呼び出された理事長室
ペテン師

 高瀬の屋敷で、高瀬のベッドで、高瀬の腕の中で、一夜を明かした。
 あんな大変なことが、とんでもないことがあった日の夜だというのに、不思議に安らかな眠りにつけた。
 それはやっぱり、高瀬の威力なのだと思う。
 高瀬のぬくもりを感じているだけで、安らかな眠りにつける。安らかな心地になれる。
 同居をはじめた三ヶ月前には、こんなことは知らなかった。思わなかった。
 ただ高瀬がここにいてくれるだけで、こんなに心安らぐなんて。
 やっぱりわたしは、侵されてしまったのだろうか?
 高瀬が放つ、媚薬のような香りに。
 甘い甘い、薔薇の香りに。
 やっぱりわたしは、騙されてしまったのだろうか?
 高瀬の巧みなペテンの技に、いかさまに。
 そして、まんまと罠にはまった?
 朝目覚めると、わたしを優しく、愛しく見つめる高瀬の姿がそこにあった。
 きらきらと朝日を浴び、とても優しい高瀬の姿。瞳。
 そして、「おはよう」と言って、にっこり微笑む。
 わたしの姿しか映していないその目で、わたしだけを見つめている。
 妙に目覚めよくむっくり上体を起こし、だけどちょっと不満げに、不機嫌に「おはよう」とつぶやき返す。
 すると、当たり前のように、くすくす笑い出す高瀬。
 まったく、本当、なんてペテン師なのよ。
 それって一体、何が言いたいわけ?
 どうせわたし、寝起きが悪いわよ。
 やわらかな朝日を浴び、わたしたちはベッドから抜け出す。
 ふわりと心が幸せを感じる。
 不思議な感覚が……愛しさが、心をかすめる。
 目の前にいる、くすくす笑う高瀬を感じるだけで。
 だけど、その幸せも愛しさも、すぐにぶち壊されてしまった。
 次に鳴り響いた、けたたましい呼び出し音によって。
 そう、それは、電話の呼び出し音。
 この部屋中に、冷たく響く。
 必要以上に、大きく感じた。
 それは、わたしたちを呼び出す電話だった。
 理事長室へ。


 そうして、再びやってきた学校。
 わたしたちには戦いの地。
 引導を渡される地。
 注目の的だというのに、こんなに視線を集めているというのに、高瀬はひょうひょうとしている。
 まったく、このペテン師は。
 朝日差し込む学校の廊下を理事長室へ向かう、高瀬とわたし。
 それを興味深げに見てくる、数多の生徒たち。
 みんな、この後に待ち受けているわたしたちの運命を想像して、楽しんでいるみたい。
 やっぱり、なんだか嫌な感じ。
 それは、もう誰にでも容易に想像できるだろう。
 わたしは退学で、高瀬は免職。
 それくらいとんでもないことを、わたしたちはしてしまったから。
 そして、誰もがまだ、半分くらいは信じられないよう。
 学校一の人気教師と、学校一の才女が並んで歩く図。
 しかも、学校一の人気教師は、学校一の才女を守るように、そっとその肩を抱いている。
 そんな二人は、このたびとんでもない騒動を巻き起こしてしまった。
 そうして、やってきた理事長室。
 わたしたちの人生が終わる場所。
 この重く息苦しさを感じる扉を開ければ、そこですべてが終わる。
 ごくっとつばを飲み込み、緊張をあらわにするわたしを、高瀬はきゅっと抱き寄せた。
 大丈夫、何があっても俺が守るからと。
 言葉に出さなくても、もうわかる。
 高瀬が考えていることくらい。高瀬が言いたいことくらい。
 高瀬は本当に、ワンパターンペテン師だから。
 高瀬は、わたしが第一だから。
 昨日の高瀬の告白で、そう確信した。
 だからわたしも、もう無条件で高瀬の好きを信じてあげる。
 体を強張らせるわたしをぎゅっと抱き寄せ、高瀬が理事長室の扉を叩いた。
 するとすぐに、扉の向こうから返事がくる。
 同時に、高瀬の手によってその扉が開かれた。
 妙に得意げに勝ち誇ったように、余裕しゃくしゃくに微笑む高瀬。
 どうして、こんな時でもそんなに余裕でいられるの? このペテン師は。
 このインチキ教師には、恐れるものはないのだろうか?
 不思議に思い見上げるわたしを促し、高瀬は理事長室の中へと消えていく。
 それをやっぱり、興味深げに見ている無数の生徒たち。
 いわゆる、野次馬。


 理事長室に足を踏み入れたわたしたちに、最初にかけられた言葉は、これ。
「いらっしゃい」
 そんななんとも軽い言葉。
 そして、その言い方も、めちゃくちゃ軽い。
 は……?
 なんで!? どうして!?
 いくら高瀬が理事長の孫でも、こんな不祥事、理事長にとっては醜聞もいいところじゃないの!?
 それなのに、怒っていないの!?
 ううん、それとも、怒りすぎて、理性の糸がぷっつんと切れちゃったとか?
 その思いのまま、わたしは顔をがばっと上げ、目の前にいる理事長を見た。
 大きな机を前に、黒い革張りの高そうな椅子に座る理事長。
 この理事長室には、理事長しかいなかった。
 当然いるであろうと思っていた、校長も教頭もいない。
 ……どうして?
 だけど、そんなことよりも、理事長の姿をみとめた瞬間、わたしは思わず叫んでいた。
 校長や教頭のことなどどうでもいいと思える事態になっていたから。
「ええー!? あ、あなたが理事長!?」
 目の前の理事長は、にっこり微笑む。
 楽しそうでいて、優しい微笑み。
 わたしの頭の上では、はあと盛大なため息がもらされる。
 あの高瀬が思いっきり呆れたように、額に手をあてていた。
 だってだって、今わたしの目の前で重役椅子に座るその人は、あの人なんだもん。
 以前、高瀬の屋敷の薔薇の庭で出会った、ロマンスグレーな王様、その人!
 え……!? でも、どうして!?
 どうして、庭師さんがここに!?
 交互に高瀬とロマンスグレーな王様を勢いよく見る。
 そして、わたしの頭の中で、あることがぴたっと一致した。
 あの時、庭師さんに薔薇をもらったと言った時、高瀬が不思議そうに首をかしげていたこと。
 そして、その後、妙に納得したように微笑んだこと。
 さらに、薔薇を育てているのは庭師だと高瀬が言っていたと告げた時の、この庭……ううん、理事長のその反応。
 こ、この二人、こいつら、わたしの勘違いに気づいていて、それでもなお隠して、楽しんでいやがったな!
 な、な、なんて奴らなの!
 嗚呼、もう。
 こんなところで再確認させられたくなかったわよ。
 この二人は、間違いなく血縁者なのだって。
 よくもよくも、たばかってくれたわね!
 このペテン師ども!
 憤るわたしなんてかまわずに、このペテン師たちは、あっけらかんと会話をはじめていた。
 理事長の机の前に置かれた黒い革張りのソファーに、高瀬はどかっと腰を下ろす。
 それはもう本当、当たり前のように。俺様な態度で。
 もちろん、わたしはちゃっかり高瀬の膝の上に座らされている。
 ぎゅっと抱きしめられる。
 ――わたしの思考は、すでに停止済み。


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update:04/07/17