わたしだけの王子様
ペテン師

 テスト最終日、告白事件があった夜。
 一度くらいはまともに話をしてみてもいいんじゃないか?と、そんな言葉を高瀬に言われた夜。
 やっぱりあれから、その言葉は妙にわたしの心を痛め、頭からはなれてくれない。
 なんだか責められているよう。
 もちろん、わたしがしていることは、冷たい――最低。
 そんなのだってちゃんとわかっている。
 わかっている、わかっているの。
 だけどね、だけど、わたしにだって言い分はあるんだ。
 男の人の好き、だとかそういう感情、あまり信じられない。
 あの年中いちゃつきバカップルな親をみてきて、よくそんなことが言えるね?という感じだけれど、それとこれとでは話が違う。
 実際、自分の立場になってみると、好きだとか思う気持ちが信じられない。
 ねえ、どうして?
 どうして、そうしてすぐに、人を好きになったりできるの?
 わたしにはわからない。
 それは、まだ人を好きになったことがないからそう思うんだよ。
 なんて、そんな当たり前のことを言われても、わからないものはわからない。
 人を好きになるって、一体どんな気持ちなの?
 高瀬には、好きだと言われた。
 その好きというのは信じられると思った。
 だけど、高瀬自身を信じたわけじゃない。
 だって、年が離れすぎているのよ。十歳も……。
 そして、高瀬は教師で大人。さらにはお買い得独身男。
 そんな奴が、まだ青臭い子供を?
 それって、絶対、からかって遊んでいるだけでしょう?
 そう思うと、どこか胸の奥が痛むのが不思議。
 あんなペテン師に好きなんて言われたから、余計に好きという気持ちがわからなくなる。
 だって、あいつが言っていることしていること、すべてペテンなんだもん。
 わたしは、人を本気で好きになることを恐れているのかもしれない。
 本当に好きになって、もうこの人しかいないと思ったその時、相手もわたしのことを好きになってくれるとは限らないわけだし。
 そんな不安にかられる。
 それが怖い。
 ……自分が傷つくことを恐れているだけ。
 なんて人は言うけれど、そんなものじゃない? 人間なんて。
 いつでも自分がいちばんじゃないの?
 自分以外の誰かのために、だなんてわたしにはわからない。
 自分の身を投げ出してまでも、救いたい人って現れるわけないじゃない。
 どんなに口では好きだと言っていても、結局最後は自分でしょう?
 ――高瀬だって、きっとそうなんだもの。
 人の好きという気持ちほど、信用ならないものはないと思う。
 だから一歩を踏み出せない。好きになれない。
 だって、世の中には、好きで好きで結婚したはずなのに、わかれる夫婦がたくさんいるじゃない?
 それって、一体……?
 なんて不安になったりする。
 わたしもそうなるんじゃないかって。
 この人と思って好きになっても、嫌われちゃうんじゃないかって……。
 そりゃあ、うちの両親は、離婚のりの字も浮上してこない呆れるほどのバカップルだけれど。
 そんな両親を見ているからこそ、不安になる。
 そんな両親みたいな関係に憧れているからこそ、怖くなる。
 口ではむちゃくちゃ言っていても、結局、自分の親のような関係を望んでいるのだろう。
 そして、そんな関係を一緒に築いていってくれる人を求めているから、慎重になる。臆病になる。
 そんな人とめぐり会うことを夢見ているから、信じられなくなる。
 ねえ、この人は、本当に、ずっとずっと一生かわらず、わたしだけを好きでいつづけてくれるの?
 決して、裏切ることなく――。
 そう思うと、やっぱりどこか淋しくなった。
 心を木枯らしが吹き抜けていくような淋しさに襲われる。
 言葉にできないけれど、淋しい。
 こうしているだけで、消えてなくなっちゃいそうになるくらい。
 こういう淋しさって、わかるかな?
 ねえ、本当に、この世の中に、赤い糸で結ばれた、わたしだけの王子様はいると思う?
 わたしだけの王子様と出会い、幸せになれると思う?
 ……不安になる。


「楓花? 何をしているんだ、こんなところで」
 夕食の片づけを終え、キッチンからリビングへやって来た高瀬が、開口一番そう言ってきた。
 クッションを抱き締め、ぽすっとソファーで丸くなっているわたしを見つけて。
 ……まったく。
 高瀬のせいじゃない、何もかも。
 高瀬が余計なことを言うから、わたしは必要もないことを考え、そして淋しくなっちゃったんじゃない。
 高瀬がそもそもの元凶じゃない。
 そんな半分八つ当たりじみた思いを抱え、ぎろっと高瀬をにらみつけてやった。
 やっぱり、八つ当たりでも何でも、むかつくものはむかつくし、腹立つものは腹立つわ、この男。
 ペテン教師、高瀬昂弥は!
 ぎろっとにらみつけてみても、今日のわたしのにらみはどこか勢いがないと、どうやら高瀬にはわかってしまったらしい。
 そんなの、わたしにだってわかっている。
 だけど、自分の感情までコントロールできるほど、わたしは大人じゃない。
 思わず、高瀬からぷいっと顔をそらしてしまった。
 こんなの、やっぱりわたしらしくない。
 戦う前から、戦線離脱だなんて。
 そう思ってみても、やっぱりどうにもできないけれど。
 ……悔しい。
 この時ばかりは、自分がむかつく。
 ただ、もどかしい怒りだけが、とりとめのない淋しさだけが、わたしに襲い来る。
 どうすることもできない感情に、さいなまれる。
 ぷいっと顔をそらすと、高瀬は怪訝そうに顔をゆがめ、ゆっくりとわたしへ近づいて来た。
 ペテンなくせして、目に妙に優しい光をたたえている。
 そして、当たり前のようにわたしの横に腰をおろす。
 高瀬が座った瞬間、その重みでソファーが沈み込む。
 ソファーの上でまるく膝をかかえていたものだから、わたしの体はぐらっと体勢をくずしてしまった。
 そのまま、高瀬の肩にころんともたれかかる。
 慌てて高瀬から離れようとしたけれど、それは当たり前のように阻止された。
 高瀬にすっと抱き寄せられ、きゅっと抱きしめられる。
 そして、やっぱり香る薔薇の香り。
 その甘い香りは、不思議とわたしの気持ちをすうとしずめていく。
 優しくて、あたたかい。
「高瀬……?」
 高瀬に抱きしめられたそこから、高瀬のぬくもりを感じるそこから、力なくちらっと見てみた。
 そこから見た高瀬は、インチキくささなんてみじんも感じさせない、優しい微笑をたたえていた。
 優しい瞳でわたしを、わたしだけを見つめていた。
 それが、逆に嘘くささを感じさせるから、この男は損な男だわ。
 インチキペテン教師、高瀬昂弥という奴は。
 ばちっと目が合うと高瀬は少し困ったように苦笑いを浮かべ、何も言わず、優しくわたしを抱き続ける。
 だからわたしは、急に恥ずかしさにかられ、ぷいっとまた顔をそらしてしまう。
 でも、その腕から逃れようとはしない。
 ――悔しい。
 どうしてこうなっちゃうんだろう。
 どうしてわかっちゃうんだろう。
 ペテンなくせに。インチキなくせに。
 平気で罠を張って、セクハラ行為にいたる、破廉恥教師のくせに。
 どうしてどうして、今いちばんわたしが欲しいものをくれるの?
 それは、人のぬくもり。
 淋しいとそう感じた時、いちばんの特効薬は、人の……誰かのぬくもりだって、高瀬は知っている。
 むかつく。
「どうした? まさか親が恋しくなったか?」
 優しくわたしを抱きしめたまま、高瀬は耳もとで優しくそっとささやいた。
 信じられない。
 この極悪教師がこんなに優しいなんて。
 それに、ママとはなれてしばらくたったけれど、恋しいなんて感じたことはない。
 気づけば、いつも高瀬がそばにいたから、そんなもの、感じる暇さえなかったわ。
 うっとうしいくらいつきまとうから、このインチキ教師は。
「恋しくなんかないわよ。あんな世界記録もののおかしな親なんて邪魔なだけよ」
 それは本当のこと。
 邪魔、は半分勢いみたいなものだけれど、恋しくないことは本当。
 そんな思いにかられる暇がないほど、いつも高瀬がわたしを煩わせるから。
 憎まれ口を叩き、ぎろっと高瀬をにらみつけてやった。
 やっぱりそうこなくちゃ、楓花さまじゃないでしょう?
 すると高瀬はくすっと笑い、そして素直じゃないななんて声にならない言葉をもらし、そっとわたしの頭をなでる。
 その時、ふわっと感じた高瀬が起こした風が、優しくわたしを抱き締めた。
 ――やっぱり、悔しい。
 高瀬はわかっている。わかっていて、あえてそんないじわるを言うんだ。
 にらみつけたそのままで、今度はぷうと頬をふくらませる。
 すると、高瀬はやっぱりくすくすと嫌味な笑いをもらし、きゅっとその胸にわたしの顔をおしつけた。
 まるでそのぬくもりを伝えるように、優しく。
 そうしてわたしは、あまい薔薇の香りに包まれる。
 こんなの、信じられない。
 高瀬がこんなに優しいだなんて。
 いじわるじゃないなんて。
 ペテンでもインチキでもないなんて。
 天性の極悪俺様なくせに。
 高瀬のぬくもりも、薔薇の香りも、こういう時だけはいいかもしれない。
 触れた高瀬の胸からは、とくんとくんとなんとも心地よい音色が響き、伝わってくる。
 いつかみたいに、もう早鐘は打っていない。
 優しいリズムで音楽が奏でられているよう。
 高瀬の胸の音で、わたしの心は落ち着き、安らぐ。
「ねえ、高瀬……。高瀬の家の薔薇を見てみたい」
 気づけば、わたしはぽつりそうつぶやいていた。
 不思議。
 やっぱりそれは、今薔薇の香りに包まれているから?
 薔薇の甘い香りを感じているから?
 わたしがつぶやくと、高瀬は驚いたのか、ずっとずっとさっきからわたしの頭をなでていた手をぴたりととめた。
 けれど、すぐにまたその手は動き出し、やっぱり優しくわたしの頭をなで続ける。
 それが、不思議に、悔しいことに、嫌じゃないから、むかつく。
「オーケー。じゃあ、明日にでも早速行こうか?」
 高瀬はわたしの頭を優しくなでたまま、優しく語りかける。
 ふうっとあたたかな吐息をわたしの耳に、首にかけながら。
 何故だか、その瞬間、甘いしびれがわたしの体を駆け抜けていた。
 まだそれほど日数はたっていないはずなのに、鳥肌すら立っていたあの頃が嘘のよう。
 まるで、高瀬に流されているみたい。
 流されるなんて、それはわたしがこの世でもっとも嫌いなはずなのに。
 あの、麻薬のようなキスみたいに、……くせになりそう。
 ……やっぱり、不思議。
 そんなわたしを知ってか知らずか、高瀬は平然と言葉を続ける。
 その手は優しくわたしを抱きながら。
 甘い微笑みを浮かべながら。
「庭には東屋があるから、そこで、スコーンとローズティーで二人きりのお茶会をしよう」
 俺様キングらしく、高瀬は勝手に決めつける。
 だけど、その決めつけは、おかしなことに、わたしの胸を嬉しさで高鳴らせてくれる。
 ドキドキと、楽しみにさえ思えてしまった。
 薔薇の中でのお茶会だなんて夢のようなことを、このペテン師はさらっと言うから。
 そしてきっと、さらっとしてのけられるのだろう。
 その、こねと権力と財力とやらのうちの、財力をまたしても使って。
 ――やっぱり、むかつく。
 癪に障る男だわ。
 高瀬は普段むちゃくちゃなくせして、こういう時だけは、わたしの望むものを与えてくれるから。
 わたしの心を知っているかのように。


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update:04/03/01