危険な恋の代償
ペテン師

 ちくちくと突き刺さる、無数の視線。
 ひそひそとかわされる、こそこそ話。
 ――ねえ、これって何? 何事!?


 校門を入ったあたりから、向けられる冷ややかな視線。
 軽蔑? 非難? そんな視線すらもある。
 まるで極悪人でも見るようなその視線、……やめてよね。
 わたしは、どこかの極悪ペテン師じゃないのだから。
 というか、どうしてそんな視線を、わたしが向けられているわけ?
 訳がわからないけれど、とりあえず、そんな視線に気づいていないと自分に思いこませ、教室へと急ぐ。
 なんだか、本当に嫌な感じがするから。
 教室に入っちゃえば、少しはましかもしれない。
 今よりは、向けられる視線の数が減ると思うし。
 ああ、もう何。本当、これ。
 これって、まるであの時みたい。
 夏休みの登校日。
 あの時向けられていた視線に似ている。
 ――え?
 とことは、もしかして……?
 ……まさか。
 急に不安を覚えた時、ちょうど二年三組の扉の前に到着。
 そう、ここが、わたしのクラス。
 何だかやっぱり嫌な予感を抱きつつ、それでも教室に入らないわけにいかないから、がらっと扉を開いてみる。
 その瞬間、それまで教室の外にまで聞こえていた話し声がぴたっとやんだ。
 楽しそうにかわされていたその会話。
 お気楽極楽クラスにぴったりなお気楽な会話。
 急にしーんと静まり返ったその教室には、わたしに向けられる不可解な視線だけ。
 わたしの一挙手一投足をまじまじと見つめるように、観察するように向けられるその視線だけ。
 言葉は、やっぱりない。
 そんなクラスの反応に、訝しく顔をゆがめつつ、わたしは自分の席へ向かった。
 すると、わたしの後ろの席の浦堂が、そこに静かに座っていた。
 何を語るでもするでもなく、本当にただ静かにそこに。
 まるで死んでいるかとすら思えるくらい、静かだった。
 だから、浦堂に「おはよう」と声をかけようと思ったけれど、やめた。
 どうにも、あいさつすらできるような雰囲気じゃないように思えたから。
 仕方なく、ちくちくと刺すこの視線に気づいていないふりをして、一度ふうと大きなため息をもらし、自分の席につこうと椅子を引く。
 その時、ぴたっと動きが止まる。
 そして、凍りつく。
 かちーんと。
 南極の氷みたいに、カッチンコッチン。
 本当に、もう微動だにすらできなかった。
 そして、同時に停止してしまった。
 わたしの思考。
 だって、だって……これって……。
 とんでもないものが、わたしの机の中から顔をのぞかせていた。
 わたしに見せつけるように。あてつけるように。
 それは、一枚の小さな印刷物。
 まるで、携帯のカメラで撮って印刷したという、そんな感じの印刷物。
 もう声を出すことすらできなくて、ぎょっとそれを見つめるしかなかった。
 同時に、体中からすべての血がなくなったような衝撃を受けた。
 くらりと、嫌なめまいまで覚える。
 だって、それには、その印刷物には……昨日のあの場面が印刷されていたから。
 オレンジ色に染まる国語科教官室で、寄り添うように抱き合っている二人の姿。
 そして、その二人は、他のことなんてどうでもいいと、キスをかわしている。
 それは、紛れもなく、昨日のわたしと高瀬の姿。
 ――これって……?
 ……ううん、そうじゃなくて、どうしてこんなものがここに?
 そう思った瞬間、わたしは奇跡的にも正気づけた。
 その紙をがばっとつかみ上げる。
 そして、その勢いのまま、思わずぐしゃぐしゃと丸めてしまっていた。
 その時だった。
 わたしの背後で、悲痛な声を浦堂が上げた。
「南川……。それ……何? 嘘だよな? 冗談だよな? 何かの間違いだよな? 悪い夢だよな!?」
 がたんと、椅子を蹴倒すような音。
 そして、ぐいっとつかまれるわたしの肩。
 わたしの肩をつかむ浦堂の背には、蹴倒されたように倒れている椅子があった。
「あ、あ……。う、浦堂……くん……」
 もう声にならなくて、何と言えばいいのかわからなくて、わたしはただ、目の前で悲痛に顔をゆがめる浦堂を見つめることしかできなかった。
 ただ、訴えるように。伝えるように。
 それは、何を訴えたかったのか伝えたかったのかわからないけれど、だけど、そうすることしかもうわたしにはできなかった。
 頭が……まわらない。何も考えられない。
 そして、気づけば流れていた。
 ぽろぽろと、わたしの目から涙が。
 じょ、冗談でしょう。
 どうして、こんな時に、こんなものが。
 やだ……。とまってよ、やめてよ、こんなの。
「先生に、むりやり……だよな? だって南川は、高瀬先生のこと、大嫌いなはずなんだから!!」
 浦堂は苦しげにそう叫ぶと、ぐいっとわたしを抱きしめた。
 その瞬間、きゃあと悲鳴のような叫び声が上がる。
 それは多分、キャピキャピ娘さんたちが発した叫びに違いない。
 わたしの顔は浦堂の胸におしつけらているから、まわりを確認することはできない。
 それでも、わかる。なんとなく。
 だけど、今のわたしには、そんなのはもうどうでもいい。
 そして、浦堂を振り払うこともできない。
 ただ、今つきつけられている現実に、ついていけなくて、辛くて、なされるがまま。
 ――ばれてしまったんだ……。
 もう、何もかもが終わってしまった。
 前回のことも影響して、きっともう言い逃れなんてできない。
 そろそろ……潮時?
 観念しなくちゃならないのかな?
 だた、それだけしか考えられない。
 まさか、昨日のあれを、誰かに見られていたなんて……。
 そして、こんなものまで撮られていたなんて……。
 ……全然、気づかなかった。気づけなかった。
 それはきっと、あの高瀬でも。
 だって二人とも、あの時は、もうお互いのことしか見ていなかったから。考えられなかったから。
 お願い、高瀬。
 今すぐこの場へ来て。
 じゃないと、わたし、一人ではどうすればいいのかわからない。
 どう対応すればいいのか、どう答えればいいのか……。
 それに、このまま浦堂に抱きしめられているのも嫌。
 だから、だから、今すぐ……来て――。
 その後しばらく、浦堂の腕の中にわたしはいた。
 ふるふる体を震わせ、ぽろぽろ涙を流すわたしを見て、浦堂は何かに気づいたように、ゆっくりとわたしを解放していく。
「……ごめん。実は……俺も昨日、見てしまったんだ。だけど、それを撮ったのは俺じゃない。俺じゃないけれど……だけど、結局は同じことだな。今もそれをどうにかすることもできなくて、ただ放置しているだけで……。――ごめん、とめられなかった。頭がまわらなくて……。この写真、結局は……俺も、南川を傷つけたことになるんだな……」
 浦堂は申し訳なさそうにそう言って、苦しそうにわたしを見つめる。
「……見て……いた?」
 もう何がなんだかわからなくて、ただぼんやりとした視界の向こうに、ぼんやりとした浦堂の姿を映していた。
 浦堂が言っていることが、いまいち理解できない。
 遠くの方で、何かを言っている。そんな感じ。
「ああ、その……お前が、高瀬先生とキスをしているところ……」
「……そう」
 ふるっと一度首を横にふり、わたしはそれだけをぽつりつぶやいた。
 もうわかったから。わかってしまったから。
 きっと、もう無駄なのね。何を言っても。
 誰もわたしの言い訳なんて聞いてくれない。
 きっと、浦堂は必死にとめようとしてくれたのだと思う。
 こんなものが広まらないように。
 だけど、できなかった。
 そして、浦堂もまた傷ついているように見える。
 だってわたしは、言ってしまっているから。
 「他に好きな人がいる」と、そう……。
 あの時、浦堂はそれ以上は聞いてこなかった。
 ただ、切なそうに微笑み、「わかった……」と、そう言っていた。
 きっと、浦堂は知っていたんだ。
 押しつけるだけの愛は、愛じゃないって。
 押しつけるだけの愛は、相手を苦しめることになるって。
 だから、わたしのその言葉に身をひいていった。
 それは当然、相手が高瀬だとは知らずに。
 でも知ってしまった。
 そして、それでもきっととめようとしてくれたんだ。
 こんなものが出まわらないように。
 学校にその名をとどろかせる優等生が、とんだスキャンダルだ。
 そのお相手は、学校一の人気教師。
 全校に広がらないはずがない。
「……ごめん。あまりにもショックで、衝撃的すぎて……俺もどうすればいいのか……」
 唇をかみしめるようにそう言って、浦堂はふいっとわたしから視線をそらした。
 そして、「ごめん」とつぶやき、ばっと駆け出し教室を出て行ってしまった。
 一体……何を伝えたかったのかはわからないけれど、でも、それでも、浦堂はわたしの敵ではないということはわかる。
 きっと、浦堂の中でも混乱しているんだ。
 まさか、学校一の才女で、絵に描いたような優等生。
 きわめつきに、高瀬を嫌っているわたしが、まさかその高瀬とそんなことになっていたなんて……。
 針のむしろの中、わたしは一人取り残される。
 もう、何もかも終わった。
 わたしの人生までも――。
 やっぱり、あのインチキ教師に関わったその時点で、わたしの人生は終わっていたんだ。
 終わりって、案外あっけないものだったのね。
 あんなインチキペテン師のために、わたしは人生を棒にふってしまった。


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update:04/06/26