猫かぶりな猫舌
ペテン師

「高瀬、やめて。……痛い」
 少しもったいない気はしたけれど、高瀬のキス攻撃をかわしてみた。
 ぐいっと、さらさらの栗色の髪をつかむ。
 ぐいっと、何度もダイブした胸を押す。
 本当に、もう駄目なのかもしれない。
 高瀬の麻薬のようなキスからは、逃れられないのかもしれない。
 麻薬――。高瀬のキスは、まさしくそうだから。
 一度受け入れると、もうやめることができない。
 何度も何度も欲してしまう。
 頭は駄目だといっていても、体はいうことをきいてくれない。
 こんなに強く激しい麻――ううん、媚薬は他に知らない。
 そして、痛いというのもたしか。
 たった今、ぴりぴりと痛みを感じさせるやけどをしたばかりだというのに、高瀬はそんなことにはかまうことなくキスをしてくる。
 でもその痛みは、何か胸をざわざわさせる不思議な痛みのような気もする。
 痛いからやめて欲しいのに、だけどやめて欲しくもない。
 不思議な感覚に襲われる。
「あ……。そうか、すまん。やけどをしていたんだったな」
 高瀬はわざとらしく、すまなそうな顔をつくってみせる。
 あくまで、みせているだけで、全然そんなことは思ってもいないくせに。
 その天使の微笑みをしたペテン師の顔が言っているわよ、ちゃんと。
 そんなもの百も承知の上で、キスをしているのだって。
 まったく、調子がいい奴ね。
 自分の思うがままに行動するのだから。
 さすがは俺様。
 口ではすまないと言っているくせに、その手はまったくわたしを解放しようとしないのだから。
 高瀬の両腕は、いまだにちゃっかりわたしを抱き寄せたまま。
 そして、やっぱりやめる気なんてないのよ。
 その顔をまたわたしの顔へ近づけてくるんだもん。
 この男、本気でどうにかして。
 高瀬は一度はじめると、見境なく、そしてとめどなくキスをし続けてくる。
 そう、満足がいくまで。もちろん、高瀬が。
 一体、わたしを何だと思っているのよ?
 セクハラ破廉恥教師めっ!
「だから、やめろと言っているでしょう!」
 だから当然、ぐいっと高瀬の顔を思いっきり押しのけてやる。
 わたしが触れた高瀬の頬が、ぐにっと醜くゆがむ。
 けれど、今度はその手を高瀬にぐいっとつかまれ、身動きできなくされてしまう。
 さらには、つかんだ手を、すりすりと高瀬の頬にすりつける。
 今度はわたしの唇だけじゃなく、手まで堪能するつもりらしい。
 そして、その手を握ったまま、当然のように高瀬の顔が再びわたしの顔に近づいてくる。
 ああ、もう、本当、なんて男なのよ!
「高瀬、やめてよ。本当に痛いんだから。ぴりぴりするのよ」
「平気。俺が冷やしてあげるから」
 ……待て。
 待ちやがれっ!
 あなたが言っていること、めちゃくちゃなのですけれど?
 冷やす!? どうやって!?
 どうすれば冷やせるというのよ。
 こんなセクハラ行為で!
 ただちに、目の前に理論立てて提示してごらんなさいよ。できるものならね。
 ……いや、問題はそこではなかったけれど。
 ああもう本当、この男にかかると、調子をくずされっぱなしだわ。
 悔しくてたまらない!
「楓花、大人しくして」
 眉間にしわを寄せ、少しむっとした様子で、高瀬はわたしを見つめてきた。
 きゅっと抱きしめ、わたしを拘束する。
 そして、当然のように、ごろごろとわたしの頬に頬ずりしてくる。
 だから、それも違うしっ!
 たしかに、キスはやめてくれたけれど――口ではめちゃくちゃ言っているけれど、ちゃんとやけどを気にはしてくれているらしい――でもそういうことじゃない。
 もう、この巨大猫が!
 あなたは頬ずり星人か!
「やっぱりいいなー、楓花は。気持ちいい」
 そう満足げにひとりごちながら、高瀬はわたしの意思なんて関係なく、ごろごろごろごろしつこいくらいに頬ずりをしてくる。
 でもこの頬ずりって、純粋に頬ずりをしているのじゃないかもしれない。
 だって、本物の猫がするような頬ずりじゃないんだもの。
 頬ずりは次第に頬ずりじゃなくなって、その手はくしゃりとわたしの髪をなで、流れるように高瀬の唇がわたしの頬を、そして首へと移動していく。
 その瞬間、びくんとわたしの体が震え反応した。
 同時に、ざあっと、熱が足の先から頭のてっぺんへ駆け上った。
「ちょっ……高瀬! 馬鹿っ!!」
 熱を感じると同時にそう怒鳴り、高瀬を引き離そうとする。
 けれど、高瀬は「ん……」なんてくぐもった声で生半可な返事をするだけで、びくともしない。
 ぎゅっとわたしを抱きしめたまま、わたしの首にキスをし続ける。
 その顔をうずめるように。
 な、何を考えているのよ!
 このドスケベペテン師め!
「た、高瀬ー! そ、それよりもお茶! さめちゃう!」
 涙まじりの声で、高瀬にやめるように促す。
 だけど、当然のようにそれはさらっとかわされてしまう。
「どうでもいいよ、そんなもの」
 高瀬はわたしの首筋から少し唇をはなし、耳元で甘くささやいた。
 どうでもよくなんかない!
 しかも、続けざまにこんなことまでほざきやがる。
「それよりも、こっちの方が大事」
 ……だから、待ちやがれっ。
 あまりもの爆弾発言に、一瞬思考が停止しちゃったじゃない。馬鹿!
「わたしはお茶の方が大事なの!」
 そう怒鳴って、どうにか自由がきく右手でぐっとカップを持ち上げる。
 そして、そのカップをついっと高瀬の顔の前に突き出す。
 すると、しばらくの静止と沈黙の後、高瀬はあてつけがましく盛大にため息を吐き出した。
 ため息をもらしたかと思うと、不服そうにゆっくりとわたしを解放していく。
 そして、わたしの手からカップを奪い取る。
 それ同時に、高瀬はカップの中のローズティーをぐいっと一気飲み。
 ……先生、それはやりすぎ。
 別に一気に飲まなくてもいいのに。
 ほどよいぬるさになっていたからといっても。
 いくらすねちゃったからといっても。
 いくらキスを拒否したからといっても。
「あつっ!」
 一気飲みの報いか、今度は高瀬がそんな小さな叫びを上げた。
「た、高瀬?」
 ぎょっとして、思わず高瀬をまじまじ見つめてしまう。
 すると、高瀬は不機嫌にほんのり頬をふくらませ、テーブルの上に空のカップをおく。
 でも待って。
 たしか、ローズティーはもうそんなに熱くはなかったはず。
 ほどよい感じのぬるさになっていたはずなのに?
 なのに、熱いの?
 ねえ、それってもしかして……。
「高瀬、もしかして、猫舌だったりする?」
 多少ひきつり笑いをしつつ、むくれる高瀬の顔をのぞきこんでみる。
 あまりにも信じられなく意外だから、顔もひきつらずにはいられない。
 その瞬間、高瀬はすねたようにぷいっと顔をわたしからそらした。
 ……どうやら当たってしまったみたい。
 高瀬、猫舌なんだわ。
 わたしはやけどをしなくなったそのローズティーでも、高瀬にとっては十分熱いみたい。
 ――意外。
 何でも完璧にこなす高瀬の意外な弱点発見。
 完璧に猫をかぶっているくせに、猫だからこその弱点があったみたい。
 猫なで声の猫かぶりで、猫舌。
 本当、このペテン師は、つくづく猫と縁があるみたい。
 ――おかしなの。
「あはは! 馬鹿みたい。高瀬まで一緒にやけどをしてどうするのよ」
 気づけば、目に涙を浮かべて大笑いしていた。
 何故だかおかしくなってしまったから。
 こんな高瀬、はじめて。
 だって高瀬、猫舌がばれてとても恥ずかしそうにしているんだもん。
 これが、あの天下のペテン師、高瀬昂弥?
 学校一の人気教師を誇る、高瀬昂弥?
 馬鹿笑いをしながら、わたしはいつの間にか、気づかないうちに、きゅっと高瀬のシャツのすそをにぎっていた。
 そうして、高瀬を逃がさないようにして、笑ってやるの。
 すると高瀬はそんなわたしに気づいて、嬉しそうにぽんと頭をなでてきた。
 もう片方の手は、高瀬のシャツを握るわたしの手に包み込むようにそっと触れている。
 でもやっぱり、わたしの笑いはやむことはない。
 そして、そんな高瀬の手を振り払うこともない。……何故か。
 だって、おかしいじゃない? 嬉しいじゃない?
 恐らく、学校の誰も知らない高瀬の弱点を、わたしは知れたのだから。
 わたしだけが知っている高瀬の秘密が、またひとつ増えた。
 その事実が、わたしの心を躍らせる。
「やっぱり、夏場はアイスティーだな」
 などと言って、高瀬は誤魔化し笑いをする。
 相変わらずけらけら笑い続けるわたしを、困ったように見つめながら。
 だけど、知っている。
 困ったように見つめつつも、その目はちゃんと、優しくわたしを見ているということを。
 優しく、熱くわたしを見つめているということを。
 誤魔化し笑いをする、そんな少し情けない高瀬を見ていると、やっぱり余計におかしくなってしまった。
 せっかく笑いがおさまりかけていたのに、またぷっと吹き出してしまう。
 なんだか、今の、この瞬間の高瀬は、少しかわいいかもしれない。好感がもてるかもしれない。
 いつもこうだったらいいのに。
 こうだったら、わたしもそれほど嫌わないわよ?
 ……ううん、そうじゃなくて、もう嫌いじゃないかもしれない。
 高瀬のそばは、何故だか心地いい。
 心のどこかがそういっている。
 何故……?
 それは、もしかしたら、高瀬のキスが麻薬だと思った時に、すでに気づいていた?


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:04/03/16