安らぎをくれるあなた
ペテン師

 わたしは今、高瀬の腕の中にいる。
 高瀬の腕の中で、甘い香り漂う胸にわたしのすべてをゆだねている。
 わたしが頼れるものは、今はこれしかないから。
 もう、信じられるものはこれしかないから。
 どうなってもいいと思ったはずなのに、だけどやっぱりどうなってもいいと思えない自分がここにいる。
 でも……それでも、どうなってもいいかもしれない。
 きっと、高瀬が守ってくれる。
 そう思えるから、今は。
 校舎裏に現れた高瀬を見て、漠然とそう思えた。
 それに、こんな時なのに、高瀬の腕の中にいると、やっぱり落ち着く。
 このままずっとずっとこうしていたい。
 ここにいられるなら、他はどうでもいい。


 あの後すぐに、わたしは高瀬の家へ連れてこられていた。
 あれ以上の騒動にならないように。
 あれ以上、あの渦中にわたしをおいておかないために。
 当事者二人の姿がそこになければ、それ以上騒ぎようがないだろう。
 はじめてさぼったような気がする、学校。
 でも、今は学校なんかよりもこっちの方がいい。
 もうあそこにはいたくなかったのも本当だから。
 それもこれも、みんな高瀬のせいだとわかっているはずだけれど、でも……。
 今わたしに安らぎをくれるのは、高瀬だけだから。高瀬のこの胸だけだから。
 だから、甘んじてここにいてあげる。
「楓花……。どう? 少しは落ち着いた?」
 さらっとわたしの髪をなで、高瀬は不安げに顔をのぞきこんできた。
 そんな高瀬の顔を見ると、なんだか胸の辺りがつきつきする。
 そして、またこみ上げてくる。
 あの思い。あの時の思い。
 一人きりで、針のむしろに放り込まれていたあの時。
 本当は、強がっていたけれど、とても辛かった。怖かった。
 そして、心のどこかで高瀬を求めていた。
 そばに高瀬がいてくれたらと、あの時、どんなに思っていたか。望んでいたか。
 だから、嬉しかった。
 そして、奇跡が起こったと思った。
 だって、諦めていた高瀬が、わたしの目の前に現れたから。
 高瀬がわたしを守ってくれたから。
 その口から出た言葉は、とんでもないものだったけれど。
「……まだ」
 きゅうと高瀬に抱きつき、そこでぽつりとそうもらす。
 それも、本当。
 まだ落ち着かない。
 またこみあげてきたから。あの時の苦しさが。怖さが。
 でも、こうしてきゅうっと高瀬に抱きついていると、だんだんとそれもやわらいでくるような気がする。なんとなく。
 ううん、なんとなくじゃなくて、断言してもいいかもしれない。
 だって本当に、すうと心が落ち着いていくから。
 ――知らなかった、今まで。
 高瀬の胸の中が、こんなに落ち着けるものだったなんて。
 今まで、高瀬の胸にダイブして、無事ですんだことなんてなかったから。
 必ずといっていいほど、このインチキペテン師は、セクハラ行為にいたっていたから。
「そうか……。ゆっくりでいいから、気持ちを落ち着けて。ここは俺の部屋で、誰もこないから」
 そう言って、高瀬はわたしを抱く腕の力をふとゆるめた。
 その瞬間、わたしはばっと高瀬を見つめてしまった。
 どうして?と。どうしてずっと抱いていてくれないの?と。
 そしたらこのペテン師め、困ったように肩をすくめた。
 だけど、どこか嬉しそうにも見える。
 まったく……。
 こんな時でも、あなたの頭の中は、もしかしていかがわしいことでいっぱいだとか!?
 あ、あきれて、もう何も言えないわよ。
 ぎろっとにらみつけると、高瀬はやっぱりくすくす笑い出しやがった。
 そして、わたしの腰をその両手でぐいっとつかむ。
 次の瞬間には、ごろんとその場に寝かされていた。
 ……いや、押し倒されていた?
 だって、今までわたしを抱いて高瀬が座っていた場所は、うちにある王様ベッドなんて比べ物にならないくらい大きなベッドだったから。
 そして、ふかふか。
 真っ白のシルクのベッドカバーがかかった、大きなベッド。
 そこに、ごろん。
 甘い香りがふわっと香ってきて、わたしを包み込む。
 吸い込まれるように沈んでいるベッドから香ってくる。
 高瀬の香り。
 当然、横たえられたそこから、わたしはぎょっと高瀬を凝視する。
 すると高瀬は相変わらずくすくす笑いながら、「少し、寝ようか?」なんて、あっけらかんとそう言ってきた。
 そう言いながら、やっぱり優しくわたしの頭をなで続ける。
 それはまるで、だたをこねる子供をあやすよう。
 まったく……。本当、失礼しちゃうわ、このペテン師はっ。
「少し寝て。そうすれば、少しは落ちつくから」
 高瀬も次第にわたしへと体を倒してきて、そしてすぐ目の前、鼻と鼻がこつんとぶつかりそうなそこまで顔をもってきた。
 それから、やっぱり優しくわたしを見つめ、優しくそう言ってくる。
 きゅうーんと、胸が悲鳴を上げる。
 最近、よくあげるようになった胸の悲鳴。
 その原因は、もうわかっている。
 それは、きっと、こんなペテンな男に、高瀬に、ときめいちゃっている証拠なのかもしれない。
 そんなの認めたくないけれど、許しがたいけれど。
 だけど、そう思ってしまう。わたしの心のどこかが。
「……いや」
 むうっと頬をふくらませ、上体を少し起こし、すぐそばにある高瀬の胸に、今度は自らダイブしていた。
 きゅうと高瀬の胸に顔をうずめる。
 急にわたしの重さが加わったものだから、ぐらっと体勢を崩し、高瀬はそのままベッドに倒れこんでしまった。
 倒れこむ瞬間、ちゃっかり体をよじり、その体の上にわたしを移動して。
 だから、今、わたしは高瀬を下敷きにしちゃっている。
 慌てて起き上がろうとすると、それを高瀬が制した。
 そしてそのまま、ベッドに身を沈めたまま、高瀬は静かにこう言った。
「このままでいいから……話を聞いて?」
 まっすぐな高瀬の眼差しが、わたしをとらえた瞬間だった。
 その射抜くような視線から、逃れられなくなった。
 ただじっと高瀬を見つめ、こくんとうなずく。
 そしてまた、高瀬の胸にダイブ。
 それは、どちらからともなく、自然に。
 互いに求めるように――。
 ここが、高瀬の部屋なんだ。
 そして、これが高瀬のベッド。
 気持ちいい。
 そんな倒錯が入ったような考えが、一瞬わたしの頭をよぎっていった。
 わたしに安らぎをくれるたったひとつのもの。
 それは、……高瀬。
 大嫌いな俺様ペテン師――。


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update:04/07/04