究極のペテン術
ペテン師

「連絡があった。だから急いで帰国してきた」
 わたしたちの前に現れたパパは、ぜいぜいと荒く息を切らせながらそう言った。
 きっと、空港から直行してきたのだなと、パパのその言葉から思った。
 そして、その言葉、主語がなくても、嫌というほどわかる。
 電光石火でパパたちの耳に入ってしまったんだ、今回の騒動。
 高瀬とわたしの教官室キス事件。そして、それに付随すること。
 パパはもちろん、とてつもなくこの上なく、険しい顔をしている。
 これ以上ないというほどの怒りをたたえている。
 ぐつぐつと血を煮えたぎらせるだけではすまないかもしれない。
 今にも蒸発させてしまいそう。
 こ、怖い。
 こんなに怖いパパははじめて見た。
 パパとママが現れたというのに、高瀬は相変わらずその胸にわたしを抱いたまま。
 普通こういう場合、慌ててわたしを解放しそうなものなのに、この俺様男にはそんな概念はみじんもないらしい。
 まったく……もう。
 それに、わたしもわたしで、全然高瀬からはなれようとしないのは、何故?
 そんなわたしたちを見たパパは、無言でどすどすと歩み寄ってくる。
 これがまた、底知れぬ怒りを感じさせるから、恐ろしすぎる。
 そして、やってきたパパは、高瀬の腕の中からわたしをぐいっと奪い取る。
「放せ。娘が汚れる」
 当然、降り注がれる、パパの高瀬への険しいにらみ。
 うっ……。本気で怒っている、パパ……。
 というか、パパ、ごめんなさい。
 わたし、すでに汚されちゃっているかも?
 高瀬のペテンっぷりに、汚染されまくっています。……きっと。
 いやいや、それ以前に、高瀬にそんなことを言わないで。
 高瀬に喧嘩を売って、ただですむはずがないから。
 いくら怒りに燃えるパパであろうと、きっといちころ。
 そんな場面だけは、娘の前で見せないでください。お願い。
 高瀬はすっと立ち上がり、そんなパパに真剣な眼差しを向ける。
 う、うわあっ。極悪ペテン師、お怒りですー!
 まずい、まずすぎるー!
「二人だけで話をさせてください」
 わたしの予想に反してその口から出たものは、意外にも高瀬にしてはまともなものだった。
 この男だったら、当然とんでもない発言をすると思っていただけに、それは意外すぎた。
 するとパパは、ぎろっと高瀬をにらみつけ、一瞬何かを考えた後、すっとわたしをはなした。
 同時に、横にやって来ていたママへとパス。
 わたしはママの胸の中へと放り込まれる。
 そして、ゆっくりと椅子から立ち上がった理事長と一緒に、わたしとママは理事長室から出た。
 高瀬と怒りに燃えるパパ二人だけをその場に残し。
 この後控えている二人のバトルに、とてつもない恐怖を覚えつつ。
 絶対、ただですむはずがない。
 絶対、血の海になる。
 扉が閉じられる瞬間、ちらっと部屋の中をのぞいた。
 すると、タイミングよく高瀬と目があってしまった。
 その瞬間、高瀬は「大丈夫だよ」と、わたしににっこり微笑みかける。
 その微笑は、何故だか不思議と、「大丈夫」と、そうわたしに思わせた。
 本当、不思議。
 どうしてわたしは、高瀬の微笑みに込められたメッセージを、あっさり信じることができたのだろう。


 理事長室から出ると、すぐに理事長はわたしたちの前から去ろうとする。
 理事長室の前に群がる、野次馬の生徒たちを教室へ戻るように促しながら。
 だって、もうすでに休み時間は終わり、授業に突入している時間だから。
 ここにやってきていた先生たちも、生徒を教室へと促していたけれど、どうにもままならなかったらしい。
 生徒たちのあふれる好奇心には、先生たちも敵わないらしい。
 だけど、にっこり微笑む理事長の笑顔ひとつで、そこにたまっていた生徒たちは、まるで蜘蛛の子を散らすようにそれぞれ教室へ戻って行った。
 お、恐るべし、理事長スマイル。
 さすがは、あの高瀬のおじいさんだわ。
 と、妙なところで納得。
 そして、理事長室の前には、わたしとママ、二人だけが取り残された。
「……ママ、どう? 満足? ママの野望通りになって」
 わたしはばっとママを振り払い、ぷいっと背を向けて、半ば投げやりにそう言った。
 なんだか、本当にママの思い通りという感じで悔しいから。
 ママはこうなることを望んでいたもの、最初から。
 するともちろん、わたしの背後からは楽しそうな声が返ってくる。
「ええ、もちろん」
 ……だから、あなたは。
 やっぱり、どこまでいっても年中春女ね。
 普通の親なら、パパと同じ反応でしょう!? 普通の親なら。
 まあ、ママは普通の親じゃないから仕方がないかもしれないけれど。
 だけど、少しくらいはまともな答えも返して欲しかったわよ、まったく……。
 やっぱりわたし、ママに関しては、すでにもう諦めている?
「それと……ママ、パパと違って、全然慌てていなかったけれど、もうずっと前から知っていた?」
 首を少しだけまわし、探るようにちらっとママを見る。
 すると、ママはにっこりとした微笑みを返してきた。
「だって――」
 そのつぶやきとともに。
 そして、続けられる。
 どう考えても「だって」に続くような言葉ではない言葉が。
「ねえ、楓花、あなた、三ヶ月ほど前――梅雨の頃のことを覚えている?」
 妙に優しく微笑み、ママはそんなことを聞いてきた。
 え……? 梅雨の頃のこと? 何、それ?
「梅雨の頃? 何のこと?」
 ママが何を言いたいのかわからないわたしの答えは、当然それ。
 本当に、この年中春女は、一体何を言い出すの?
 訳がわからないわね、相変わらず。
「そう、梅雨の頃のこと。あなた、車に轢かれそうになったことがあるでしょう?」
「え……? どうしてそれを……!?」
 のばしてきたママの手がふわっとわたしの頬をかすめ、そんな言葉がもたらされた。
 瞬時に、わたしはそう返していた。
 だって、わたし、あの時のこと、ママにも誰にも――高瀬以外には――話していないはずよ?
 なのにどうして、ママがそれを知っているの?
 だから、誤魔化すことなく、素直にそう答えた……のかもしれない。
 それに、秘密にしておく理由はないし。
 ただ、今までは本当にどうでもいいことだったから、だから言わなかっただけ。
「見ていたから……。ママもあの場にいたのよ?」
 ふわっと触れた手をそのままに、ママはきゅっとわたしを抱き寄せた。
 そして、あたたかくてやわらかいママの胸の中におさめられてしまった。
 同じような背格好のはずのママの胸は、妙に大きく感じられた。
 不思議……。どうして?
 もしかして、これが母親というものなの?
 この年中春女を、母親だなんて、あまり認めてやりたくないけれど。
 だけど、それは変えようのない事実だから、仕方なく認めてあげる。
 そんなことを考えつつ、首をかしげママを見る。
 するとママ、今まで見せたことがないような、優しい母親の微笑みを浮かべた。
 ……これも意外。
 ママでも、世界記録ものの年中春女でも、こんな顔ができるんだ。
「あの時ね、楓花は高瀬先生のおかげで助かったのよ」
「はあ!?」
 ママの胸の中で、思いっきり怪訝に顔をゆがめてやる。
 だって、どうして、そこであのペテン師高瀬が出てくるの!?
 ……でも、待って。
 たしかあの時、誰かに呼ばれたような気がして立ち止まって……。それで、わたしは難を逃れて……。
 ――え? じゃあ、あれは、聞き違いじゃなくて、本当に呼ばれていたの?
 しかも、高瀬に。
 わたしを呼んだ声は、たしか……。
「楓花!」
 そう言っていた。
 呼び捨て。
 それに気づき、ママをぽけらと見つめる。
 するとママはやっぱり、優しく微笑み返してきた。
「楓花ったら、全然気づいていないのだもの。だから、お礼を言おうと声をかけたのよ。そうしたら、高瀬先生だったの。そして、話しているうちに気づいちゃった。先生の気持ち。あの時も、少し沈んでいた楓花が心配で、ついつい後をつけちゃっていたのだって。……まるでストーカーよねえ」
 ママは一人楽しそうにくすくすと笑い出す。
 わたしはもう呆れて、ただぽかーんとママを見つめることしかできなかった。
 それにしても、あのペテン師め。
 セクハラ、ペテンだけじゃなく、ストーカーという犯罪まで犯していたのか。
 まったく、なんて奴なのよ。
 思わずぎゅっとこぶしをにぎりしめてしまった。
 そんなわたしに、ママはあらためて、にやりとどこかのペテン師並みのいやーな微笑みを向ける。
 そして、こんなとんでもないことを言いやがった。
「その後、高瀬先生と妙に意気投合しちゃって、今回の同居にいたったのよ」
 当たり前だけれど、ママのその言葉を聞いた瞬間、わたしの頭はショートした。
 だけど、さすがは学校一の才女。
 すぐに回復を迎えることができた。
「共謀していたということ!?」
 同時に、そんな叫びを上げて。
 ママは、そんなわたしに、やっぱり楽しそうにこくんとうなずくだけ。
 や、やられた。
 この年中春女は、ただの年中春女ではなかった。
 意外に侮りがたし。
 そして何よりも、あのペテン師め。
 ママを抱きこんでいやがったのか、やっぱり。
 なるほど、だから高瀬、わたしのことを何でも知っていたのか。
 年中春女とつるまれていたのだから、対抗なんてできないはずよ。
 く、悔しいー!
 常識という言葉が欠落したこの二人に、まんまと騙されていたということね!
 このペテン師たちが!
 あなたたちなんて、大嫌い!


 その後、理事長室からでてきたパパは、とても渋い顔をしていた。
 その横では、高瀬がやっぱり俺様ちっくに微笑みをうかべていた。
 そうして、わたしに、意外な事実がもたらされた。
 なんと、パパは、インチキ教師のペテンな口車によって、あっけなく陥落してしまっていた。
 つまりは、許していた。わたしたちの関係を。
 あんなに怒りに燃えていたのに。いとも簡単にあっけなく。
 まったく、情けない。
 そして、このペテン師には、誰も敵わないだろう。
 あらためて、そう思った。
 二人の間でどのような会話がかわされたのかは、その後もわたしは決して知ることができなかった。


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update:04/07/25