お気にめすままに
(4)

 次に気づいた時は、校舎の中がしんと静まり返った頃だった。
 もう、夜の(とばり) がおりている。
 理事長室の窓から見える空には、少し欠けてやせた月が浮かんでいる。
 つい数日前、満月を迎えたばかりのその月。
 秋の夜空に浮かんでいる。
 遠くのグラウンドから、淡い光と、楽しげな音楽が流れてくる。
 それに対抗するように、かすかに聞こえてくる虫の声。
 それを、まだ覚めきっていない頭で、ぼんやりとわたしは聞いていた。
 肌寒く感じる体をぶるっと震わせる。
 すると、瞬間、ふわりとあたたかなものに包まれた。
 もう確認しなくてもわかる。
 高瀬、その人のぬくもり。
「高瀬……?」
 ふわりと抱きしめてきた高瀬の名を、わたしはつぶやいた。
 やっぱり、頭はまだぼんやりと、夜空とグラウンドの音楽へ傾けたまま。
 だけど、心はもう支配されている。すべて。
 わたしを優しく抱くこの男に。
 そして、耳に妙にあたたかい高瀬の吐息がかかった。
「なに? 楓花……」
 かすれたような声でささやかれたわたしの名。
 それは、とても熱を帯びている。
 ぎゅっと胸がしめつけられる。
 熱く、熱く、そして甘く――。
「もう、夜なの?」
 平静を装いくるりと首をまわし、ソファーに体をしずめ、後ろからわたしを抱く高瀬を見た。
 すると、高瀬はにこりと優しい微笑みをわたしにむけてくる。
 一瞬、目を奪われてしまったような気がした。
 高瀬のその微笑みに。
「ああ、そろそろ後夜祭がはじまっている頃だな」
「そう……」
 微笑みにつられるように、わたしはぽてっと高瀬の胸にもたれかかった。
 同時に、わたしを抱く高瀬の腕に、いっそう力がこめられた。
 触れた高瀬の胸は、やっぱりあたたかくて心地いい。
 ずっとずっと、ここでこうしていたい。
 安らぐから。
 すべてがどうでもよくなってしまう。
 高瀬がいれば、それだけでもう……。
 グラウンドからは、変わらず楽しそうな音楽が聴こえてくる。
 それに心はやることも、とらわれることもわたしはない。
 だって、そんなものよりももっと、ずっと、大切なものを今手にしているから。
 それは、この時間、この空間。
 高瀬の胸の中から、そっとその顔を盗み見てみた。
 するとすぐに、高瀬はそれに気づき、にっこり優しい微笑みを落としてくる。
 そう、あり得ないくらい、優しく甘い微笑み。
 ペテンなものなど一切感じられない、信じられないペテン師の微笑み。
 だから、かもしれない。
 わたしは一瞬、その微笑みに目を奪われてしまった。
 そして、そんな一瞬のすきに、この俺様ライオンは、当たり前のようにわたしをおいしくいただいていく。
 重ねられたそこから、熱いものが伝わってくる。感じる。
 あまい、あまいひと時。
 だから、もっともっとと望んでしまう。
 もっともっと、ずっとずっとこうしていて。
 こうしてわたしを抱きしめ、重ねていて。
 他には何もいらないから。
 ――不思議。
 楽しそうなあっちより、こっちのペテン師の方がいいと思うなんて。
 どう考えても、あっちの方がいいはずなのに。
 なのに、どうして、わたしは今――。
 触れ合うそこから、高瀬の好きがいっぱい伝わってくる。
 だから、はなれられない。
 そして、楽しそうな笑い声などもう耳に入らないくらい、夜の理事長室でこうすることを選んでしまった。
 おかしい。
 これじゃあ、ずるずる高瀬にひきずられているみたい。
 でも、ひきずられてもいい。流されてもいい。
 だから、この楽しげな音楽が終わるその時まで、ずっとこうしていて。
 誰もいない夜の校舎で、二人だけの真っ暗な理事長室で。
 ぎゅっとわたしを抱きしめていて。
 触れていて……。
 やっぱりペテン師は嫌いだけれど、このぬくもりは愛しいから。
「愛しているよ、楓花……」
 耳元でそっとささやかれたその言葉に、わたしはじっとペテン師を見つめていた。
 そして、心は支配される。
 ある言葉が頭をよぎる。
 それは、今朝、教室でクラスメイトの女子からきいた、あの言葉。
 アズ ユー ライク。
 あなたのお気にめすままに。
 心はね、そう思っている。
 だけど、それは言ってあげない。
 言ってしまうと、絶対調子にのるから。このペテン師は。
 だからね、胸の内でそっと思うだけ。
 アズ ユー ライク。
 高瀬のお気にめすままに。
 お気にめすままに、たまにはわたしをあげてもいいわ。
 そうして、高校二年の文化祭が幕を閉じていく。


お気にめすままに おわり

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update:04/08/22