当たり前の夫婦茶碗
ペテン師

 不覚にも、高瀬の胸が落ち着けるとか、そんな血迷った思いにとらわれた翌日。早朝。
 これはやっぱり嫌がらせだな!?と思えるくらい早い時間に、極悪インチキ教師に起こされた。
 またしても、高瀬がわたしよりも一時間も早くベッドから抜け出していたことに気づけなかった。
 この上なく不本意だけれど、隣で触れ合って一緒に眠っているにもかかわらず。
 時計の針を見ると、まだ七時。
 今日からせっかくのテスト休み期間だというのに、こんなに早くに起こすんじゃないわよ。
 これじゃあ、学校がある日と同じじゃない。
 やっぱりとことん癪に障る、極悪教師だわ。
 うん、だから、枕に顔を埋めるわたしに影をかけるこの男の言葉は無視。
 本当、高瀬昂弥というインチキ教師は、せっかくのお休みだというのに、どうしてこう早起きをしてくれちゃうのだろう。
 ……むかつく。
 もう少し寝かせろ。
「楓花、ほら、早く起きる。約束したろう? 昨日」
 腹立たしくも早起きの男は、べりっと羽根布団をむしりとり、わたしのちょうど胸の辺り、真横にぼすんと腰を下ろした。
 その衝撃で、ふわんとわたしの体が少しだけ宙に浮く。
 そんな気がしただけだけれど、あくまで。
 まったく、本当、ことごとく不愉快な男ね。
「約束ー? 何よそれ。そんなのした?」
 いやんいやんと枕と抱擁をかわしていると、高瀬はむりやりその枕を引き抜きやがった。
 当然、ベッドにわたしの顔はぼすっと落ちる。
 鼻がつぶれちゃったらどうしてくれるのよ!?
 恨めしげに高瀬をぎろっとにらみつけると、そのままわたしの不細工な寝ぼけた顔に自分の顔を近づけてくる。
「いい根性をしているよなあ、お前」
 高瀬はぴくぴくと眉の端を動かしている。
 だけど、その目は優しくわたしを見ていた。
 悪魔な微笑みを浮かべているくせに、その目は優しい。
 ……やっぱり、不思議。
 調子が狂う。
「ほら、起きろ。行くんだろう? 俺の家へ。薔薇の庭を見に」
 高瀬はそう言って、だらりとだらしなく、まだまだ惰眠をむさぼろうとしているわたしの上体を、今度はむりやり起こさせる。
 起こされた拍子にがくんと体勢が崩れ、そのまま高瀬の胸へダイブ。
 一体、何度高瀬の胸へダイブした――させられたことだろう。
 そして、やっぱりわたしを包み込む甘い香り。
 高瀬の胸から逃れるのじゃなくて、当たり前のようにそこから高瀬の顔を見上げる。そこから伝わる高瀬のぬくもりを感じる。
 だけど、それは決して高瀬に悟られてはいけない。
「え……? あれって本気だったの?」
 だから、そうして、ちょっととぼけたふりをする。
 もちろん、覚えている。
 覚えていないわけがない。
 だってそれは、何を間違ったのか、わたしから望んでしまったことだもの。
 ……きっと、あれがいけなかったのよ。
 高瀬が無駄に薔薇の香りなんかさせているから。
「当たり前だ。――とにかく起きろ。朝食はもうできているから」
 高瀬はそう言うと、ひょいっとわたしをお姫様だっこする。
 そして、まだパジャマのままのわたしを、問答無用でダイニングへといざなう。
 ……もとい、さらっていく。


「ねえ、これって、何の嫌がらせ?」
 ダイニングに入り、椅子におろされた瞬間、わたしはぽつりつぶやいていた。
 当然、その目はすわっている。……必要以上に。
「何って、たんなる朝食だろう?」
 高瀬はけろりとした顔で、さらりとそう答える。
 あまつさえ、口笛なんか吹きつつ。
 陽気に。お気楽に。……極楽鳥のように。
 ――一度、本当に極楽へ行ってきやがれっ。
「別にいいけれどねー。高瀬が朝食を作るのは、今にはじまったことじゃないし? ……だけど、何よこれ。この念の入れよう!」
 そう叫び、わたしはずびしっとテーブルの上を指差した。
 指差したそこには、どこかの高級旅館の朝食のように、きらきら光るおかずたち。
 その数、ざっとでも数えきれません。
 しかも、普段は洋食なのに、今日に限って何ゆえ和食?
 嫌味か、嫌がらせか。
 より手がかかる和食なんて!
「だって、今日は楓花とのはじめてのデートだろう? 活力をつけなければ」
 ……何の活力よ、一体。意味がわからない。
 というか、デートじゃないし。
 高瀬はにこにこ笑いながら、ゆらゆら湯気を上げるご飯をもったお茶碗二つと、お味噌汁を入れたお椀二つをお盆にのせて、嬉しそうにキッチンから持ってきた。
 しかも、そのお茶碗、わたし、見たことがないわよ? これまで一度も。
 うちにあるお茶碗じゃないわよね、当然。
 だってだってだって、そのお茶碗ってば、よりにもよって、よりにもよって……。
 何ゆえ、夫婦茶碗!?
 ――殴りたい。殴り倒したい。この場で、今すぐ!
「いいだろう、この茶碗。昨日、原黒(はらぐろ)に買いに走らせたんだ。……伊万里まで」
 お茶碗をわたしの前にことんと置き、無駄に天使の微笑みでにっこり笑う高瀬。
 でもわたしにとっては、この天使の微笑みは、ペテン師の微笑みにしか見えない。
 ペテンなインチキ教師の天使の微笑みは、問答無用ですべて、ペテンな微笑みに早変わりしちゃうからすごいわよねー、なんてしみじみ……。
 できるかっ!
 わざわざ買いに走らせるんじゃないわよ、そんな遠くまで、そんなもの。
 というか、いいわけあるか、このお茶碗。
 たしかに、見るからにめちゃめちゃ高そうだけれど、問題はそこじゃない。
 夫婦茶碗。見るからに、明らかに夫婦茶碗。
 どこをどうとっても、問答無用で夫婦茶碗。
 それが最大の問題じゃない!
 この男、嫌がらせにもおしみなくお金をかけてくれるのね。
 さすがは、「こねと権力と財力は、最大限活用しないとね?」とかふざけたことをはく男なだけはある。
 と、妙に納得……。
 できるわけないでしょう!
「……というか、原黒って誰?」
 複雑に顔をゆがめ、神妙に高瀬にそう聞いていた。
 わたしの口からでたものは、意外にも普通の疑問、問い。
 その名前、はじめて聞いたわ。
 いっぱいいっぱい言ってやりたいことはある。
 けれど、それを口にしてしまうと、返ってくる言葉に腹立たしくさせられること必至。
 だから、ここはあえて、流す。
 この上なく納得がいかないけれど、癪だけれど。
「え? あれ? 楓花は知っているだろう? あの男だよ、俺の召使い」
 高瀬はきょとんと首をかしげなら、そう言ってわたしの前の席に腰をおろした。
 どうして知らないの?と、いかにも言いたそうな顔をしている。
 知るわけないでしょう。知っていてたまるか。高瀬の召使いの名前なんて。
 それにしても、……ぷっ。
 いやいや、だめだめ。そこで笑っちゃだめ。
 し、しかし、これは笑わずにはいられないわよ!?
 よ、よりにもよって、ハラグロですか、ハラグロ!
 ぷぷーっ! ぴったり!
 ぴったりすぎて爆笑ものよ。
 あなたの召使いには、ぴったりの名前。あなたの召使いらしい名前!
 それって、狙ったの?とまで思っちゃうくらい、ぴったり。
 まさか、噴水端でわたしを拉致ったあの召使いとやらの名前が、原黒だったなんて……。
 おかしすぎるわよ!
 その事実の前では、この夫婦茶碗の嫌がらせなんて、ちゃちなものよ。
 くっくっと肩を揺らし必死に笑いをこらえるわたしに、高瀬はにこにこと笑顔を向けていた。
 理由は何であれ、わたしが笑っている。
 それを、心から嬉しく思っているといったふう。
 高瀬、嫌がらせなくらい、ちゃんとわたしのことを気にかけていたんだ。
 昨日の夜のわたしの血迷いから、察してくれていたんだ。
 この男、思っていたよりも、案外頼れる奴かもしれない。
 していることも言っていることも、めちゃくちゃだけれど。人としてどーよ!?だけれど。
 もしかしたら、心は、そんなにめちゃくちゃじゃないかもしれない。
 何だかんだと嫌がらせとかスケベなことをしてくるけれど。
 そういえば、高瀬は当たり前のように、わたしが欲しいものを知っている。
 そして、当たり前のように、わたしを不安にさせる言葉も知っている。
 ちくんと胸を痛めるあの言葉。
 わたしは、男の人を、まだまだ本気で信じられそうにない。好きになれそうにない。
 この男、インチキ教師高瀬に、あらためてそう思わされた朝。


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update:04/03/04