ペテン師の隠された思い
ペテン師

 高瀬のお屋敷での、薔薇の中の二人だけのお茶会があったその夜。
 不覚にも、ペテン師の胸の中で大人しくしていたオレンジ色の夜。
 いつもと変わることなく、高瀬が夕食を作り、そしてやっぱり二人で食事をした。
 食事は別々、これ絶対!と決めていたはずなのに、高瀬と暮らしはじめてからずっと、一緒に食事をとっている。
 一人でとったことはない。
 高瀬は、仕事があるだろうに、つき合いというものがあるだろうに、必ず夕食までには帰ってきて、そして一緒に食事をする。
 どうして?
 それは、なんだか怖くて聞けない。
 もしかして、わたしはこの同居を認めてしまっているの?
 高瀬は相変わらず「同居ではなく、同棲」なんてそんなふざけたことを言うけれど、そこだけは絶対にゆずらないから。
 何がなんでも。


 お風呂から上がり、リビングに入ってきた途端、高瀬の微笑みがおしげもなくわたしに注がれた。
「楓花、おいで」
 当たり前のように微笑み、もちろんわたしがその言葉に従うというように、高瀬は両手を広げる。
 ソファーに深く腰かけ、我が物顔で占領している。
 体全部でごろごろと猫なで声を出している。
 その胸に、腕に、わたしが飛び込むと決めてかかっている。
 さすがは、どうしたって俺様。
 だから、わたしはにっこり微笑む。
 そして、高瀬のお望み通り駆け寄る。
 瞬間、ぼごっと、なんとも鈍い音がリビングにこだまするのと同時に、「う……」という苦しそうな声が鈍く響いた。
「楓花……。これは不意打ちというものでは?」
「そうかもね?」
 またにっこり微笑み、さらっとそう言ってやった。
 ソファーにうずまり、みぞおち辺りをおさえている高瀬を見下ろしながら。
 わたしの目の前には、いびつに顔をゆがめる高瀬がいる。
 ふふん。
 あなたの思い通りになると思ったら大間違いなのよ、このペテン師めっ!
 してやったりとにやっと微笑む。
 するとその途端、ぐらりとわたしの体はゆれていた。
 そして、いつものように、当たり前のように高瀬の胸へとダイブ。
 ……だから、ちょっと待ってよ。
「た、高瀬! ちょっと放しなさいよ!」
「いーや」
 高瀬はわたしをしっかりその胸に、薔薇の香りがする胸に抱きすくめる。
 それから、ごろごろとその頬をわたしの頬に押し当て頬ずり。
 猫のように。
 もう何度となく繰り返されている頬ずり。
 これが高瀬の癖なのかもしれない頬ずり。
 この男は大型の猫らしく、頬ずりが大のお気に入りらしい。
 その体いっぱいでわたしを抱きしめ、そしてわたしを堪能するように頬ずりをしてくる。
 だけど、今日はどこか少し違った。
 それは、わたしもかもしれないけれど。
 だって、今日のわたしは、これといって抵抗らしい抵抗はしていない。
 ずっと……。そう、ずっと。あの薔薇の中のキスから――。
 いつもどこか諦めたように、高瀬のしたいようにさせてやっているけれど、今日は何かが違う。
 それに高瀬も気づいたのか、ふいに頬ずりをやめた。
 そして、少しだけその顔をはなし、じっとわたしを見つめる。
 高瀬は首をほんの少しかしげ、少し困ったようにわたしを見つめる。
 頬にかかっているわたしの髪を、高瀬がさらっとすくようにはらう。
 それから、その手をそのままずらしていって、今度は髪を一房手に持ち、口元へもっていき、ちゅっと口づける。
 いつもなら、ここでわたしはぼんと大噴火しているところだけれど、抵抗を忘れ、何故だかその一連の動作を見ていた。
 髪にキスをして、そのまま近づいてきた高瀬の顔は、頬に、首に、鎖骨に……と、順番になぞるように動いていく。
 そうして、今まで触れたことのない場所へ、わたしの動きを探るように触れていく。
 これはやっぱり、わたしが抵抗しようとしないから?
 ううん、そうじゃなくて……。
 高瀬にされるがままになっていたら、急にその動きが止まった。
 そして、苦しそうな光をともしたその瞳で、熱く熱くわたしを見つめてくる。
 それと同時に、そっとわたしの頬に高瀬の手が触れた。
 瞬間、ずきんとわたしの胸は悲鳴を上げる。
「楓花……。どうして……泣いているんだ?」
 わたしの頬に包むように触れながら、高瀬が苦しそうに吐き出す。
 え……? 泣いている?
「そんなに嫌か……?」
 今度は、今さらながらにそんなことを聞いてきた。
 ……嫌、に決まっているじゃない。
 インチキでペテンな奴に、こんなことをされたら。
 ――ううん、嫌じゃない。
 嫌じゃないけれど、だけど、ただ……。
 触れている高瀬の手とその視線から逃れるように、わたしはふいっと顔をそむけうつむいてしまった。
 そして、そのままのかたちで二度、ふるふると首を横に振る。
 それは、否定の合図。
 うん、そうじゃない。ただ、ただね……。
「高瀬……。高瀬は、わたしのことを好きだと言ったよね? それは本当?」
 気づけば、うつむいたままで、今さらそんなことを聞いていた。
 高瀬はキスをするたびに、決まりきったように、一緒に「好きだよ」とささやく。
 けれど、それは本当なの? 本当に本当なの?
 ずっと気になっていた、ひっかかっていた。
 ただそれは、キスがしたいから、だから言っているだけなのじゃないかと。
 今までは、その答えは別に特別必要なものじゃなかった。
 だけど、今はその答えが知りたい。欲しい。
 今は、必要なの。
「本当に決まっているだろう。……好きでもなければ、こんなことはしない」
 高瀬は何かに気づいたように、少し困ったように、だけど優しくわたしの耳元でささやいた。
 同時に、ふわりと高瀬のあたたかな吐息がわたしの耳をくすぐる。
 それが引き金となり、抑えきれない何かがあふれ出してきて、またぽろぽろと涙がこぼれていた。
 ぎゅっとぎゅっと胸が締めつけられる。幸せで――。
「信じて……いいの?」
「もちろん」
 高瀬はわたしの耳元にあったその唇を頬にずらし、ぬぐうように伝う涙をすくっていく。
 それがくすぐったかった。
 さらさらの高瀬の栗色の髪が、わたしの頬をくすぐるから。
 そうじゃなくて、くすぐったかったのは頬だけじゃなく、胸も……心もだったかもしれない。
 高瀬のその言葉は、わたしの胸を締めつけると同時に、ふっと軽くした。
 その言葉が聞きたかった、ずっと。
 ある思いに気づいた時から、ずっと――。
「じゃあ、どうしてわたしなの?」
 むさぼるようにわたしに触れたがる高瀬をついっと少し引き離し、疑わしげにみつめる。
 本当は、このままずっと抱いていて欲しい。
 だけど、素直には態度に出してやらない。
 だって、悔しいじゃない。何だか高瀬に負けたようで。
 だから、抵抗する。抗う。
 本気じゃなく、ふりで。
 高瀬はそんなわたしを見て、「困ったお姫様だね」と肩をすくめる。
 ……まったく、本当、何様のつもりよ。
 高瀬は肩をすくめたかと思うと、またぐいっとわたしを引き寄せた。
 そして当然、その甘い香りの胸の中へダイブさせられる。
 だけど今度は、もう抵抗はしない。
 わたしもされるがまま、その胸に頬をそっと触れていた。
 そんなわたしに、逆に高瀬が少し驚いたらしく、一瞬のためらいの後、まるで自分のもののようにわたしを抱きしめた。
 そして、もう放さないと、ぎゅっと力をこめる。
「……理由なんてない。気づいた時には、楓花が好きだった」
「え……?」
 高瀬の胸の中で、わたしはびくんと小さく震えて驚いていた。
 すると、高瀬はくくっと肩を少し揺らして笑いやがった。
 それが何とも癪にさわり、このままずいっと引き離してやろうと思った。
 だけどできなかった。
 体がいうことをきいてくれなくて、逆にきゅっと高瀬のシャツを握っていた。
 わたしの何かが求める、高瀬を――。
「ずっと見ていたよ。入学式のあの日から。ずっと好きだよ」
「た、高瀬、それって……?」
 今度こそ、ぐいっと高瀬を引き離し、まじまじ見つめてしまう。
 高瀬は目を見開き驚くわたしに、少し困ったように肩をすくめるだけだった。
「どうすれば楓花の気がひけるかと、それだけを一年考えていた。そして、二年目の春、わかった。たまたまどじったそれを見て、楓花、この上なく不愉快という顔で俺を見たよな? その時はじめて、ああ、そうか、そうすればいいのかと気づいた」
 高瀬はそう言って、当たり前のようにわたしにキスを落とす。
 そして、優しくわたしを見つめ、続ける。
「この半年……ずっと、俺は楓花に気づいて欲しくて、見て欲しくて、気にかけて欲しくて、馬鹿なことばかりしていた。……楓花、知っていた?」
 わたしは高瀬のその告白に、悔しくて、どこかやられたという気持ちがいっぱいで、思わず唇をかみしめ、ぷいっと顔をそらしていた。
 だってだってそれは、すべてが最初から仕組まれたことみたいなんだもの。
 つまりは、こう言いたいの?
 大嫌いということは、気になるということ。
 気になるということは、意識しているということ。
 そして、誰も気づいていなかった高瀬の本性に、ぼんやりとでも気づいていたわたしは、まんまと高瀬の罠にはまっていたということ?
 ――そうなのかな?
 意識しているということは、頭とは違う心のどこかが、高瀬のことを追いかけていた?
「わからない……」
 ぽつりつぶやき、またぽすっと高瀬のあたたかなあまい香りがする胸にもたれかかっていた。
 すると、高瀬は嬉しそうに極上の微笑みを浮かべ、やっぱりわたしをきゅっと抱きしめる。
 ――うん、いいかもしれない。
 今の高瀬なら、少しくらいは信じてやってもいい。
 怖いけれど、まだまだ怖いけれど、だけど、信じてもいいかもしれない。
 怖いからと足踏みをしていたら、そこから進めずにずっととどまったまま。
 そろそろ潮時かもしれない。動き出さなければいけないかもしれない。
 いつまでも、男の人の好きという気持ちが信じられないと、怖がってばかりいるのじゃなくて、進まなければいけないのかもしれない。
 信じてもいいと思える人が現れた今、動き出してみるのもいいかもしれない。
 ただ、わたしの人生をかけるかもしれないその相手が、この俺様極悪ペテン師という辺りが、どうにも納得いかないところだけれど。
 どうせなら、わたしだけの王子様にその役をかってもらいたかったわ。
 こんなインチキ野郎なんかじゃなくて。


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update:04/03/22