二人きりの誕生日
ペテン師

「ハッピーバースデイ、楓花!」
 いつものように、一人分のぬくもりしか感じられなくなったそのベッドから抜け出し、ダイニングに足を踏み入れた時だった。
 クラッカーの音とともに、そんな声がかかる。
 とても楽しそうに、弾んだ声。
 ……ちょっと待て。
 いや、思いっきり待て。
 たしかに、今日はわたしの誕生日。
 それで? どうして、こんな朝っぱらからクラッカーなのよ!
 しかも、律儀に音だけクラッカー=B
 ――片づけるのが面倒だったのね? 妙に納得。
 寝起きの頭にクラッカーの大音響が打ちつけ、瞬時に不機嫌モード突入。
 当然、わたしの顔もこの上なく不機嫌にゆがんでいく。
 しかし、この俺様なペテン師は、そんなことは当然関係ない。
 鳴らし終えたクラッカーをさっさと放り出し、いそいそとテーブルの上に朝食を並べはじめる。
 そして……。
「これを食べたらでかける用意をして。今日はセンセイ、楓花の好きなもの、何でも買ってあ・げ・ちゃ・う・ぞっ!」
 うふっと、かわいこぶりっこする。
 つんと、わたしのおでこをつつく。
 き、気持ち悪いからやめて、変態先生。
「いらない。だからお願い、今日一日だけでいいから、わたしをそっとしておいて」
 頭痛を覚えたそのままで、椅子を引き渋々腰かける。
 もう一緒の朝食を拒むのは無駄なことだと諦めたから――いや、食事自体そうだと諦めたから――無駄にエネルギーを使うだけの抵抗はしない。
 まあ、これくらいなら害はない……こともないけれど、もう諦めてあげる。
 そして、今言ったことは、切に願うこと。
 お願い、誕生日のこの日くらい、そっとしておいて。
 それがわたしにとっては、最高のプレゼントです。
 あなたのペテンな馬鹿高いテンションには、わたし、ついていけない。こんな朝っぱらからは。
「ええっ!? 嫌だあっ。せっかく楓花のために、昨日から原黒にいろいろと準備をさせていたのにー」
 わたしのそっけない態度と言葉に、高瀬はむすうとすねてみせる。
 にこにことその目が笑っているから、やっぱりインチキかっ。
 ……というか、原黒さんかい。
 あなた自身は、いろいろと準備をしていないわけね?
 まったく、だからあなたはペテン師だというのよ。
「なあ、楓花、今日は一緒に祝おうと約束したじゃないか。それなのに、ひどいなー」
 ひどいのは、あなたのその性格! あなたの本性!
 ……とは、あえて言わないけれど。後が怖そうだから。
 というか、ごろごろはやめて、ごろごろは。朝っぱらから。このインチキ教師め。
 高瀬のその猫かぶりの猫なで声は、当たり前のようにいかさまだとわかっているから、もうあえて何も言わない。
 いや、言いたいけれど、言ったその後がやっぱり怖そうだから言わない。
 高瀬の「怖いよ?」というその脅し、いやというほどにきいていたりする、わたしには。
 というかー……。
「そんな約束をした覚えはない」
 椅子に腰を下ろすわたしを後ろからきゅっと抱きしめ、頬をすりすりしてくる高瀬などさらっと無視して、そう言ってやった。
 そして、ぎゅっと握ったばかりのフォークで、その手を突き刺す。ぶすっと。
 すると当然のように、高瀬はわたしの首から肩に絡ませた腕をはなすわけで……。はなすわけで……。あれ?
 どうしてはなさないのよー!
 さらに名残惜しそうに、すりすりごろごろするんじゃない!
 この巨大猫がー!
「ああ、もう。こんな朝食じゃなくて、いっそ楓花を食べちゃいたいよ」
 ごろごろとまとわりつきながら、朝っぱらからそんなふざけたことをぬかすペテン師高瀬昂弥、二十六歳。
 ――というか、今とてつもなくその言葉に反応しそうになったのだけれど……。
 顔を赤く染めてやらない。
 高瀬を調子づかせるだけだとわかっているから。
 そう考えると、わたし、かなり成長したわよね?
 いや、たんに、この上なく冷めて、諦めてしまっただけ?
 まあ、いいか。
 高瀬、それがどれだけ爆弾発言か、わかっているの!?
 というか、何? さっきから。
 今日の高瀬、どこかおかしいわよ?
 ……いや、いつもおかしいけれど、いつものおかしさとはまた違ったおかしさよ?
 どうしてそんなに、甘えん坊モードなの!? おこさまモードなの!?
 嗚呼、もう、この変態がっ。
 そういう感じで一日がはじまり、気づけばもう夜。
 し、信じられない。
 当然、今日一日の高瀬は、とてつもなくおかしかった。
 朝から晩までいちゃいちゃごろごろ……。
 それがあまりにもひどすぎて、逆に心配しちゃうくらい。
 それで? あなた、一体どうしたわけ?
 そう思ったけれど、きいてなんてやらない。
 きいたが最後、乙女の貞操が終わりを迎えそうだったから。
 わたし、まだお嫁にいける体のままでいたいです。
 インチキ菌に汚染されたくありません、心から。
 そして、どうして高瀬が今日一日こんなにおかしかったのか、なんとなくわかる時が来た。
 それは、リビングのローテーブルにきれいにセッティングされた、たくさんの薔薇を生けた花瓶――この香りは、絶対高瀬の家の薔薇――と、キャンドルにシャンパン、グラスが二つ。そして、ホールケーキ。
 もちろん、ケーキはいちごがたっぷりのショートケーキ。
 季節はずれのこの時期なのに、いちごたっぷり。おしみなく。
 ……むかつく。どうやら、完全にばれているようね、わたしのいちご好き。
「今日で楓花も十七なんだよな。んー、なんか感動だな。これで、年の差がやっと九つに縮んだ」
 しみじみとつぶやく高瀬。
 当たり前のようにその膝の上にわたしをのせ、きゅっと抱きしめている。
 ……だから、これ、絶対、何かが間違っていると思うのだけれど?
 そんな理由で、おかしくならないでください。
 こちらは、この上なく迷惑です。
「九歳って……。それでもまたすぐに十歳になるんじゃないの?」
 高瀬の腕の中、はあと盛大にため息をもらしてやった。
 本当、馬鹿らしくて。
 九歳がどうした、九歳が。
 何歳だろうと関係ない。わたしはやっぱり高瀬が嫌い――嫌い……のはずなのだけれど――なのにはかわりないから。
 年が何歳はなれていようが、別に誰も困らないじゃない? どうでもいいことじゃない?
 なのに、どうして今さら?
「ならないよ。あと十ヶ月は九歳のまま」
 むぎゅっと嬉しそうにわたしを抱きしめる高瀬。
「え? だって高瀬、誕生日は?」
「二ヶ月前に終わりました」
 高瀬はそう言って、さらにぎゅうとわたしを抱きしめる。
 だから、やめろ。
 ……というか、苦しいです。本当に。
 ふーん。でも、そっか。
 高瀬の奴、二ヶ月も前に誕生日を迎えていたんだ。知らなかった。
 高瀬が二十六歳だと知ったのも、ついこの前だったし。
 キャピキャピ娘さんたちや健全なのだか不健全なのだかわからない男子生徒さんたちが話しているのを、たまたま耳にして……。
 ふーん。なんだ、そっか。
 二ヶ月も前に、二ヶ月も前にねえ。ふーん……。
「それより、楓花、お祝いしよう? 電気を消すから、ろうそくを消して?」
 そう言うと、高瀬は案外あっさりとわたしを解放する。
 そして、ライターでろうそくに火をつけると、ぷちっとリビングの電気を消した。
 その瞬間、目の前に広がる、十七つの淡い光の玉。
 ほんのり赤く燃えるそれは、とてもきれいだった。
 きゅっと、胸が感動を覚える。
 こんなの、久しぶり。
 ささやかなろうそくの灯りに思わずぽうとみとれていると、その向こうに、にっこりと優しく微笑む高瀬の顔が浮き上がってきた。
 高瀬はくすっと笑い、「ほら、消して?」とささやく。
 高瀬がささやいた瞬間、ゆらりとろうそくの炎が小さく揺れた。
 何故だか、それがぎゅっとわたしの胸をしめつけた。
 ささやいた高瀬のその口元――何度も何度もしつこいくらい、わたしに触れるそれ――に気をとられながら、気づけばふっと吹き消していた。ろうそくの火を、十七つすべて。
 そして、リビングは闇に包まれる。
 明るいところから薄暗く変化し、そしてついに今、真っ暗になった。
 だけど、それはほんの少しの間だけ。
 すぐに目が闇に慣れ、また目の前には高瀬の優しく微笑む顔がある。
 それは、さっきよりも近くになっていた。
 そう、わたしの目の前。
「おめでとう、楓花」
 高瀬はそう言ってわたしを抱き寄せ、キスをする。
 高瀬め、どさくさにまぎれて性懲りもなく、よくもしてくれたわね。
 まったく、なんて奴なのよ、本当……。
 このインチキセクハラ教師めっ。
 再び明かりをともそうともせず、高瀬はわたしを抱きしめる。
「た、高瀬?」
 抱かれた高瀬の腕でわずかに抵抗を試みる。
 でも、当然のように、それははかなく散ってしまう。無駄に終わる。
 さらにぎゅっと抱きしめるから、高瀬が。
「楓花、好きだよ。ずっとずっと……。ずっと好きだよ」
 触れるか触れないかまで近づけられた高瀬の唇から、そんなささやきがもれた。
 そう、触れるか、触れないか。
 だから、ささやかれると同時に、高瀬の吐息はふわっとわたしの唇を包み込んでいた。
 ぞくぞくとした、体全部が。
 これはある意味、唇を触れるそれよりも、甘いかもしれない。甘いしびれを運んでくるかもしれない。
 にっこり微笑み、高瀬はわたしのまぶたにキスを落とす。
 ごく自然に、当たり前のように。そうしなければならないように。
 わたしはやっぱり流されるように、ぽすっと高瀬の胸に頭をもたれかける。
 こうして流されるのは、悪くないかもしれない。
 こんな誕生日も、悪くないかもしれない。
 いや、そうじゃなくて、早く電気をつけてください。
 じゃないと、本当に本気で、わたし、まずいかもしれません。


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update:04/04/29