流れるように惑う心
ペテン師

「楓花? あれ? その薔薇は……?」
 むせかえるような甘い香りを放つ薔薇の中を、声だけをたよりに高瀬のもとまで駆けてきた。
 何故駆けたのかは、わたしにもわからない。
 こんなペテンな奴なんて、いくらでも待たせてやればいいのに。なのに……。
 高瀬のもとにたどり着くと、高瀬は優しくあまい微笑みでわたしを迎え入れた。
 そんな高瀬を見て、思わず、何を血迷ったのか、見つけたと思った。
 今度こそ、王子様を。本物の王子様を。
 わたしだけの王子様を。
 薔薇の海にたたずむ高瀬は、インチキなくせして、きらきらの空気をまとっているように見えてしまう。
 嬉しそうに両手を広げ、わたしを迎え入れようとしている高瀬に、そのまま吸い込まれそうになる。
 そのとろけそうな笑顔を見てしまうと、その胸に飛び込んでしまいたい衝動にかられる。
 ――わからない。
 わたしが、わたし自身が。
 まず第一に、どうして高瀬に名前を呼ばれ、駆け寄ったのか、その行動からしてわからない。
 流される。
 流されつづける。
 それはまるで、このむせかえるような甘い薔薇の香りが見せる幻覚のよう。
 薔薇の香りが、わたしを狂わせる。幻影を見せる。
 そのキス同様、これもまた、わたしに麻薬の作用を運んでくるのかもしれない。
 キスは依存を。薔薇の香りは幻覚を。
 高瀬のもとまで駆け寄ると、狙ったようにわたしを抱き寄せようとした。
 だけど、それをかわすように、腕に抱える薔薇をついっとつきつける。
 そこで、高瀬は少し不機嫌にそう言ってきた。その薔薇は?と。
 そう言うように仕向けたのはわたしだけれど。
 だって、こんなところで、家にいる時のようなことをしようとするんだもの。
 まったく、信じられない。
 ばれたらどうするのよ。
 ……まあ、ここは高瀬の家だから、すでにばれているかもしれないけれど。
 だけど、でも、やっぱり許せないわ! わたしの中の分別という言葉が許してくれない。
「これ? これはさっきもらったの。庭師さんに」
 にっこり笑い、当然返ってくるとわかっていたその言葉に、わたしはそう答える。
 その笑顔はもちろん、高瀬に対するあてつけの皮肉たっぷり。
 でも、わたしは知っているから。
 高瀬のあの時の言葉、半分くらいは嘘じゃないって。
 人目があるところでは何もしない、というその言葉。
 実際高瀬は、家以外では、その、何というか、いかがわしいことをしてこようとしない。あまり。
 そう、あくまであまりなのだけれど、高瀬にも少しくらいはわかっているらしい。
 自分が……自分たちが、一体どれだけ危険なことをしているのかということを。
 世間にばれたらおしまいだというのに、高瀬はどうしてこんなことを企んだのだろう。
 そこまでして、わたしと一緒に住みたかったの? 暮らしたかったの?
 今だって、高瀬はわたしの洗濯物の洗濯以外は全部引き受けてくれている。
 ――もちろん、それだけはわたしが有無を言わせず許さなかったのだけれど。
 高瀬はまるでわかっているみたいにそうする。
 これまで、あの年中春女を母親にもったばかりに、普通の女の子のように暮らせなかった。
 誰かに食事を作ってもらえる、そんな幸せを忘れていた。
 腫れ物に触るように扱われ、むなしささえ感じていた。
 そんなわたしを知っているかのように、高瀬は一歩先まわりして、何もかも、こともなげにさらっとしてのける。
 わたしの気持ちを大切にしてくれている。
 それでもやっぱり、していることはめちゃくちゃにかわりないけれど。ペテンでセクハラだけれど。
 高瀬は、このお屋敷にいれば、不自由なく暮らせるはずなのに、家事なんてしなくてもいいはずなのに、それなのに、わざわざわたしの家に同居しなくたって……。
「庭師……?」
 わたしの言葉に、高瀬は眉根を寄せて首をかしげた。
「ほら、高瀬が言っていたじゃない。ここの薔薇を育てているのは庭師さんだって。さっきね、それらしい男の人に会ったの。そうしたらこれをくれたの」
 首をかしげる高瀬に、どうしてわからないのよ!と疑わしげな視線を向けてやる。
 実際、高瀬が言っていたじゃない。
 このお屋敷の薔薇を育てているのは庭師さんだって。
 それなのに、何よその反応。
 ……おかしなの。
「ああ、そういうことか。よかったな、楓花」
 高瀬は納得したようにひとつうなずくと、おもむろにわたしを抱き寄せた。
 当然、とってつけたように天使にみせかけたペテン師の微笑みを浮かべて。
 一瞬の遅れをとり、抱き寄せられてしまった。
 ……不覚。
 でもまあ、ここなら、見られて困るようなことはないかもしれない。
 だって、ここは高瀬の家。
 何かまずいことがあれば、高瀬のその俺様極悪ペテンっぷりをおおいに発揮し、きっと口どめ――いやいや、口封じをしてくれるだろう。
 その光景は、あまりにも恐ろしすぎて想像できないけれど。
 抱き寄せられて、いつもなら抵抗するはずなのに、わたしは素直にうなずいていた。
 そう、抵抗の素振りすらみせず。
 それはやっぱり、この薔薇がわたしを惑わせているから?
 高瀬の腕の中で、ふいっと視線をそらしうなずくと、高瀬は少し切なそうにそして嬉しそうに微笑んだ。
 腕にこめる力を強める。
 ほんの少し、もう少し、そばにわたしを感じたいと。
 それが、不思議とわたしに伝わってきた。
 今日の高瀬は、どこかがおかしい。
 だって、ちっともいじわるじゃないもの。
 ううん、やっぱりいじわるだけれど、それをわたしがいじわるだと感じないだけ?
 それに、そのペテンっぷりも、あまりペテンに感じられないし……。
 していることは、いつもと同じはずなのに。
 やっぱりそれは、この薔薇の香りがわたしを酔わせているから? 惑わせているから?
「楓花、かわいい」
 少し強くわたしを抱きしめると、高瀬はふわっとその顔をわたしの顔までもってきて、甘く甘くささやいた。
 そして、やっぱりいつかのように、ごろごろと、その頬をわたしの頬にすりつける。
 すると、高瀬の栗色の髪も一緒にわたしに触れて、少しくすぐったいような気がした。
 だけど、それは嫌じゃなくて、ふわっと触れる高瀬の髪が気持ちよく思えてしまう。
 柔らかいその髪が触れるたび、わたしの体から流れるように力が抜けていく。
「ちょ、ちょっと高瀬!?」
 気持ちいいはずなのに、もう少しそうしていてほしいはずなのに、わたしはやっぱり抵抗していた。
 無意識に。恥ずかしさから。どきまぎから。
 高瀬に抱かれ、押しつぶされてしまったその薔薇を、ばしっと高瀬の頭に打ちつける。
 ……ちっ。そう思うと、棘を切らずにいてもらうんだったわ。
 なんて、ちょっと悪魔なことを考えてみたり。
 ばしっと高瀬の頭を薔薇でなぐると、ぱらぱらぱらと薔薇の花びらが舞い落ちた。
 それがまた、狙ったとばかりに、とってつけたように、高瀬の甘く微笑む顔に降り、思わず見とれていた。
 薔薇の中の王子様。
 まさしく、そのような感じだったから。
 綺麗だと、そう思えてしまった。
 男の人のはずなのに、男の人なのに、綺麗に見えた。
 キャピキャピ娘さんたちがどうしてあんなに騒いでいるのか、なんとなくわかったような気がする。
 不覚にも高瀬に見とれていると、その顔が、薔薇が舞う顔が、わたしの顔へと降ってきた。
 そうなると、いつものようにかわす、キス。
 そして、ゆっくりはなれていく、高瀬の顔。
 少し意地悪く微笑んでいるけれど、その目はとても優しくわたしを見つめている。
 やっぱり、高瀬のキスは、麻薬だ。
「まったく……。どうせなら、かわいいじゃなくて、きれいと言ってよね?」
 当然、キスしたことをなじらなければいけないはずなのに、わたしはまったく関係がないそんなことを言っていた。
 じろっと高瀬を見つめ、ほんのり頬を染める。
 このキスを、否定したくなくて。
 ――おかしい。
 今日おかしなのは、高瀬だけじゃなく、わたしもかもしれない。
「まだ子供のくせに」
 わたしの言葉に、高瀬はさらっとそんなことを言って、くすっと鼻で笑いやがった。
 ついさっき、その子供に当たり前のようにキスをしたのは、どこのどいつよ。どこのペテン師よ。
 ――むかつく。
 やっぱり高瀬は、どうしたってわたしを腹立たしくさせてくれる。
 この男以上に、訳がわからなくて、癪に障る男は、絶対にいない。
 インチキ教師は相変わらずわたしを抱いたまま、ごろごろと気持ちよさそうに頬ずりをしてくる。
 わたしが怒りに震えているのなんてかまわずに。
 ……違う、そうじゃない。
 わたしも、抵抗しようとはしない。
 まるで、諦めきったように。
 ううん、そうじゃなくて……。
 ずっとずっとそうしていたい。
 高瀬に抱かれ、高瀬のぬくもりを感じていたい。
 腹立たしいことをいちいち言ってくれる男だけれど、でもそこに、高瀬の腕の中にいて待っているのかもしれない。
 また、高瀬が意地悪にキスしてくるのを。心のどこかで――。


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update:04/03/10