オレンジ色の指先
ペテン師

 あのインチキ教師め!
 憤るわたしの手には、一本のシャープペン。
 そして、目の前には、山のようなプリント。


 あの男、あのインチキ教師は、またしてもやってくれた。
 今朝のショートホームルームの時間。
「あ、いけない、忘れていた。文化祭の出し物の締め切り、明日までだった」
 そんなことを今思い出したように言って、けろりとした顔で教室を出て行った。
 当然、クラス中が呆気にとられていた。言葉を失っていた。
 さすがのお気楽極楽クラスでも、これは驚かずにはいられなかったよう。
 これは、高瀬が担任になってから一週間目のできごと。
 ……待て。
 聞いていないわよ、それ。
 そういうわけで、文化委員が中心となって、慌てて出し物を決めはじめたのはいいけれど、どうにも彼らではままならない。 
 そこで、文化委員は匙を投げ、わたしたち学級委員コンビに助けを求めてきた。
 よって、今、こうなっている。
 急ぎアンケートをとり、集計し、いちばんになったものを、ひとまずは出し物候補として提出する。
 これは苦肉の策。
 本当はクラス全員一致が望ましいのだけれど、そんな悠長なことは言っていられない。
 あのくされ教師のために!
 というか、文化委員二人!
 あなたたちも文化委員なら、それくらい把握しておきなさい。
 まったく、誰も彼も、このクラスに関係する奴らは、職務怠慢もいいところ。
 思い出しただけでもかなり腹が立ち、手の色が白くなるまで強くシャープペンを握り締めていた。
 それに気づいた、目の前の我がクラスの学級委員長の浦堂が、心配そうにわたしの顔をのぞきこんでくる。
「南川? どうかした? 大丈夫? 気分でも悪いのか?」
 本当、浦堂の爪の垢を煎じて、インチキ教師とお気楽極楽クラスの連中に飲ませてやりたいわ。
 見習え、この優等生を!
 ――浦堂要。
 彼はなかなかのやり手。
 こう見えても――と言っては失礼だけれど、本当にこう見えてもなのよ。がり勉くんにありがちなのじゃなくて、いかにもな好青年なのだから――学年主席ときているからなかなか侮れない。
「あ……。大丈夫、ちょっと怒りを思い出して……」
「ははっ。まあ、高瀬先生だから諦めているよ、もう」
 浦堂はそんな聞き分けのいいことを言って、苦笑いを浮かべた。
 本当、浦堂ってば、できた人だわ。
 わたしなんて、そんな大人な考えになって、あのインチキ教師を許せないもの。
 まったく、余計な仕事を増やしてくれちゃって。
 あのペテン師も、文化委員も!
「浦堂くんて、本当にできた人よねー」
 わたしは思わず、しみじみとそうつぶやいていた。
 すると浦堂は、苦笑いを浮かべ、わたしの手にあったプリントの束をひょいっと奪い取る。
「あとこれだけだろう? 俺がするよ。南川はそこで、もう少し待っていて」
 浦堂はそう言って、にこっと微笑む。
 その微笑がまた、くうと身悶えてしまうほどのさわやか笑顔。
 裏の意味なんて隠されていない、本物の笑顔。
 どこかのインチキペテン教師に見せてやりたいわ、本当に。
 勉強もできて、仕事もできて、それに優しくて、見目も悪くない。
 何よりも、裏の顔がない。これ、重要。
 うん、この人、もてるわけだわ。
 わたし、知っているもの。
 この浦堂要という人物は、裏ではひそかに、かなりの人気を集めていること。
 そう、高瀬とは違う意味で。本気の恋愛対象として。
 高瀬は所詮、教師にすぎないから。
 相手にしてはもらえないとわかっているから。
 でも騒がずにはいられない、そんな複雑な乙女心が、キャピキャピ娘さんたちにはあるらしい。
 本当、訳がわからない。
 わたしには、理解不能。
 あの男のどこに、騒ぎ立てる要素があるの?
 ただのスケベインチキ教師じゃない。
 オレンジ色の光が少し差し込んできた教室で、オレンジ色の光を背に、浦堂はもくもくと残りのアンケート集計をこなしていく。
 浦堂のシャープペンを握る指先にも、オレンジ色の光が差している。
 ごつごつと骨ばった手をしているのに、どことなく繊細そうな動きをする指。
 頭がいい男の人って、みんなこんな指をしているのかな?
 などと、しげしげと浦堂の指先を見てしまう。
 ――おかしい。
 わたし、絶対にどこかおかしい。
 これまで、男の人を意識したことなんてなかったのに。
 なのに、何故だか気になってしまう、その指先が。
 絶対、おかしい。
 わたし、変だわ。
 ふしだらだわ。
 急に恥ずかしさがこみ上げてきて、頬がどことなく熱を感じさせる。
 だけど、差し込んできたオレンジ色の光が、タイミングよくわたしの熱を帯びた頬の(あか)を誤魔化してくれた。
 少し、救われたような気分。
 ほっと胸を撫で下ろした瞬間、多少乱暴に教室の扉が開かれた。
 そして、とってつけたようにいやーな声。
「あれ? まだ残っていたのか?」
 そう言いながら、あの男、あのいかれとんちき男、高瀬昂弥が中に入ってきた。
 そして、わたしの横に立ち、そこからひょいっと机の上をのぞきこむ。
 その時、やっぱりふわっと甘い香りがわたしにとどいた。
「ん? アンケートの集計? どれ、手伝ってやろうか?」
 すいっと高瀬の腕がアンケートへとのび、わたしの肩に触れた。
 瞬間、びくんとわたしの体は震える。
 高瀬はそれに気づいたらしく、目の前の浦堂にばれないように、気づかれないようにさりげなく、さらに体を寄せてきた。
 こ、こ、このペテン師め!
「結構です。まさに今、終わったところですから」
 ぐいっと高瀬の腕を引き離し、ぎっとにらみつけそう言ってやった。
 すると高瀬はひょいっとプリントを持ち上げ、訝しげにつぶやく。
「んー。これで?」
 たしかに、まだ目の前には、二、三枚ほどの未集計プリントがある。
 だが、しかし。
 この男に手伝ってもらうほどでもない。
 いや、たとえ大量に残っていたとしても、この男の手だけは借りたくない。
 高瀬を追い払おうと次の言葉を出そうとした瞬間、別の言葉で遮られた。
「高瀬先生、僕たちはこれを出しに行きますので。行こう、南川」
 とんとんとひとつにまとめたプリントを片手に持ち、もう一方の手でぐいっとわたしの腕を引き上げる。
 ――浦堂が。
「え? あ、うん……」
 いきなりのできごとに頭がついていかなくて、そんな曖昧な返事をした。
 そして、浦堂に引かれるまま立ち上がる。
 その時、目に入ってきた。
 見間違いかもしれないけれど、これまで見せたことがないほどの浦堂の厳しい視線が。
 さっきまで柔らかく笑っていたはずなのに。
 ……どうして?
 そう思いつつ、やっぱりわたしは浦堂に腕を引かれるまま、教室を後にした。
 高瀬は何も言わずそこで、そんなわたしたちを意味ありげに見送っていた。
 ただじっと、高瀬もどこか厳しい眼差しで。
 オレンジ色の夕日差し込む、その教室で。


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update:04/02/14