魅惑のホレ薬
ペテン師

 その日、家に帰ると、すでに高瀬はそこにいた。
 しかし、どこか不機嫌だった。
 もちろん、わたしには思い当たる節がある。
 ……あれか。放課後のアンケート事件か。
 そう思うと、どっと疲れが押し寄せてきた。
 そして、頭痛を覚える。
 まったく……。高瀬ってば子供なんだから!
「もう、高瀬。何すねているのよ」
 目をすわらせリビングのソファーでふんぞり返っている高瀬を、仁王立ちで見下ろす。
 すると高瀬はじっとわたしを見つめ、おもむろに抱き寄せた。
 当然、わたしの体は高瀬の胸へとダイブする。
 もう何度となく、数えられないほどダイブさせられている。
 そして、何故だかわたしも抵抗しない。
 だから、どうして?
 それは、どこかでキスの麻薬を待ち望んでいるから?
 ――そんなの、あり得ない。
「高瀬、エサ、抜きよ?」
 切なそうな顔でぎゅっとわたしを抱き締める高瀬に、その胸の中でぽつりつぶやく。
 高瀬は、案の定、一瞬びくっと体を震わせる。
 やっぱり、これはききそう。
 ん? でも待って。
 別にわたしがエサを用意してあげなくても、高瀬なら自分でエサくらい作れるんじゃないの?
 はじめての朝。
 あの日からずっと、高瀬は朝食を用意してくれている。
 もちろん、ペテンにかけられたようにおいしそうな朝食。
 実際、いかさまのようにおいしい朝食。
 そして、わたしはあの日から、ずっと高瀬の腕の中で眠っている。
 これまた騙されたように、ぐっすりと。そのぬくもりを感じながら。
 ……おかしい。
 そうして一緒に眠っているはずなのに、何故だかいつも先に目が覚めるのは高瀬で、気づいた時には朝食が用意されている。
「いいよ、今夜は俺が作るから。だから、もう少しこうしていて」
 一瞬震えた後、高瀬はそう言って、さらにぎゅっとわたしを抱き締める。
 だから待て。
 あなたはキス魔なだけじゃなく、抱きつき魔でもあるようね?
 ――そう思っていた。
 だけど、きっと多分……ううん、絶対、違うんだ。
 高瀬はあの危険な個人レッスンの日から、何かと言ってはこうしてわたしを抱き締め、そして耳元でささやく。
「楓花、好きだ」
 あまりにもたくさん言われるものだから、なんだかもう真実味が薄れてきちゃっている。
 だけど、次第に言葉に込める思いは、熱は増すばかり。
 だから、結局、高瀬のその言葉を、今では信じてしまっている。
 そして、高瀬にそうささやかれると、ぞくぞくと、何かがわたしの体を駆け上っていく。
 それは、決して嫌な気がするものじゃない。
 ――まあ、仕方がないか。
 こうしてしばらく高瀬に抱かれていれば、高瀬の機嫌もすぐに直るから。
 でも待って。どうして、わたしが高瀬のご機嫌とりなんかしなくちゃならないのよ。
 まったく、嫌になっちゃうわね。
 どうして、こんな大型の猫の面倒を、わたしがみなくちゃならないのよ。
 そう思いつつ、結局高瀬に抱かれ続けるわたしも、どういうわけなのよ?
 ……まあ、振り解けないから、それも仕方がないよね。
 ぽすっと高瀬の胸に頭をもたれかける。
 すると、高瀬の腕の力がふわっと弱まった。
 そうして、高瀬はさわさわとわたしの髪をなではじめる。
 うん、そう。極上の微笑みを浮かべて。
 それで、やっぱり確信させられてしまう。
 高瀬は、本当に本気で、わたしのことが好き……かもしれないって。
 そしてわたしもわたしで、そんな高瀬の胸で、誘われるようにうとうとしてしまう。
 だって、薔薇の香りと程よいぬくもりに触れ、高瀬のそこはゆりかごのようだから。


 インチキ教師高瀬に抱かれ、三十分ほどが過ぎた頃、ようやく解放された。
 高瀬が離れた瞬間、ひんやりと冷房の風がわたしを冷やしていく。
 高瀬が触れていたそこに、冷たさを感じる。
 それが、少しの淋しさを運んでくるから、不思議。
 そんな思いにとらわれ複雑に眉根を寄せるわたしに、高瀬はくすっと笑いかけ、ご機嫌にキッチンへ消えていった。
 まったくあのペテン師は、一体何を考えているの?
 今もって、わからない。理解不能。
 それからしばらくして、キッチンの方からおいしそうな香りが漂ってきた。
 それはちょうど、二階の自分の部屋へ行き、鞄を置き、制服から普段着に着替えて再び一階へおりてきた頃だった。
 少し気になって、ひょいっとキッチンをのぞくと、そこにはすでに今夜の夕食の一品らしきものが出来上がっていた。
 ゆらゆらと湯気を立てている。
 どうやら今夜は、中華でせめているらしい。
「高瀬、味見していい?」
 そう言って、高瀬の返事も待たず、そこに置かれていた青椒肉絲(チンジャオロース)を、お行儀悪くひとつまみし、口へ放り込む。
 ……認めたくないけれど、美味。
 むかつく。
 不服に口をもぐもぐして、ごくんと飲み込んだ頃、ようやく高瀬がにっこり微笑んでこちらへ振り向いた。
 当然、ぎろっと高瀬ににらみを入れる。
 すると高瀬は、急に顔を曇らせしかめた。
 そして、ぽつりつぶやく。
「あれ? 何もない?」
「何が?」
 はあと大きくため息をもらさんばかりに、大げさに言ってやった。
 そうしたら高瀬、何やら不気味な小瓶をどこからともなくすいっと取り出してきた。
 複雑な細工が施された、埃をかぶったような色あせた茶色の小瓶。
 高瀬はそれを小さく振り、中の液体をぴちゃんと鳴らせる。
「おかしいなー。通販で手に入れた古代中国のホレ薬なのに……。きかない」
 高瀬は難しそうに腕組みをする。
 ……おい、待て!
 何よそれ。
 それって、もしかして、この青椒肉絲に入れたということ!?
 そんないかにもいかがわしげなものを、これに!?
 ちょっとそれ、毒じゃないでしょうね!?
 どうして平気で、そんなふざけたことができるのよ!?
 そんな怪しげなもの、入れるんじゃない!
 この馬鹿教師ー!
 というか、いかにもなインチキ薬を信じているの!?
 だから、阿呆だっていうのよ! 阿呆教師!
 その事実に気づいた瞬間、わたしは言葉を失った。
 くらりとめまいを覚える。
 するとペテン教師め、すかさずわたしに駆け寄り、すっと腰に手をまわし支える。
「……そんなわけがないだろう。これ、ただの水」
 高瀬はにやりと微笑み、青椒肉絲の横にことんと小瓶を置いた。
 さらに、ちゅっとわたしの唇を奪う。
「死ね!!」
 同時に、わたしの華麗なる平手打ちが、高瀬の左の頬にクリティカルヒット。
 だけど高瀬は相変わらず、ごろごろと猫のようにわたしにまとわりつく。
 この巨大猫――ライオンめ!
 ……ああもうっ、ナイスなアイデアですね、ペテン先生。
 古代中国のインチキホレ薬だから、今夜のごはんは中華ですか。
 というか、あなたの頭は正常に機能していないでしょう!
 今さらだけれど。
 この男、いつか絶対、埋めてやる。


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update:04/02/17