ご乱心インチキ教師
ペテン師

 昨夜の一件以来、わたしは大型の猫に妙になつかれている。
 ごろごろと、嬉しそうに、当たり前のようにわたしを専有する極悪教師高瀬昂弥、二十六歳。ペテン師。
 それほどまでに嬉しかったの? あんなことが。
 と思ったりするけれど、するけれど……。
 うわーっ!
 よく考えると、わたし、もしかしなくても、とんでもないことをしたのでは!? 言ったのでは!?
 と、後悔先に立たず。
 嗚呼、これじゃあ、ペテン師にいいように扱われても文句が言えないじゃない。
 自分からそうするように仕向けたようなものだもの。
 ど、どうしよう!?
「やっぱり、春はいいなあ」
 などと、どこかの年中春女のように、高瀬はうかれとんちきなことを言う。
 ちゅっちゅちゅっちゅと、わたしのあちこちにキスをしながら。
 本当にどうにかして、この男。いや、この獣。ケダモノ。
 高瀬の唇のやわらかい感触が、ぞくぞくとわたしに妙な気持ちを運んでくる。
 触れたそこかしこから。
「もう、高瀬、いい加減うっとうしい!」
 もう耐えきれなくなって、ぐいっと高瀬を引き離すものの、またすぐに引き寄せられる。
 だから、やめろっ。暑苦しい!
 それに、今は春ではなく、夏! しかも、真夏っ!
 じたばた抗うけれど、わたしは何故だか本気を出していないみたい。
 本気で高瀬を引き離そうとしていないみたい。
 ……だから、どうして?
「嬉しいなあ。まさか楓花が、あんなに俺のことを思ってくれていたなんて。この一年と半年、思い続けてきた甲斐があるなあ」
 高瀬はうかれ模様ですりすりと頬ずりをしてくる。
 ちょこんと、その膝の上にわたしをのせて。
 ぎゅっとぎゅっと抱きしめて、わたしを逃れられなくして。
「……え? 一年半?」
 高瀬のそんな乱行よりも、わたしはその言葉の方に気をとられてしまった。
 まじまじと高瀬を見つめる。
 ほんのり頬が紅色に染まっていることは、この際あえて無視。
 高瀬はそんなわたしの頬にふわりと優しく触れると、やっぱりふわりと優しく微笑んだ。
 極悪なる天使。……いや、ペテン師の微笑みで。
 この男こそが、世界最強の極悪ペテン師だろう。
 だってその顔、あきらかに何かをたくらんでいるもの。
「ああ、楓花が入学してきた頃から、ずっと見ていたからな」
「……え?」
 にっこり微笑み、嬉しそうに、そして得意げに語る高瀬を、わたしはまじまじと見つめることしかできない。
 高瀬が今発した言葉の意味が、いまいちよく理解できない。
 そんなわたしの様子に、高瀬は少し困ったようにくすりと笑い肩をすくめる。
 そして、やっぱり触れる。
 その唇が、わたしの耳に。
 甘い吐息を、ふっと吹きかけながら。
 そして、甘くささやかれる。
「やっぱり、気づいていなかったな? ずっとずっと見てきたのに。楓花だけを」
 そうささやくと、高瀬はいきなりわたしをソファーにしずめた。
 少し乱暴に、だけどやっぱり優しく。
 そして、わたしに覆いかぶさる。
 高瀬はわたしを熱くじっと見つめる。
 このわかりやすすぎる高瀬の行動がわかっていたにもかかわらず、わたしは何の対処もしていなかった。
 そんな甘い、ううん、高瀬の暴挙を受け入れる気でいた自分がわからない。
 ソファーに沈められ、そこから見上げる高瀬は、あまくあまく微笑んでいた。
 この上なく幸せそうに。
 ただ、わたしがここに、高瀬の腕の中にいるというだけで、高瀬はとても幸せそう。
 ……わからない。
 どうして、こんなことくらいで幸せになれるの? 幸せを感じられるの?
 ……ううん、そうじゃない。
 高瀬に見つめられて、高瀬にとらわれて、高瀬から逃れられなくなってしまったのに、わたしも心のどこかで、ううん、胸いっぱいで嬉しいと思っている。
 だから、ほんのちょっぴりなら、わかってあげてもいい。高瀬のその気持ち、幸せっぷり。
「ねえ、高瀬、本当に邪魔しちゃっていいの?」
「え……?」
 気づけば、少し不安げな顔で高瀬をみつめそう言っていた。
 すると、高瀬の顔が瞬時に曇る。かげりをみせる。
 どうして、今さら……?と。
「だって、これって、この話って、もしかしたら、高瀬にとっては良縁なんじゃないの? たしかに、しつこいくらいに言い寄られてはいるみたいだけれど。相手は相当なご令嬢なんでしょう?」
 ……そうじゃなくても、断ったりして大丈夫なの?
 それは言えなかった。
 それを言ってしまうと、自分が情けなく、むなしくなってしまう。
「ああ、それか……。別にどうでもいい。本当に何度断ってもしつこくて、いい加減うんざりしていたところなんだ。それを、まさか楓花が協力してくれるとは思ってもいなかった」
 ぎゅっとしめつけられるようなわたしの思いなんて知らないとばかりに、高瀬は本当に嬉しそうにそう言う。
 今にもわたしをそのお腹の中にぺろりとおさめちゃいそうな勢いで。
 わたしはやっぱり、ライオンに狙われたシマウマなのね。
「それに、何度も言っているけれど、俺が好きなのは楓花だけだから」
 たしかに、高瀬はうっとうしいくらいにキスをしてくると同時に、そんなことをわたしに言っている。
 そして、本当に愛しそうにわたしに触れる。
 髪に、頬に、首に、唇に――。
 高瀬が触れたそこかしこが、きゅんと悲鳴を上げる。
 もっともっと触れて欲しいと、心が求める。
 ……おかしい。絶対におかしい。
 今では、こんな嘘くさい、ペテンの臭いがぷんぷんするはずの高瀬のこの言葉を信じている。
 そして、こんな虫唾がはしるくらい気障な台詞で、幸せを感じてるわたしがいる。
 こんなの、あってはいけないことのはずなのに、本来は。
 こんなインチキ教師を好きになっちゃったら、わたし、どうなるかわからないのに。
 なのに、それなのに……。
 そう思うと、また、胸がきゅっと痛んだ。
 今度は、さっきとはまた違った痛み。つきつきとさすような痛み。
 これはもしかすると、やっぱり、まだ不安だから感じる痛み?
 高瀬を信じて……いいの?
 そんな思いが顔にあらわれていたのかもしれない。
 一瞬、高瀬が辛そうな、切なそうな表情を浮かべた。
 けれどすぐにまた、愛しそうにわたしをみつめてくる。
 ……熱く、強く。
 そして、高瀬の顔がふいにわたしの顔に近寄ってきた。
 また来る、キス!
 そう思ったのに、何故だか不思議とキスは降ってこなかった。
 かわりにわたしの唇に降ってきたものは、ふわりと柔らかい栗色の髪。
 甘い薔薇の香り。
「え……? た、高瀬?」
 ふわふわの髪が触れるそこで、少しぎこちなくわたしはそんな言葉をもらす。
 けれど次の瞬間には、奇妙な声を発していた。
「ひゃあっ……!」
 ぴりっと鎖骨辺りに痛みがはしる。
 同時に、ぐいっと高瀬の顔を押しのける。
 わたしはゆでだこよりも真っ赤に顔を染め、目は潤んでいる。
 小刻みに体が震えだしたような気もする。
 わたしの手を、高瀬は簡単に自分の顔からすっと奪い取り、握り締める。
 きゅっと、強く、優しく。
 それでまた、もうこれ以上は無理なはずなのに、顔が、体が熱く、赤くなる。
 高瀬はそんなわたしを見て、本当に嬉しそうににっこり微笑む。
 もちろん、極悪ペテン師の微笑み。
「一目会ったその日……いや、一目見たその瞬間から、恋の花が咲いちゃったってね?」
 などとおどけて、高瀬は自分の唇につけた右手人差し指を、ちゅっとわたしの唇に触れさせる。
 その瞬間、ぼごおっという鈍く不気味な音がリビングに響いた。
 当然、またしてもミラクルヒット!
 わたしの右ひざが、高瀬のみぞおちに。
 瞬間、当たり前だけれど、高瀬の顔から色がさあっとひいていた。
 というか、咲かんでよろしい! そんな極悪色をした花なんて!
 まったく……。これくらいされて当たり前なのよ、この極エロ教師め!
 くうー。これじゃあ、わたし、しばらく家から出られないじゃない。人に会えないじゃない。
 こ、こんな目立つ、鎖骨に……よ、よりにもよって、キ、キスマークなんてつけやがって!
 何調子にのりまくっているのよー! こんのペテン師ー!!
 絶対絶対、ゆるしてなんてやるものか!
 この破廉恥教師めっ!!
 ……というか、この行為に一体何の意味があるの?
 マーキング?
 ライオンなのに?
 ……あ、でもネコ科か、一応。
 じゃなくて! どうして、わたしがマーキングされなきゃならないのよ。
 高瀬の馬鹿ー!
 胸がばくんばくんいって、うるさいじゃない。
 ライオンならライオンらしく、シマウマをぺろりと胃袋におさめちゃいなさいよ。
 ……いや、それも、ある意味、めちゃくちゃ危ない。まずい。
 そして、嫌。


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update:04/04/10