさのしょうしょう)が、百夜、小町のもとを訪ねる悲しい恋の話。
 結局は、達成されなかった恋の話。九十九夜で散った恋の話。
 その命までもかけたというのに――。
 悲しいかな。これはまぎれもなく、学校一の才女の憎い性。
 その答えがわかっていたら、答えずにはいられない。
 答えれば答えるだけ、窮地へ追い込まれるというのに。
「次、小早川隆景(こばやかわたかかげ)
「愛妻家」
 べたっとテーブルに倒れこみ、そこからそう答える。
 高瀬は、わたしの頭の上で満足そうに「ふむ」なんてうなずいている。
 というか、あなたは国語教師じゃなかったの!?
 いつの間に、歴史に移っているのよ。
 やっぱりそれも、ペテンな恋愛がらみの歴史だし。
 ……というか、歴史人物だし。
「国語教師のくせに、どうして歴史なのよ」
 テーブルに突っ伏したそのままで、わたしは悔し紛れにそうつぶやいていた。
 すると高瀬は、ふうっとわたしの耳に息を吹きかける。
 当然、わたしの体はびくんと反応する。
「それは、教養のひとつとして、大学で学ぶから」
 高瀬はそう言って、背中からわたしをきゅっと抱き締めた。
 ……というか、それ、限りなく嘘くさい。
 高瀬はわたしを抱き締めたまま続ける。
「じゃあ、額田王(ぬかたのおおきみ)天智天皇(てんじてんのう)大海人皇子(おおあまのみこ)は?」
 それを聞いた瞬間、わたしは再び言葉を失った。
 そして、がばっと高瀬を振り払う。
 あ、あ、あなたという奴はあ!
 そんなもの、出さないでよ、問題に!
 いつかのペテン源氏物語の濡れ場ピックアップじゃないのだから!
 ぎろりとにらみつけると、高瀬はひょうひょうとした様子で口ずさみはじめる。
 ある言葉を。ある歌を。
「茜さす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る(万葉集・額田王)」
「え……?」
 いきなりそんなことをつぶやいたものだから、わたしはまた高瀬を見つめていた。
 当然、疑わしげに。
 すると高瀬は、切なそうに微笑み、続ける。
「むらさきの におへる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに 我恋めやも(万葉集・大海人皇子)」
「……万葉集」
「正解」
 ぽつりとつぶやいたわたしに、高瀬はぽんと頭を優しくなでた。
 ――というか、そんな有名も有名なもの、知らない方がおかしい。
 正解も何もないでしょう。
 このいかれインチキ教師めっ。
 学校一の才女をなめないでよね。
 その歌は、三角関係の歌。
 ……ううん、権力に引きさかれた二人の歌。
 天智天皇の目を盗み、額田王と大海人皇子が思いを通わせる歌。
 二人の悲恋。
 というか、気づけば、また歌に戻っているし。
 もう、この男って、こればっかり。
「全問正解したから、ごほうびをあげよう」
 わたしの頭を優しくなでながら、高瀬はにっこりと甘い微笑みを浮かべる。
 ペテン極まりない、極悪な顔を隠した、その天使の微笑み。
「何よ、それ」
 ごほうびなんていらないわよ、と思いつつも、一応は聞いてみる。
 わたしにとっての最大のごほうびは、この同居生活解消と、あなたが金輪際、わたしの前に姿を現さないことだけれどね?
 そんなもの、地球が爆発しちゃうより可能性が低いことだとわかっているから、あえて口にはしないけれど。
 わたしの問いかけに、高瀬は気をよくしたように、にっこり微笑んだ。
 そして、当たり前のようにさらっと言い放つ。
「俺からの、熱いベーゼ」
 ――死ねっ!!
 あまりもの高瀬のふざけぶりに、わたしは怒りをおさえつつ、話題をかえるとばかりにぽつりつぶやく。
 うん、ふざけた発言は無視するに限る。
「ねえ、高瀬。わたし思っていたのだけれど、あの教官室で言ったこと……」
 高瀬を再びぐいっと引き離しじっと見つめ、シャープペンをぎゅっと握り締めて、ずっと聞きたかったそれを聞いた。
 だって、やっぱりどうにも納得がいかない。
 高瀬はわたしを好きだと言った。
 だけどそれは嘘くさくて仕方がない。
 だから、ずっと確かめたかった。
 あれは、一体どういうつもりなのか。
 わたしをからかっただけならそれでいい。
 むしろ、その方がいい。
 だけど、間違って本気だとしたら……。
「ああ、もしかして、不安だった?」
 高瀬はくすっと笑い、切なそうに微笑む。
 そして、わたしをまたしても抱き寄せ、耳もとでそっとささやく。
 甘い香りをさせながら。
「好きだよ、楓花。……本気で」
「高瀬……!?」
 ささやかれた瞬間、高瀬を凝視していた。
 だって、信じられない。
 このインチキ教師がわたしを!?
 どうしてわたしを!?
 いやいや、それより一体、どういうことでそうなるの!?
 言葉にしたいけれど、疑問を投げかけたいけれど、だけどどれもうまい具合に言葉になってくれない。
 どれもわたしの頭の中をぐるぐるまわり、言葉になってくれない。
 そんな混乱するわたしを高瀬は承知しているとばかりに、またふと優しく笑う。
「これまで、散々アピールしてきたつもりだけれど? もしかして、気づいていなかった?」
 などと言いながら、高瀬はわたしをきゅっと抱き締める。
 すると当たり前のように、甘い香りがふわりとわたしを包み込む。
 高瀬のぬくもりが伝わってくる。
 ぽろりとシャープペンがわたしの手から抜け落ち、そしてまた、高瀬の思うがままにされていた。
 わたしをその場に押し倒し、高瀬は少し切なそうに微笑ながら、ただそこからわたしを熱く見つめている。
 もしかして、本気なの?
 本当に、わたしのこと、好きなの?
 はじめて、高瀬の思いを知った。気づいた。
 嘘ではなく、からかいでもない。
 高瀬、本気だ。
 ……ああ、だから麻薬になるわけだ。キス――。
 高瀬の思いがたっぷりこめられた、メッセージ入りのキスだから。
 わたしの気持ちに反比例し、くせになる。
 あり得ないほど、みだらな思いにとらわれる。
 少し胸がちくんと痛み、切なさを感じたその時、高瀬はわたしがぽろっと落としていたシャープペンを拾い上げ、それにちゅっと口づけた。
 そして、むかつくくらいさわやかに微笑む。
「有意義な時間になったな?」
 ……答える気も失せたわっ。


 とてつもなく 無駄な時間を ありがとう
 ――字余り。


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update:04/02/11