ペテン師のあまい誘惑
ペテン師

 高瀬はあの後すぐに、わたしを解放した。
 そして、にっこり微笑み、わたしの手をとり、ここに誘った。
 昨日の夜、わたしを抱き、わたしの頭をなでながら言っていた、薔薇の中の東屋に。
 高瀬が言っていたように、そこにはすでにお茶の用意がされていた。
 そして、ほのかに香る、ローズティーの香り。
 まわりの薔薇の香りにかき消され、その香りを堪能できない。
 でも、ローズティーでよかったかもしれない。
 これが別のものだったら、きっと違和感があっただろうから。
 高瀬は、心得ているんだ。
 この場にあうお茶が何であるかを。ここの住人らしく。
 高瀬は、ずっとこの夢のようなところで暮らしていたんだ。
 だからいつまでたっても消えないのよね。その体にしみこんでしまった、ここの薔薇の香り。
「さあ、楓花、そこに腰かけて」
 そう言って、高瀬は今まで握っていたわたしの手をはなし、椅子へと促す。
 高瀬に促されるまま、椅子にちょんと腰を下ろす。
 わたしの手から高瀬の手がはなれた瞬間、その手にすうと冷たい空気を感じた。
 夏なのに、夏のはずなのに。
 ……やっぱり、不思議。
 今日の高瀬は妙に優しくて、そしてわたしは気持ち悪いくらいに素直。
 信じられない。こんな高瀬もわたしも。
「本当に用意したのね、ローズティーにスコーン」
 テーブルの上に視線を落とし、皮肉まじりに言ってやった。
 だけどやっぱり、高瀬には皮肉なんて通じるはずがない。
 そんなの、わかりきったことだけれど。
「ああ、スコーンだけでは物足りないかと思って、他のものも用意させたけれど。楓花には、やっぱりこれがおすすめだな。いちごジャムをたっぷりつけたスコーンが」
 高瀬は、ローズティーを注いだカップをわたしの前にことんと置いた。
 ゆらゆらと白い湯気を上げ、ローズティーの香りが鼻を刺激する。
 この薔薇の中にいるにもかかわらず、今度はしっかり感じたその香り。
 それは、もしかしたら高瀬が注いでくれたからかもしれない。
 漠然と、そう思えた。
 そして、自分の分もローズティーを注ぎ終えると、高瀬はさっき言ったように、スコーンにたっぷりいちごジャムをつけて、わたしに差し出してきた。
 「うまいぞ?」なんてにっこり微笑んで。
 高瀬は、やっぱり知っていたんだ。わたしがいちごが好きなことを。
 でも、どうして? どうして、そんなことを知っているの?
 じっと高瀬をにらみ、そしてばっとそのスコーンを奪い取ってやる。
 いちごジャムたっぷりのスコーンを、一口かりっとかじってみる。
 すると、本当においしかった。
 むかつくけれど、高瀬が言ったとおり。
 それがあまりにも悔しいから、ぷいっと高瀬から顔をそむけてやる。
 そして、ローズティーをぐいっと一口口にふくむ。
「あつっ……!」
 がしゃんと音を鳴らせ、カップをソーサーの上に置く。
 同時に、高瀬が慌てて立ち上がった。
「馬鹿……! 熱いに決まっているだろう。ほら、見せてみろ」
 高瀬は両手にわたしの両頬をすっぽりおさめ、わたしの顔を自分の顔にぐいっと寄せる。
 ……どきんっ。
 高瀬の妙に真剣な眼差しをたたえた顔が間近にきて、わたしの意思を無視して、わたしの心臓は暴走しはじめた。
 どきん、どきん……どくんどくん……と――。
「だ、大丈夫よ! それに、見せてみろって、高瀬……!」
 頬に触れる高瀬の手をぐいっとひきはなし、ぎろりとにらみつけてやる。
 だってだって高瀬、それってそれって……。
「ちっ。だめだったか」
 高瀬は悔しそうに舌打ちをする。
 ――おい。何よ、それ。
 同時に、暴走していた心臓も、わたしの意のままに戻る。
 いやーな予感がする。
 しかし、確かめずにいれば、それはそれで気持ちが悪い。
 意を決し、けれど頬をひきつらせ、一応は聞いてみる。
 その答えは、九九パーセントくらいわかっているけれど。
「た、高瀬、つかぬことをお尋ねしますが、もし、そこでわたしが、はいと舌を見せていたら……?」
「当然、なめる」
 ばちんっ。
 にやりと微笑みさらりとそう言った高瀬の頬を、思いっきり平手打ちしていた。気づけば。
 それはまさしく、脊髄反射というものだったかもしれない。
「あ、あなたって奴は、あなたって奴は……!」
 高瀬をひっぱたいてやったその手を握りしめ、ふるふる震える。
 もちろん、おさえきれない怒りのために。
 明らかにわたしは怒っているというのに、高瀬はたわいないとばかりにひょうひょうとしている。
 さらには、不敵な俺様な微笑みを浮かべたりしている。
 まったく、馬鹿にしているわ!
「ほら、そんなことより、これで涙を拭いて」
 高瀬は憤るわたしの頭をぽんぽんと右手でなでながら、左手でポケットの中からするりと真っ白いハンカチを取り出してきた。
 それと同時に、ぱらりと紙切れのようなものがポケットから落ちた。
「高瀬……? 何か落ちたわよ? 紙……?」
 紙切れに気づき、高瀬にそう言ってみた。
 すると、高瀬は瞬時に顔色を変え、慌ててその紙切れを拾い上げる。
 そして、「なんでもない」と困ったように微笑み、その紙切れをくしゃっと丸め、再びポケットに押し込んだ。
 そんな高瀬らしからぬどこか動揺しているような素振りが、怪訝に思えてならない。
 だけど、それには触れないことにした。
 触れてはいけないような気がしたから。
 いつかの、高瀬の家からとどいたメールのように。
 まるでわたしに隠すように振る舞うから。
 だから、わたしも何事もなかったように、普通――普通?――に振る舞う。
「涙ー!?」
 差し出してきたハンカチを持った高瀬の手を、ばちんとひっぱたいてやった。
 すると高瀬は、はあと、これみよがしに大きなため息をもらす。
 そして、ぐっとわたしの顔を高瀬の顔へ引き寄せる。
 その瞬間、真っ白いハンカチがわたしの頬をくいっとぬぐった。
「まったく。お前、気づいていなかったのか? さっきから目元、涙でぬれているぞ?」
「え……?」
 嘘……。
 そっと目に触れてみると、たしかにまつげの辺りが湿っているような気がする。
 ということは、もしかして……。
「熱かったんだろう、涙が出るくらいに」
 高瀬はどこか困ったように微笑む。
 そして、すいっと高瀬に抱き寄せられると、また降ってきた、キス――。
 それはまるで、タイミングを心得ているように降ってくる。
 いつもいつも……。
 わたし、知っている。わかっている。
 何故タイミングがいいのか。
 それはきっと、その時、わたしもそうして欲しいと心のどこかで思っているから。
 だめだとわかっているのに。このままじゃだめだとわかっているのに。
 このままじゃ、高瀬にずるずる流され、そのうちに取り返しがつかないことになるかもしれない。
 どっぷりはまったその時には遅いのに。
 どうしよう。このままじゃ、どんどんわたしがだめになっていく。


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update:04/03/13