世界でいちばんあまいおかし

 ぱふっ……。
 そんな妙な音をたて、わたしの胸にいきなり飛び込んできたもの。
 それは――。
 ふわふわもこもこな、大きなぬいぐるみ。
 両手いっぱいに抱いても、抱きかかえられない。
 でも、だからって、このぬいぐるみ……。
 どうして、オオカミなの?
 それ以前に、このぬいぐるみの首に巻かれたリボンは何!?
 真っ赤なリボン。
 そこには、リンリリンと鳴き声を上げる小さな鈴。
 抱きしめると、とても気持ちがいい。
 そして、あまい薔薇の香り。
「赤ずきん、おおかみと七匹のこやぎ、三匹のこぶた、狼少年。他に何かあったかな……?」
 一週間くらい前から、たしか高瀬はそんなことを、妙に考え込むようにしてぶつぶつと言っていた。
 「何のこと?」と聞いてみても、高瀬はすっとぼけていた。
 しかも、明らかにそれを誤魔化すように、いきなりわたしにがおーっと襲いかかってきたし。
 まさしく、今わたしの腕の中にある、オオカミのごとく。
 ……いや、この男の場合、誤魔化すのではなくて、誤魔化すに見せかけて、絶対、本気でオオカミ化していた。
 やっぱり、ペテン師よね。
 ドスケベ教師が!
 というか、童話がどうかしたというの?
 それって、グリムだとかイソップだとかの童話よねえ?
 もしかして、この男、現代文から宗旨がえでもするの?
 まあ、だからといって、現代文の時間に、童話を教材にして授業をされても困るけれど。
 ――はっ。そ、そうだったわ。
 この男ならしかねない!
 なんと言っても、源氏物語を現代語訳したものを教材にするような教師なんだもの。
 しかもそれ、濡れ場ばかりピックアップしたものだし。
 それを喜ぶ、うちの生徒連中もどうかと思うけれど。
 本当、最低よね、この男。
 さすがは、ペテン師。
「……いやいや、だけど、不思議の国のアリスも捨てがたいよなあ……」
 訳がわからないことを、やっぱり高瀬はぶつぶつつぶやいていた。
 わたしを胸にぎゅっと抱きしめて。
 ねえ、だから、あなたは何をしたいの?
 そして、いちいちわたしを抱きしめる意味がどこに……?
 ――と、そのようなことが一週間繰り返されて、今日に至る。
「日曜日だから、一日中一緒だな。当然」
 そんな訳がわからないことをぬかし――休日でも平日でもかまわず、普段からいつもひっつきむしみたいに、人の迷惑かえりみずくっついている男の言葉とはとうてい思えないけれど――わたしは高瀬の家に拉致されてきた。
 朝目覚めると、何故だかリビングに原黒さんがいた。
 それに首をかしげていると、高瀬によって訳がわからないまま着がえさせられて、黒塗りベンツに押し込まれちゃっていた。
 くうっ。あれは、原黒さんは、陽動だったのね!
 悔しい。こんな男に、またしてもペテンにかけられたのかと思うと!
 ……そして、何故だか、今は高瀬の部屋。
 しかも、何故だか、高瀬のベッドの上。
 そこに座らされ、このリボンのオオカミをプレゼントされてしまった。
 一緒に――。
「それ、俺だと思って抱いて寝て?」
 とかふざけたことをほざいていたことは、この際、思いっきり無視しておこう。
 抱けるかっ。寝れるかっ!
 これが高瀬のかわりだというのなら、なおのことよ!
 ところで、だからどうして、プレゼントしてくるの?
 そして、プレゼントがどうして、オオカミのぬいぐるみなの?
 普通、くまとか犬とか猫とかうさぎとか、その辺りのかわいい系のぬいぐるみをプレゼントにしない?
 ……やっぱり、この男の思考、どこかずれているわ。
 この男のことだから、絶対、その辺りのツボはおさえていると思っていたのに。
 全然じゃない。
 でもまあ、このぬいぐるみも、これはこれでかわいいからいいけれど。
 オオカミなのに、目がくりんくりんしているのよね。
 まあ、抱いて一緒に寝る……ということはしなくても、部屋の隅辺りにはおいておいてやってもいいわ。
 ……妥協に妥協を重ねてね。
 うりっとオオカミのこめかみにぐりぐり攻撃を加えていると、高瀬は何故だか着ていたシャツをおもむろに脱ぎ出した。
 しかも、にっこりご機嫌笑顔を浮かべて。
 ちょ、ちょっと待て。
 待ちなさい、そこの変態インチキ教師。
 あなた、一体何をしようとしているの?
「な、何をする気!?」
 オオカミをぎゅっと抱きしめて、ぎんと高瀬ににらみを入れてやる。
 警戒心むきだしで。
 なんだかとっても、間違いなく、いやーな予感がしてきたわ……。
「え? 決まっているじゃないか。ハロウィンといえば仮装だろ? だ・か・ら……」
 だ、だから何!?
 その妙な間の取り方が、とっても危険な香りぷんぷんなのですけれど!?
 ハロウィン。たしかに、ハロウィンといえば仮装よね。
 そしてたしかに、今日はハロウィンではあるわ!
 だからといって、服をぬぐ必要がどこにあるの!?
 そして、何、その妙に嬉しそうな顔は。
 まるで、ずっと欲しかったおもちゃをようやく買ってもらえた子供のような笑顔よね、それ。
 だけど、そこには間違いなく、にたりと不気味な色もたたえられている。
 だって、違うもの。
 その体からにじみでてくる気というか、オーラが!
 赤だとか紫だとかピンクだとか……そんないかがわしい色だけを使ったマーブルのオーラよ!
 もちろん、高瀬はわたしの予想を裏切ることはない。
 悔しいことに。むかつくことに。
 普段、予想外な行動ばかりしてくれるくせに、こういう点においてだけは、本当に嫌というほど予想通りの行動をとってくれる。
 だって、この男の口から次に出てきた言葉は――。
「というわけで、狼男になってみました。楓花は、狼男……オオカミに襲われるお姫様ね」
 ……はい?
 ただいま帰りました。
 何億何千万光年という宇宙の彼方から、ようやく意識が帰還しました。
 じゃなくてっ。
 こ、この男、今、何って言った!?
 よりにもよって、言うに事を欠いて。
 だからか。今朝、いきなり「この服を着ないと、怖いよ」と、このレースだとかフリルだとかを無駄にふんだんに使った、びらびらワンピースをおしつけてきたのは。
 こんな恥ずかしい服を着られるわけないけれど、そこで高瀬に逆らったら、後でとんでもないめにあわされるとわかっているから、仕方なく着てやったけれど。
 だけど、今でもやっぱり納得がいっていないのよね。
 何しろ、この男には、前科が嫌というほどてんこもりに……。
 ――うっ。もう、思い出したくもないわね。思い出しただけで気分が……。
 それにしても、やっぱりでたか。
 さすがのわたしも、こんなにはやくでてくるとは思っていなかったけれど。
 お姫様って、お姫様って……。
 これは、男のロマンとやらの、高瀬の趣味とやらの、第二弾ですか!?
 もしかしてもしかしなくても、前回のメイド服だけでは、やっぱり満足できていなかったのね。
 どこまでも、自分の欲望に忠実な男よね。
 あ、頭痛い。
 わたしは、お姫様の仮装をさせられたというわけね?
 自分でも気づかないうちに。
 別にまあ、いいけれど。
 今さらだし。
 まあ、これくらいなら、この男がすることにしては、まだ害は少ない方だし……?
 というか、ちょっと待って。
 そうじゃないでしょう、楓花っ。
 今さりげなく思いっきり、この男、とんでもないことを言わなかった!?
 お、お姫様の前に、つけなくてもいい修飾語をつけやがったのでは!?
 そのままの思いをこめて高瀬を凝視すると、高瀬はやけに嬉しそうににやりと微笑みやがった。
 音にはなっていないけれど、小さく動いたその唇は、間違いなく……。
「いいところに気づいたね」
 そう意地悪く動いている。
 そして、当たり前のように、わたしへにじり寄って来る。
 にやりと極悪悪魔な笑みを浮かべて。
 それから、わたしの肩をがしっとつかみ、にっこりと微笑みを落としてくる。
「おかしをくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ」
 さらには妙にうかれて、うきうきるんるんと、訳がわからないそんなことをほざく。
 この展開についていけず、わたしはもちろん、ぽかんと高瀬を見つめる。
 いつの間にか、すぐ目の前まで迫ってきていた高瀬の顔を。
 当然、そんなわたしに無駄に極上の笑みを落とすのは、間違いなくこの高瀬昴弥というペテン師。
 気づけば、わたしの腕の中にいたオオカミのぬいぐるみは、高瀬によってぬきとられていた。
 そしてそのまま、うっとうしげにぽいっと床へ放り投げられる。
 リボンについた鈴が、悲しげにリンと鳴る。
 同時に、高瀬はすっぽりとわたしを抱きすくめていた。
 そのあられもない姿のままで。
 さっきシャツをぬいだ、上半身裸のままで。
 瞬間、やっぱり香ってくる高瀬の香り。
 甘い薔薇の香り。
 わたし、この香りに弱いのよね。
 この香りをかぐと、なんだか頭がぽうっとなって、妙に安らいだ気分になって……。
 ちがーう!
 そうじゃなくて、今はそんな時じゃなくて!
 こ、この男、どさくさにまぎれて何をしているのよ!
 そして、これのどこが、狼男の仮装だというのよ。
 ただたんに、服をぬいだだけじゃない!
「高瀬! あなた、何をしたいの!?」
 無意味に執拗にわたしをぎゅっと抱きしめてくる高瀬をひきはがそうともがきながら、そう聞いてみる。
 まあ、聞いてもまともな答えが返ってくるなど、もちろん思っていないけれど。
 だけど、この際、文句は言っていられない。そんなことは気にしていられない。
 だって本当に、高瀬が何をしたいのかわからないんだもの。
 常々、何を考えているのかわからない男だと思っていたけれど、今日ほどその思考がわからない日はないわ。
 だって、高瀬がしたいのは、ハロウィンで仮装でしょう?
「え? 決まっているじゃないか。ハロウィンだよ」
 わたしを抱いたまま、高瀬はきょとんと首をかしげる。
 いや、だから、それはわかっているわよ。さっきも聞いたわよ。
 そうじゃなくて、わたしが聞きたいのは――。
 いや、もういいわ。
 ごめん、わかったから。わかってしまったから。
 だから、今度は、それ以上余計なことを言わないことを、わたしは望むわ。
 今、ようやくわかりました。
 ということは、何?
 一週間前からぶつぶつつぶやいていたあれは、今日のこの日のために、どのような仮装をするか悩んでいたと、そういうこと?
 おまけに、どのようないたずらをするかも。
 もしかしなくても!
 まったく、本当にこの男は、年中無休で極楽男なのだから!
 お祭り男め!
「それで、わたしはどうして今、あなたに抱かれているの?」
 そう、今度はそっちが問題。
 なんとなーくなら、わかるような気もするけれど。
 でもまあ、一応ね。
 ……なんだかとっても、墓穴を掘りそうな気がそこはかとなくするけれど。
「それはもちろん、おかしをくれないからいたずらしているの」
 くすくすと楽しそうに笑い、高瀬はそのままちゅっとわたしのおでこにキスしてきた。
 そしてそのまま、唇にまでちゅっとしてこようとしたから……。
 死守。
 どうにかぎりぎり、右手でガード。
 だけど、そのかわりに、手のひらにキスされちゃったけれど。
 この男は、どこまでいってもちゃっかりしっかり男よね。
 もちろん、手のひらでは不服らしく、今度はむうとすねた表情を浮かべる。
 そして、ぐいっとわたしの右手をにぎる。
 ……というか、ほほーう。
 そう言うということは、ちゃーんと自覚しているわけだ!?
 普段のセクハラ行為の数々が、ちゃーんといたずら≠セと。
 自覚していて、自覚していないふりをして、それでどさくさにまぎれて――。
 ゆ、許すまじっ。
 この最低男、生きているだけで犯罪者!
 わたしの右手をにぎる高瀬の手ごと、腕をぶんぶんふりまわしながら、ぎろっとにらみつけてあげる。
 高瀬に触れられているというだけで、なんだかむしょうに腹が立ってきたわ。
「じゃあ、おかしをあげたら、このいたずらはやめるのね?」
 そう、おかしをあげたら、いたずらはしないのよね?
 だって今日は、ハロウィンだから。
 たしか、鞄の中にキャンディー――もちろん、いちご味――が入っていたはず。
 この男にはもったいないけれど、くれてやるか。
 いつまでもべたべたとくっつかれているのも、うっとうしいから。
 というか、疲れるのよね。
 いつまた、どさくさにまぎれて、この男が暴挙に出ないとも、暴走しないとも限らないから。
 それに、気をはっていなくちゃいけないから。
「そうだなあ、やめてもいいな」
 高瀬から返って来た言葉は、不思議とそんな素直なものだった。
 この男のことだから、何やかやと屁理屈を言ってくると思っていたのに。
 へえ、意外。
 もしかして、本当にハロウィンをするつもり? この男が!?
 そして、今わたしを抱きしめているのは、ただの戯れで、きっと今から狼男のきぐるみでも着るつもりなのね。
 だから、裸になったのね。
 ……え? 裸?
 すっかり失念していたけれど、そうでした。
 この男、よりにもよって、上半身裸だったのよ!
 な、何を考えているの!?
「じゃ、じゃあ、ちょっとはなしてよ。おかしをあげるから。鞄の中にキャンディーがはい――」
 あらためて高瀬が裸だということに気づき、ちょっぴり――そうよ、ほんのちょっぴりよ! 何がなんでも――頬を染めて、ふいっと顔をそらす。
 気づいちゃったら、これ以上高瀬を直視なんてできない。
 だって楓花さまは、この男と違って、純情可憐な乙女なのだから!
 こんなケモノとは、絶対に違う!
 ……そういえば、前にも高瀬の裸、見たことあったっけ?
 あれはたしか、高瀬がわたしの家におしかけてきたその日。
 お風呂上りの――。
 きゃあー!
 ばかばか、楓花の大馬鹿者!
 そんなこと、思い出すのじゃないわよ。
 よりにもよって、今こんな時に!
 いやー!
 これじゃあまるで、わたし、破廉恥娘じゃない!
 どこかの極エロインチキ教師と同じじゃない!
「はなす必要はないだろう。だって、おかしはもう俺の腕の中にあるから」
 くすくすと楽しそうに笑いながら、高瀬はそのままわたしをベッドにぽすんと押し倒す。
 そして何故だか、わたしに覆いかぶさる大きな影。
 その影には、大きな耳と大きなしっぽがある。
 さらに、そのしっぽがぱたぱたと嬉しそうに振られちゃったりなんかしている。
 まるで、オオカミ。
 ……へ?
「世界中のどこを探しても、これ以上あまくておいしいおかしはないね」
 わたしの両手をがっちりベッドにぬいつけて、そうにっこり微笑む高瀬。
 妙に嬉しそうに楽しそうに、そして悪魔ちっくに。
 瞬間、全身から血の気が引いたことは言うまでもない。
「童話にかけて仮装してみようと思ったけれど、それはありきたりのような気がしておもしろくないだろう? だから、俺の楓花への思い、そのままをかたちにしてみたんだ」
 ……待て。
 あのー、そこのすっとこどっこい極エロペテン師さん。
 おもしろくしなくていいし、そんなところで。別に。
 普通にしてください、普通に。
 ……じゃなくて。
 あなた、今、さりげなくさらっと、とんでもない発言をされたこと、お気づきですか?
 つまりは、あんたの思い……いや、欲望はそれということ!?
 オオカミ!
 や、やっぱり、この男、何がなんでもどこまでいっても、最低ドスケベ男よね。
 これはもう万死に値する!
 この最低男には、わたしの手を汚すなんてそんな贅沢なことはしてやらないと思っていたけれど、この際それも仕方あるまい。
 背に腹はかえられない。
 今この瞬間をもって、わたし自ら、あなたの息の根をとめてあげよう。
 二度と、這い上がることができないように。
 二度と、そのふざけてにやけた面を、わたしの前にだせないように。
 そう、こうして、首に手をまきつけて、そしてそこに次第に力をこめていって……。
 死にさらせ!
 怒りのすべてを込め、高瀬をにらみつけた瞬間、高瀬の思いそのままの攻撃が開始されていた。
 ベッドにぬいつけられている両手を動かすことかなわず、わたしはふわふわベッドにしずめられる。
 体全部に、高瀬のぬくもりと重さを感じる。
 とりわけ、その甘い薔薇の香りに惑わされる。
 その後、おかしをあげているのだかいたずらされているのだかわからないキス(いたずら)を、夜になるまで受けることになってしまっていた。
 気づけば。
 ――というか、やっぱりこうなるのね。
 別にもういいけれど。あきらめているから。
 だってこの男、こういう男だもの。
 どこまでいっても、何がなんでも限りなく、俺様男。
 まあ、それに、たしかに、あまいおかしであることに違いはないし?
 このおかしなら、わたしも今日一日くらいなら、一緒に食べてもいいわ。
 あたたかくて優しいオオカミの腕に抱かれて。
 ……ところで、この男、結局何をしたかったの?


世界でいちばんあまいおかし おわり

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update:04/10/31