薔薇園のロマンスグレー
ペテン師

「楓花、お茶の用意をさせてくるから、その辺りをぶらぶらして待っていて」
 そう言って、高瀬は屋敷の中へ消えて行った。
 わたしは、そんな高瀬の後ろ姿を、むせかえるような薔薇の香りの中、どこかとりとめのない淋しさを感じながら見送っている。
 今、わたしは高瀬の家――屋敷に来ている。
 本当に、高瀬の屋敷はすごかった。
 庭いっぱいに広がる薔薇。
 そしてその中央に、ちょこんとたたずむ洋館。
 ちょこんととか言っているけれど、その大きさはちょこんとどころじゃない。
 この広大な庭の中にあるから、ちょこんと見えるだけ。
 本当はめちゃめちゃすごい、大きい。
 それはどのくらい?なんて、わたしは例える術を持ち合わせていない。
 例える対象が、即座に思い浮かばない。
 ところどころ、つたがからみついたその外壁は、どこか欧州を感じさせる。
 これは、あれかもしれない。
 夢見る乙女の夢見る洋館。
 まるで王子様でも出てきそうな、そんな感じ。
 庭いっぱいに広がるこの薔薇の中にたたずむ王子様。
 真っ白いシャツを着て、その胸の辺りが少しはだけていたりしたら、最高。
 ちょっぴり着崩した格好は、妙に色気を感じさせるから。
 ――おいおい、わたしはどこかのセクハラ教師か!と、自分につっこみ。情けない。
 しかもそれが、ちょっと憂いを秘めていたりすると、また最高よね。
 んー。なんて、乙女の夢なのかしら。
 なんて乙女なのかしら、わたしって。
 まあ、実際には王子様なんていないけれど、そういう感じがしてくるから不思議。
 ここの薔薇たち、すべて真っ赤。深紅。
 やっぱりそれは、乙女の夢のよう。
 ううん、ここに今わたしがいることが、夢みたい。
 見てみたいと、思わずつぶやいたのは無駄じゃなかった。駄目じゃなかった。
 こんな世界を見ることができたんだもの。
 だけど、高瀬はどうして、あっさり自分の家へわたしを連れてきてくれたのだろう?
 ……恋人でも何でもないのに。
 そこが、少しひっかかる。
 そして、少し淋しさを感じる。ちくんと、胸が痛む。
 それでも、単純だけれど、憧れの世界を目にして、わたしの胸はドキドキいっている。
 嬉しくて、楽しくて。
 目の前には、薔薇のアーチがある。
 きっと、そこをくぐれば、気分はお姫様なのかな?
 さらに、薔薇の夢のような世界が広がるのかな?
 そして、納得した。
 いつまでたっても消えない、高瀬のあの薔薇の香り。
 これほどのむせかえるような薔薇の香りの中にいたんだもの、たしかに染みついちゃうよね。
 甘い甘い薔薇の香りに包まれ、わたしの心は幸せでいっぱい。
 そうして、まるでひかれるように薔薇のアーチをくぐり、しばらく薔薇の中を歩いていった。
 さっき高瀬にその辺り≠ニ言われたけれど、多分その辺り≠ゥらはもうずいぶんはなれちゃったかもしれない。
 今までいたのは、屋敷の表。
 だけど、そろそろ屋敷の裏辺りにさしかかってきたから。
 ふらふらと、まるで甘い薔薇の香りにいざなわれるかのように。
 この庭いっぱいに咲き乱れる薔薇の品種なんてどうでもいい。
 ただ、薔薇がそこにあるだけでいい。
 高瀬と同じ香りがする薔薇があればいい。
 その時だった。
 わたしは見つけてしまったかもしれない。
 薔薇の庭にたたずむ、王子様。
 ……もとい、王様。
 真っ赤な薔薇の中、わずかに動く人影。
 その人影は、ロマンスグレーな色をしていた。
 その時、ざあっと一筋の風が駆け抜けた。
 それと同時に、風にのった薔薇の香りが、わたしに襲いかかってくる。
 甘い甘い、薔薇の香り。
 薔薇の香りに抱かれるように包まれる。
 その風に促されるように、そこにいたロマンスグレーな王様は、すいっとわたしの方へ振り向いた。
 そして、一瞬驚いたように目を見開き、すぐにそれがなかったようににっこり微笑む。
 どこか品があり、人好きのする、とても優しい笑顔だった。
「これはこれは、お客様かな?」
 ロマンスグレーな王様は、わたしに微笑みかけながら歩み寄ってくる。
 思わず見とれてしまっていたけれど、はっとして、慌ててぺこっと頭を下げる。
「は、はい。あ、あの……お邪魔しています」
 わたしの慌てた様子がおかしかったのか、ロマンスグレーな王様はくすりと笑い肩をゆらした。
 それが、妙にわたしをほっと安心させる。
「あの……もしかして、この薔薇はすべて……?」
「え? ああ、すべてわたしが育てたのだよ」
 途中で言葉を切ったにもかかわらず、ロマンスグレーな王様はちゃんと察してくれて、紳士な笑顔とともに望み通りの返事をくれた。
 どこかのペテン師とは大違い。
「では、あなたが庭師さんなのですね?」
「え……?」
 そう問いかけると、ロマンスグレーな王様は不思議そうに首をかしげた。
 あれ? 違うの? でも、高瀬は……。
「あ、あの、高瀬――昂弥さんが言っていたので。庭の薔薇は、庭師さんが育てていると」
「ああ、そういうことか」
 首をかしげるロマンスグレーな王様は、わたしのその言葉で納得したよう。
 一度うなずくと、やっぱり優しい微笑みをわたしにくれた。
 それが、ちょっぴりわたしの良心を痛めさせた。
 だって、言ってしまったから。昂弥だなんて、高瀬の名前。
 高瀬、じゃなくて、昂弥。
 本当は、高瀬先生と言おうとした。
 だけど、直前でやめてしまった。
 先生なんて言ったら、もしかしたら、高瀬に迷惑がかかるかもしれないと、そう思っちゃったから。
 後から大変なことになっちゃうかもしれないと思ったから。
 先生なんて言ったら、わたしが生徒だってばれると思ったから。
 いくら高瀬の家の人だとしても、それはやっぱりまずいかな?と……。
 今日連れて来たわたしを、高瀬は何と説明したのかわからない。
 じゃあ、無難なところでそう呼んでおいた方がいいかな?と。
 わたしにしては、気がきいていると思う。……多分。
 あんな極悪ペテン師に、何の遠慮もいらないとわかっているけれど、だけど……。
 ううん、そうじゃなくて、ただ、わたしたちの本当の関係を知らない人の前では、名前で呼びたかった?
 ばれる恐れは少ないから。
 名前で呼ぶ。それは、なんだか特別な関係のように思えて……。
 わたしが、生徒だとばれるのは、嫌。
 高瀬の生徒では、嫌だと思ってしまった。
 先生とか生徒とか、そういうのじゃなくて、もっと別の……別のものがよくて――。
 わたしの心の中を、この薔薇のように甘い思いと、高瀬が入れるコーヒーのように苦い感情が駆け抜ける。
 ざあっと、通り過ぎていく。
「それでは、お嬢さん、薔薇の花はいかがですか? お客様ならサービスしますよ?」
 ロマンスグレーな王様は少しおどけてみせて、ぷちぷちと薔薇の花を数本切っていく。
 そして、再び顔を上げたロマンスグレーな王様は、にこっとわたしに微笑みかけた。
 とても印象のよい紳士。
 やっぱり、そう思った。
 あんなペテン師の家の庭師だなんて思えない。
 ロマンスグレーな王様は、手折った薔薇の棘をぷちぷち切っていく。
「つっ……」
 ふいにその言葉がもれたと思うと、ロマンスグレーな王様の指先が、少し赤くにじんでいた。
「あ……! もしかして、棘で!?」
 慌ててロマンスグレーな王様に駆け寄る。
 そして、鞄の中をごそごそと探り、絆創膏を取り出す。
 ……我ながら、なんとも用意周到なことで。
 天晴れ。
 備えあれば憂いなし、とはよく言ったもの。
「こ、これで……」
 絆創膏を差し出すと、ロマンスグレーな王様は、肩をすくめ少し困ったような微笑を浮かべる。  「これはこれは、お客様にとんだことを」などと言っているみたいに。
 だからわたしは、半ば強引に血がにじむその指を取り、ぺたっと絆創膏をはりつけた。
 きっと受け取ってくれないと思ったから。だから……。
 だって、わたしのために切ってくれた薔薇の棘で、指を怪我しちゃったのだものね?
 なんだか良心が痛むじゃない?
 絆創膏を無理矢理はったにもかかわらず、ロマンスグレーな王様は、優しい微笑みをたやさず、「ありがとう」なんて優しく返してきた。
 その微笑に、ほんのり心があたたかくなって、わたしは自然と微笑んでいた。
 そうして、ロマンスグレーな王様は、またぷちぷちと薔薇の棘を切っていく。
 すべて棘を切り終わると、これでよしとその薔薇たちをわたしに差し出してきた。
 少しためらいながらも、わたしは素直にその薔薇を受け取る。
 同時に、ふわっと広がる甘い香り。
「ありがとうございます」
 自然、甘い香りに誘われて微笑んでいた。
 そして、その薔薇の香りを堪能する。
 この香りは、高瀬の香り。
 今手にあるのも、そしてわたしを吸い込むようにそこに咲き乱れるのも、高瀬の香り。
 まるで、真っ赤な薔薇の海の中で、高瀬に包まれているみたい。
 そんなことを思ったら、やっぱりどこか心があたたかくなった。嬉しくなった。
 幸せな気持ちになった。
 また、高瀬に触れられたいと思ってしまった。
 不思議――。
 その時、遠くの方で、わたしを呼ぶ高瀬の声がした。
 嬉しさとあたたかさでいっぱいになり、どきんと胸が高鳴る。


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update:04/03/07