シマウマに襲われたライオン
ペテン師

 水と太陽ときらきらと。
 そして、ペテン師にお姫様だっこされ、さらわれた夏の夜。
 ペテン師が負傷した夜。
 夕食とその片づけをすませたペテン師は、いつものようにリビングに現れた。
 だけど、その表情は、いつものどこかむかつくものじゃなく、なんとなく沈んでいるような感じがする。
 うかない、そんな言葉が似合うような顔。
 気のせい、思い過ごしかもしれないけれど。
「どうしたの? 高瀬。あなたにしては珍しくしおらしいじゃない?」
 少しは原因らしいことはわかっている。
 まったく、この男は、どこまでも嫌味な奴よね。
 あれから、救急箱から、
「楓花、冷たい」
 ずっとそんなことを繰り返し繰り返し言ってくる。
 それがまた、わざとわたしをいらだたせようとして言っているとわかるから、余計に腹が立つ。
 本当は、何とも思っていないくせに。
 あわよくば……。その程度の気持ちで、わざと指を切ったくせに。
 ちゃちな罠のために、そこまで身を犠牲にできるその精神は天晴れだけれど。
 ……いや、やっぱり、ただの馬鹿?
 怪訝に高瀬を見ると、どこか困ったような微笑を浮かべた。
 まったくもう、しつこい!
 そう思うと、ため息も盛大に出ちゃう。
 もうつき合っていられない。
 少しは優しくしたいとは思うけれど、だけど、相手がこんなおかしな男だと思うと……。
 ああ、どっと疲れる。
「もう、高瀬、いい加減にしてよ。辛気臭いなあ」
 ゆっくりわたしのもとへ歩いてきた高瀬の腕を、ぐいっとつかむ。
 そして、仕方がないから、わたしの横に座らせてあげる。
 普段なら、これですぐに機嫌が直るから。
 どうして、わたしが高瀬のご機嫌とりなんてしなきゃならないのよ、まったく。
 けれど、隣に座らせても、高瀬は全然元気にならない。
 現金な奴のくせに、ちっとも。
 ――どうして?
 そんな疑問符がわたしの頭のまわりを乱舞する。ぐるぐるまわる。
 あり得ない、こんな高瀬。こんなペテン師。
 いつもなら、ここぞとばかりに、その体をぴとっとわたしにすり寄せてくるくせに。
 そしてはじまる、ごろごろ猫さん。
 なのに、今日はない、頬ずり。
 いかにも胡散くさく怪しげで、何かたくらんでいるに違いない高瀬を、じとりとにらみつける。
 当然、責めるように。非難するように。
 でもやっぱり、高瀬の様子は相変わらず。
 わたしがここまでしてあげているというのに、それでも機嫌を直さないとは、どういう了見よ?
 まったく、信じられない。
 何様のつもり!?
 高瀬をにらみつけると、ふとあるものに目がとまった。
 高瀬の胸のポケットから、ひょこっと顔をのぞかせている紙切れ。
 それは、メモのようにも見えるけれど、そうじゃない。
 薔薇の香りに溶け込むように、ふわりゆりの香りがする。
 その香りに気づき、わたしは当然眉根を寄せる。
 この上なく、不愉快と。
 そして、気づけばのびていた、手が。その紙へ。
 すると同時に高瀬もそれに気づき、すっと体をよじりやがった。
 胸のポケットの中のメモを、わたしにとられないように。
 ……むかつくっ。
 やっぱり、何かあるんじゃない。
 一体、何を隠しているの!?
「何を隠したのよ。見せなさいよ」
 何故だか、そう言って頬をふくらませるわたしがいた。
 何故だか、高瀬のその態度にいらだちを覚えるわたしがいた。
 そして、そんな態度を高瀬にとられて、どこかちくりと傷ついているわたしもいた。
 高瀬に拒絶されることがこんなに胸を痛めるものだなんて、知らなかった。
 それが、不思議だった。
 少し前までは。
 でも、今はわかる。
 それはきっと、流されているから。高瀬に。
 あまりにも高瀬がしつこくてドスケベだから、だから……流される。
「え……? い、いや」
 高瀬は少しどもりながらも誤魔化す。
 ますます、あやしい。
 こんな高瀬、今までなかった。
 いつもどこか不遜で、いや、俺様で、余裕しゃくしゃくでわたしで遊んでいたくせに。
 そう思うと、やっぱり胸がむかむかする。
「いいから見せなさいよ!」
 気づけば、そう怒鳴り、がばっと高瀬に飛びかかっていた。
 まるでソファーに押し倒すように、ソファーにうずまる高瀬の上にわたしはいた。
 そして、ぐいっと手をのばし、高瀬の胸ポケットから紙切れ――メモを抜き取る。
 じりじりとわたしの胸に苦い思いを与えるゆりの香りをさせたメモ。
 メモを取り上げた瞬間、高瀬の顔が悲痛にゆがんだ。
 どくんと、心臓が悲鳴を上げる。
 どうして、そんな顔をするの?
 苦しい思いを抱きつつ抜き取ったメモは、わたしにさらなる衝撃を与えた。
 そのメモに書かれていたこと。
 それは、高瀬のお見合いの予定。
 ……何、これ?
 ねえ、どうして?
 何故、今さら?
 ううん、そうじゃなくて、やっぱりきた。
 それは、嫌がる高瀬に強引にお見合いを迫るような内容。
 そこに、少し救われたような気がする。
 高瀬は断ろうとしているのだと、そう思えるから。
 息ができないかと思った。
 あまりにも苦しくて、呼吸ができない。呼吸の仕方がわからない。
 心臓が止まったような気がした。
 心臓が握りつぶされたような気がした。
 同時に、どろどろとした醜い感情に支配される。
 心のどこかで、悪魔がささやいたよう。
 残虐な考えが、わたしの思考を支配する。
 こんなわたし、信じられない。あり得ない。
 こんなわたしが、わたしの中にいたなんて、今まで知らなかった。
「……協力……しようか?」
 気づけば、複雑に顔をゆがめて微笑むわたしがそこにいた。
 そして、まったく感情がこもっていないその言葉をはきだす。
 何も考えられない。考えたくない。
 もう、自分でも何を言っているのかわからなかった。
「え……?」
 だから当然、高瀬も、今のわたしの言葉の意図するものがわからなくて、顔をしかめてじっと見つめてくる。
 高瀬は知っているから。そのメモに書かれていることを。
 だから、わたしの言葉がこの上なく意外で、信じられなかったのだろう。
 そんな高瀬に、やっぱりわたしは苦く微笑む。
 例えようのない、複雑な顔をして。
 自分でも、わからない。この感情が。
「高瀬、困っているんでしょう? だから、協力してあげると言っているの」
「楓花……?」
 高瀬に否などとは言わせないように、じっとにらみつける。
 絶対に、いらないなんて言わせない。絶対に。


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update:04/04/03