いつかの日のできごと
ペテン師

 今さらながらに気づいた。
 よくよく考えてみると、高瀬のペテンの技をもってすれば、女の人の一人や二人、三人や四人や五人や六人――以下略――などすっぱり切ることなんて、お茶の子さいさい、朝飯前のはず。
 それを忘れていたなんて、今まで気づかなかったなんて、……不覚。
 それに気づいてしまったら、 高瀬に対するおさえきれない怒り、憤りが、ふつふつこみ上げてきた。
 まったく、腹立たしいことこの上ない!
 わたしは、騙されたのね。騙されていたのね。ペテンにかけられたのね。
 悔しいー!
 昨日の買い物に行こうも、高瀬のインチキな計画を実行するために仕組まれたことだった。
 わたしは、まんまとその罠にはまってしまったということ。
 何もかも、高瀬の思い通りになってしまっているということが、この上なく悔しくてたまらない。
 たしかに、わたしは協力すると言った。何故だか言っていた。
 でもだからといって、協力すると言ったわたしまでペテンにかけるなんて、なんて奴なのよ、あの高瀬昂弥、二十六歳、国語教師。……というか、ペテン師はっ!
 ああ、もう、本当、腹立たしくて仕方がない。
 そのように憤っているわたし。
 何故だか、高瀬の腕の中で。
 ……ねえ、だから、誰かこの状況の説明をしてくれない?
 ソファーに身を沈める高瀬の膝の上にのせられ、後ろからきゅっと抱きしめられている。
 そしてやっぱり、高瀬はついっと突き出したその顔を、すりすりと気持ち良さそうにわたしの頬にすり寄せてくる。
 だからあなたは、猫か!
 この巨大猫!
 ……これももう言い飽きちゃったわ、さすがに。
 それに、すりすりと高瀬にされても、全然痛くない。
 普通、男の人は、ひげがはえているものでしょう?
 だったら、すりすりされたら、いがいがして痛いのかな?と思うでしょう?
 でも、全然痛くない。
 それがずっと不思議に思っていた。
 でも、それは全然不思議じゃないことに気づいた。
 きっと、このペテン師め、わたしにすりすりとしたいがために、こまめにひげをそっているのよ。
 「痛いからやめろっ!」そう言って、問答無用でわたしに殴られるのを恐れて。
 ――まあ、痛くなくたって、殴る時は殴るけれど。
 というか、すりすりとしたくなったら、ひげをそりなおすのよ。
 だって、見てしまったもの、さっき。
 湯上りほかほかのくせして、脱衣所に鍵をかけていなかったから。
 「あれ? 電気を消し忘れているのかな?」と思ってのぞいたそこで、鏡に向かって、鼻歌なんかを歌いながらひげをそっている高瀬を。
 ――待て。
 今は夜だぞ? 間違いなく。
 普通、そんな時間帯にひげをそるものなの?
 ――よくわからないけれど。パパは朝しかそっていなかったわよ?
 そしてその後、リビングへやってきた高瀬に捕獲され、すりすりと……。
 これで、わからないわけないじゃない。
 まあ、痛くなければ、すりすりももうどうでもよくなってきたけれど。
 そしてやっぱり、すりすりのあとはこうなる。ごろごろ。
 本当にこのインチキ教師は、どうしてこう同じことしかできないのだろう?
 頭痛い……。
 高瀬は放さないぞとばかりにわたしをぎゅっと抱きしめ、ぽふっとわたしの肩に自分の顔をのせた。
 そこから、嬉しそうにわたしを見つめている。
 そして、耳元で甘くささやかれる。
「楓花、もうすぐ誕生日だな」
 ふうっと、高瀬のあたたかな吐息が耳にかかる。
 しかもそれ、わざとかけているとわかるからたちが悪い。
 でもやっぱり、もうこれも慣れちゃって……。
 いや、慣れるわけないでしょう!
 耳はやめて、耳は。
 耳は苦手だと言っているでしょう、このペテン師が!
 ぞくぞくと甘いしびれを感じちゃうのよ、……何故か。
 それが、嫌。
 びくんといつものように反応すると、高瀬は嬉しそうにくすくす笑う。
 わかっていてしているから、むかつくっ。
「それがどうしたのよ。それで、あなたに何か関係があるわけ?」
 高瀬の腕の中で身じろぎながら、懸命に高瀬の吐息ふっ攻撃から耳をはなそうと試みる。
 けれど、はなすと同時にまた高瀬の顔が近づいてきて、結局同じ。
 もう、ばかあっ! 高瀬のばかあっ!
 ぎろりとにらみつけるわたしの視線も何のその。高瀬はやっぱり嬉しそうに微笑む。
 にっこりと、天使の微笑み。
 ……当然、嘘くさいこと極まりない。
「誕生日は、二人きりで祝おうな?」
 はあ!?
 誰が祝うか! 誰が!
 というか、どうして知っているのよ、わたしの誕生日。今さらだけれど。
 ああ、もう、はいはい。聞きませんよ、そんなこと。聞くだけ無駄というもの。
 あなたのことだから、そのペテンのためならば、何だっていとも簡単にしてのけちゃうのでしょう?
 まったくもう、これだからペテン師はっ。
 相変わらずの高瀬の腕の中で、この暑苦しい夏の夜のリビングで、わたしはやっぱりぶすうとふくれっつら。
 もう、やっていられない。
 というか、ようやく気づきはじめてきた。
 このペテン師には、本気になるだけ損ということを。
 本気になればなるだけ、無駄なエネルギーを消費させられる。
 ここは流されるまま……。
 だから、それがこの世で最も嫌なことなのじゃない。
 自分が考えてしまったことにさらに疲れを覚え、はあっとため息をもらしていた。
 すると高瀬は、それには敏感に反応しやがる。
 重要なところでは、察することすらしないくせに。
 高瀬はむっとすねたような顔をして、ひょいっとわたしの顔をのぞきこんできた。
 やっぱり、少し責めるように。
 「こうして楽しい時間を過ごしているのに、楓花は楽しくないのか?」という目で訴えてくる。
 楽しいわけがあるかっ。
 その時だった。
 ずっとつけっぱなしになっていたテレビから、ニュースが流れてきた。
 どうして今さらニュースになんか気がいったかというと、それは思い出したから。そのニュースによって。
 ぴんっと、反応してしまった。
 テレビから流れるニュースは、他人事のように思えない。
 ごろごろとまとわりつく高瀬なんてそっちのけで、思わずニュースに見入っていた。
「これ……」
 そして、気づけばぽつりつぶやいていた。
 そのつぶやきに、高瀬はわたしにごろごろすり寄せる頬の動きをぴたっととめる。
 すっとわたしを解放する。
 それから、高瀬に向き合うように、またその膝の上にわたしを座らせる。
 じっと、高瀬の視線がつきささる。
 どうして、急に?
「これ……このニュースがどうかしたのか?」
 そう言った高瀬は、不安げにわたしを見ていた。
 どこか心配そうでもあった。
 あ、そっか……。
 高瀬、急に大人しくなったわたしを心配したんだ。
 だから……。
 まったく、この男ってば。
 別に心配するほどのことでもないのに。
 ちょっと思い出しただけよ、数ヶ月前のことを。
 そう、あれは、たしかしとしと雨が続いていた梅雨の頃のこと。
 合間に見せた、お天気の日。
「たいしたことじゃないわよ。このニュースに似たことを、わたしも経験したというだけだから」
「え?」
 ため息をもらし、面倒くさそうにそう言ってみた。
 すると高瀬は、きょとんと首をかしげる。
 心配損と、そう言いたげに。
 まったく、この男はっ!
 だけど、その目はいっている。
 興味津々に、その話を聞きたいと。
 だから、この男はっ!
「ちょうど今年の梅雨の時期のことなのだけれど……。歩道につっこんできた車に、わたし、あわや轢かれるかという体験をしたのよ。――あれ? でもそういえば、あれって、誰かに呼ばれたような気がして立ち止まったから轢かれなくてすんだようなもので……。もしあのまま進んでいたら、わたし、今頃お空の住人!?」
 今になってその事実に気づき、言葉にすると同時に、わたしの顔から色がひいていた。
 今さらだけれど、そう考えると、本当に危なかったかもしれない。
 わたしはなんと強運の持ち主なのでしょう。
 ――いや、運がないこと世界一、宇宙一だったわ。
 だって、この俺様極悪ペテンなライオンに、何故だか気に入られちゃっているみたいだから。
 そう、「楓花と決めている」なんて、そんなふざけたことを言われちゃうくらい。
 ……待って。
 そういえば、よくよく考えると、わたし、もしかしてとんでもないことを言われちゃっているの!?
 だってだってだって、それってば……。  わたし、高瀬にプロポーズをされてしまったということ!?
 やだ、信じられない。
 その事実に気づき、ぎょっと凝視すると、高瀬は「ん?」と首をかしげてみせた。
 当たり前だけれど、にっこり笑いをつけて。
 にっこり笑った高瀬の顔を、相変わらず凝視したまま――もうそれしかできなかったから。あまりもの驚きによって――でいると、急ににやりという不気味な微笑みに変化しやがった。
 や、やばい。まずい。
 そう思った時には、いつものようにもう遅くて、遅すぎて……。
 猫のようになめられていた。
 ぺろっと出したその舌で、唇を。
 おいしそうに、ぺろっと。
 そして、高瀬は満足そうににんまり微笑む。
 このインチキセクハラ教師、成敗してくれる!


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update:04/04/26