わたしだけの騎士
ペテン師

 呆然とそこに立ちつくしていたわたしは、ふいにくるりと踵を返し、教室の扉へ歩いていく。
 わたしがこれ以上ここにいては、駄目なような気がしたから。
 事態をややこしくさせる。
 きっと、大騒ぎになる。
 今でも十分、大騒ぎになっているようだけれど。
 このまま家へ帰って……そして、退学届を書こう。
 きっと、わたしには、その道しかもう残されていないはずだから。
 ぼんやりとさまよう頭で、それだけを考えていた。
 ――教師と生徒。
 なんて典型的な危険な恋とやらをやらかしてしまったのだろう。
 まあ、それは、高瀬からの一方的に……だったけれど、最後の辺りは、わたしももうあまり抵抗しようとはしていなかった。
 それに、結局、高瀬は来てくれなかった。
 あの俺様ペテン師なら、不可能なことも可能にしてしまえると思っていたのに。
 きっと高瀬も、今頃大変なことになっているのだろう。
 だけど、それでも来て欲しかった。
 やっぱり、この世には、信じられるわたしだけの王子様は存在していないのかもしれない。
 高瀬を信じてもいいと思ってしまったわたしは、なんてあまかったのだろう。
 なんてあさはかで馬鹿だったのだろう。
 わたしだけの王子様なんて、いるはずなかった。
 そしてやっぱり、男の人の好き≠ヘ信じられない。
 絶望を胸に抱きつつ、わたしは教室を後にする。
 教室を出た時だった。
 ふいに、後ろからわたしを呼ぶ声がした。
 それは、どすのきいた怒りに満ちた声。
 普段キャピキャピと黄色い声を上げているその声。
 だけど今は、そんなものはみじんもない。
 瞬間、悟ってしまった。
 この後に待ち受けているであろう、わたしの運命。
「ちょっとつき合ってもらうわよ」
 憎らしげにわたしをにらみつけてそこに立つ、複数の女子生徒。
 これはきっと、高瀬のファンだな。
 即座にそう判断できた。


 そしてもちろん、舞台は移される。
 校舎裏へと。
 因縁の、教官棟いちばん東の国語科教官室裏。
 ここは、まったくといっていいほど人気がない。
 ここへ連れてこられるまでももちろん、わたしたちは注目の的だった。
 そして、誰しも、この後わたしに待ち受けている運命を悟ったことだろう。
 それでいて、それは当たり前のことだと思っていたに違いない。
 だってわたしは、優等生の皮を被った、とんでもない女だったから。
 とんだ食わせもの。
 彼らからしたら、極悪人。凶悪犯。
 きっと、そんな感じ。
 向けられるまなざしすべてが、わたしを軽蔑しているものだった。
 当たり前だけれど、今までそんな眼差しを向けられたことがないわたしにはかなり辛い。
 こんな短時間で、学校中に広まってしまっていたのだろう。
 それほどまでに、高瀬は人気がある教師で、わたしは名の知れた学校一の才女だったから。
 でも、それももう終わり。もう終わった。
「どうして呼び出されたか、わかっているわよね!?」
 わたしを壁へ追い込み発せられる言葉。
 なんとも型どおりの言葉。
「……ええ」
 その言葉を、つぶやきと同時に一笑していた。
 それは、自嘲だったかもしれない。
 一応は順風満帆だったわたしの人生が、まさかこうもあっさり終わりを迎えるとはね。
 こんな醜聞によって。馬鹿なことによって。
 それもこれも全部、あのペテン師高瀬のせい。
 でも今さらだから、もう文句を言う気力もないけれど。
 そして、何だかんだと言いつつ、高瀬の暴挙を放任していたのもまた事実だし。
 だけどやっぱり、この場に高瀬もいて欲しかった。
 そう思わずにはいられないというだけ。
 高瀬がいてくれれば、それだけで何とかなりそうなのに。
 本当、わたしってついていない。
「それで? 殴るの? 蹴るの? それとも……袋叩き?」
 はあとため息をもらし、投げやりにそう言った。
 だって、このような状況で、この後されることといったら、それしかないじゃない、普通。
 よく漫画とかで、もてるヒーローとさえないヒロインが仲良くなっちゃって、それでヒーローのとりまきたちがヒロインを呼び出して袋叩き開始。
 その瞬間、ヒーローが格好よく登場してヒロインを助ける。
 なんて、そんなシーンがあるけれど、どうやら、わたしの場合、それも望めそうにない。
 だって、今背にしている国語科教官室は、窓がぴしゃりと締め切られ、そして中も真っ暗。
 普段、学校でのあのインチキ教師の巣はここだから、そこにいないということは、きっとまだどこか……職員室かその辺りで、つかまっているはずだから。
 高瀬も高瀬で、別の意味で大変かもしれない。
 よりにもよって教え子に手を出したワイセツ教師とか何とか祭り上げられて。
 だから、仕方ない。
 これはもう、骨の一本や二本、折られる覚悟でいなきゃだめかしらね?
 何がなんでも高瀬に対抗しなかったわたしにも、責任の一端はあるかもしれないから。
 この上なく不服で不本意だけれど。
「へえー。そう言うということは、認めるのね!? あんたが高瀬先生をたぶらかしたって! 大人しそうに見えて、したたかな女よね!」
 わたしのやる気ない反応に、呼び出してくれたこの娘さんたちは、ぴくりと反応する。
 額に浮かべていた青筋をぷっつんとぶっち切って。
 まあ、これも、予想できた反応。
 本当、わたしの人生、ついていない。
 娘さんの手が振り上げられたのを見て、わたしはきゅっと目をつむる。唇をかみしめる。
 抵抗すればするだけ怒りをあおりそうだから、ここは大人しくしばらく殴られてやっておけばいいかと思って。
 その方が、殴られる回数が幾分減るかもしれないと思って。
 そう思うと、やっぱり……わたしって、普通の人よりも少しずれているのかもしれない。
 そして、冷めているのかもしれない。
 ……それとも、打算的?
 こんな時に、冷静に状況を分析し、把握しているんだもの。
 だけど、しばらくたっても、受けるはずの衝撃は感じなかった。痛みはなかった。
 そして、わたしの耳に信じられない言葉が飛び込んでくる。
「た、高瀬先生!?」
 そんな、驚愕に満ちた叫び声。
 それは、単数ではなく複数。
 ……え?
 その声に驚き、ばっと目を開けていた。
 するとわたしの目の前には、大きな背中があった。
 その背からは、甘い薔薇の香りが香ってくる。
 見慣れた背中。
 え? ということは……これは――。
「悪いが、お前たちがしているこれ、意味がないぞ」
 そんな訳がわからない、あくまで自己本位な言葉を発する。
 この……今、わたしをその背に隠す、俺様キングなペテン師が。
 高瀬のふざけているのか!?と思えるその発言に、うろたえる女子生徒のみなさんの姿が、高瀬越しに見える。
 わたしは、その光景を、思わず呆然とみてしまっていた。
 そんなわたしに高瀬は振り返り、そしてぎゅうとわたしを抱きしめる。
 恐らくは高瀬のファンであろう、この娘さんたちの前で。
 さらには、強引に顔を引き寄せ、そこに口づけを落とす。
 熱い熱い……キス。
 ……って、って……って……ええーっ!?
 た、高瀬!?
 ゆっくりとはなれていく高瀬の顔を、わたしはただ凝視することしかできなかった。
 だってこの男、このふざけた男、怒りをあおってどうするの!?
 そう叫ぼうとした時、ぱふっとその大きな手でわたしの口がふさがれた。
 あたたかくて優しい手が、わたしにふと安堵をもたらす。
 そして、続けてもたらされる、高瀬のとんでもない発言。
 しかも、にこにこと、楽しそうな、嬉しそうな微笑みまでたたえちゃっている。
「俺たち、婚約しているから」
 え、ええーっ!?
 そこにいた誰もが、そんな驚愕の叫びを上げていた。
 もちろんわたしも。
 高瀬に口をふさがれちゃっているから、心の中で。
 そんなむちゃくちゃな高瀬だけれど、でも、この時は、何だか格好よく見えた。ちゃんと。
 その背にわたしをかばう高瀬の姿は、とてもたのもしく見えた。
 その胸にわたしをすっぽりおさめる高瀬の姿は、わたしだけの王子様。
 そして、まるで、わたしだけを守る騎士(ナイト)のよう。
 思わず、ぎゅうっと抱きついてしまいそうな程度になら、高瀬を格好いいと思えた。
 ううん、思ってあげてもいいと思える。
 不思議なことに――。


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update:04/06/30