危険な恋の予感
ペテン師

「南川、はやく違うと訂正した方がいいよ? 今ならまだ間に合うから。夏休みに入ってから、部活に来ていた奴らの間でだけ、半分ふざけて言っていることだから……」
 頭の中はぐるぐるまわっているのに、その姿は呆然と立ちつくしているように見えるわたしに、浦堂が神妙な面持ちで告げてくる。
 それはまるで、助言をするといったふうだった。
「え……?」
 その言葉に、現実に引き戻されたわたしは、思わずまじまじと浦堂を見つめてしまった。
 それは、つまり……?
「まったく……。迷惑な噂だよな? よりにもよって、高瀬先生をめちゃくちゃ嫌っている南川とだなんて。――あの先生も、女性と一緒にいるなら、それなりに気をつけて欲しいよな。一応、人気教師なのだし」
 うんざりといったようにふうと大きなため息をもらしつつ、浦堂はそうぶつぶつつぶやく。
 それは、わたしに同意を求めているようであったけれど、本当は独り言みたいだった。
 だけど、浦堂のその独り言は、わたしを現実に呼び戻してくれる。
 希望の光が見えたような気がする。
 だって、それはつまり……。
 わたしの人生、まだ終わらないということでしょう!?
 や、やったー! す、救われるかもしれない。このままいけば!
 ここは、わたしの話術にすべてがかかっているということね!?
 どこかのインチキペテン師みたいに、巧みなペテン術は持ち合わせていないけれど。
 この時ほど、高瀬のペテン術がうらやましく思うことはないけれど。
 でも、それでもどうにか切り抜けなくちゃいけない。
 せっかく与えられたチャンスだもの、これをいかさないでどうするの!?
 このチャンスを逃しては、学校一の才女の名が泣くわよ!?
 わかっているわね!? 楓花。
 ここがふんばりどころよ!
「う、うん! そうだよね。めちゃくちゃ迷惑、大迷惑! どうしてわたしが、よりにもよって、あんな極悪インチキ教師と噂にならなきゃいけないのよ! 噂になるというだけで、この上なく不愉快だわ! 高瀬ならともかく、わたしがそんなところにいるわけないじゃない!」
 思わず浦堂の両腕をがしっとつかみ、迫るようにまくしたてていた。
 だって、与えられたこのチャンス、いかさなければと思うと、ついつい力が入っちゃうんだもん。
「み、南川? 何もそこまで力説しなくても……」
 あまりのわたしの勢いに迫力負けしたのか、浦堂は苦笑いを浮かべつつそう言ってきた。
 腕をぎゅっと握り締めているわたしの手に、浦堂はそっと触れる。
 そして、ゆっくりと、その腕からわたしの手を解いていく。
 解かれたけれど、しばらく、浦堂はわたしの手を解放してくれようとはせず、そのままきゅっと握っていた。  どうして?
 そう思ったけれど、すぐに答えはでた。
 きっと、今はなしたら、また腕をつかまれるとでも思ったのだろう。
 浦堂要というもてもて委員長は、本当に聡い委員長だから。
 いくらなんでも、わたしだってそこまではしないというのに。
 でも、どことなく、わたしの手を握る浦堂の手が優しいように感じるのは、……何故?
 まあ、気がすむまで握っていてもいいけれど、手くらい。
 これが、あの極悪ペテン師だったら話はまた別だけれど。
「ご、ごめん。でも、だってほら、わたし、大嫌いだから。あんなふざけた男」
 わたしの手を握る浦堂の手の力が一瞬ゆるんだから、そのままするりとそこから手を引き抜く。
 するとその瞬間、浦堂が淋しそうな表情を見せたような気がした。
 でもきっと、やっぱりそれは気のせいなのだと思う。
 だって、今はわたしの言葉に半分あきれて、半分困ったように微笑んでいるから。
「それはもう聞き飽きている」
 などとため息まじりに言いながら。
 そして、浦堂は急に真剣な目でわたしを見つめてきた。
 今度は、浦堂がわたしの腕を握る。
「ところで、本当に何ともないよな? 高瀬先生とは」
 それから、そんな疑惑の言葉を投げかける。
 だから、今思いっきり否定したばかりでしょう。
 浦堂は、最初から信じてくれていたんじゃないの?
 あの噂は、デマだって。
 ――実際のところは、紛れもない真実だったりなんかしちゃうけれど。悔しいことに。
 なのに、今さら再確認?
 なんか、ちょっと腹が立つなあ。
 それってまるで、わたしの言葉を信じていないというみたいじゃない。
 ――まあ、嘘なのだけれど。
「え……? 浦堂くん?」
 もちろんわたしは、きょとんと浦堂を見つめる。
 そう、あくまでそう装うだけ。
 「何を言っているの? 嘘に決まっているじゃない」と、それを強調するようにとぼける。
 ここで力いっぱい否定するよりも――というか、それはさっきしたから――何のことかわからないよ?と見せかけた方が、効果がありそうな気がするから。
 浦堂に腕をつかまれたまま、じっと二人見つめ合っていた。
 互いに、探るように。
 その時だった。
「それはあり得ないな」
 面倒くさそうなそんな声が、わたしの耳に飛び込んできた。
 そして、現れる。
 顔の横から、にょろっと高瀬の顔が。
 同時に、さりげなさを装い、浦堂の手を引き離すように、わたしの腕が高瀬へと引き寄せられていた。
 もちろん、浦堂の手がわたしの腕からはなれた瞬間、高瀬の手もわたしの腕からはなれていた。
 そんな一瞬のできごとなだけに、誰もこの時の高瀬のさりげない行動に気づくことはなかったと思う。
 当事者の、わたしと浦堂をのぞき。
 いきなり現れた高瀬に、浦堂は驚きに目を見開く。
 見開いたその目には、どこか高瀬を非難するような光がこめられていた。
 それは、わたしが見ても一目瞭然。
 こんな浦堂は、はじめて見た。
 浦堂でも、高瀬を非難するように見ることがあったのね。
 ものわかりのいい大人な委員長だと思っていただけに、ちょっと意外で驚き。
 しかし、浦堂のそんな様子が気になりつつも、わたしは反射的にお見舞いしていた。
 ぼごっと、見事に命中。
 高瀬のみぞおちに、わたしの肘鉄が。
「性懲りもなくまた現れやがったな! このインチキ教師!」
 そんなおまけの言葉まで添えて。
 当然、浦堂とにらみ合っていた高瀬の目は、瞬時に戦線離脱。
 思いがけないところからの攻撃に、見事敗北。
 油断大敵とはよく言ったものよねえ。
 などとしみじみ。
 わたしの肘鉄を食らった高瀬は、浦堂との戦いに負けるやいなや、にやっと微笑んでいた。
 再び、浦堂の目をとらえるようにして。
「ほらな?」
 そして、やっぱり極悪ちっくに微笑む。
 高瀬のそれを受け、浦堂は悔しそうに唇をかみしめ、ふいっと顔をそらした。
 どうやら、一度敗退したものの、再びチャレンジした高瀬によって、今度は浦堂が負かされてしまったみたい。
 極悪ちっくなその微笑みだけで。
 まったく、本当、なんて男なのだろう、このインチキペテン師はっ。
 それにしても、浦堂、あなた、簡単に高瀬に負けすぎ。


 この一件で、わたしと高瀬にまつわる、大迷惑な噂はさっさとたち消えちゃったから、思いっきり不思議。
 七十五日を待たずして、もう誰もその噂をしなくなった。
 おもしろくないとか何とか言って。
 結局、おもしろいかそうでないかが、彼らが最も重きをおいているところ、ということなのだろう。
 でも、よかった。本当に。ばれなくて。
 ばれたら、きっと、もう高瀬はうちにはいられなくなるから。出ていかなければならなくなるから。
 たとえ、わたしたちがつき合っていなくても、ただの同居だとしても。
 そう、高瀬は、あくまでうちに下宿をしているだけ。そのはず。
 だけど、それでも、ばれたらきっと大変だから。全てが終わるから。
 これで、もう少しのびた。猶予ができた。
 高瀬が、うちから出て行くまでの猶予が……。
 今すぐにでも、出て行けという感じだけれど。
 もちろん、こんなとんでもない噂なんてなく。
 そう思うと、心のどこかがすっと冷たさを感じた。
 わたし、心のどこかで思っているのかもしれない。
 失わなくてよかったと。これまでの時間を。
 たったのひと月だけれど、高瀬と過ごしてきた時間。
 ――え? 待って。失わなくてよかった?
 それって一体、どういうこと!?
 わたしはずっとずっと、高瀬に出て行って欲しかったのじゃなかった?
 いやだ……。これってまるで……。
 まるで、もう高瀬との同居を認めているみたいじゃない。
 出て行ってほしくないと思っているみたいじゃない。
 たしかに、脅されてはいるけれど、それはまた別で……。
 これからまた、一人だけの食事に戻り、一人だけで寝られるようになるはずなのに。
 わたしはもう、高瀬に出て行って欲しくないと思っている? 本当に?
 一緒に食事をしたり、一緒に寝て欲しいと……?
 高瀬の腕の中はゆりかごみたいだから?
 それだけで、もう高瀬が手放せなくなっている?
 そんなの、絶対にあり得ない。
 そして、あらためて気づく。
 やっぱりわたしは、怖がらずに一歩踏み出す相手に、高瀬を選んでしまったのだと。
 それだけは絶対に嫌だと思っていたはずなのに。
 すぐ側に感じる高瀬。
 どこにもいかないでと、思わず抱きついてしまいそうになる。
 失いたくなくて――。


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update:04/05/23