あきらめてあげる
(1)

 高校二年生、三学期。
 ちらちらと、粉雪が舞う季節。
 服の上に落ちた雪の結晶に目をこらす。
 ひとつとして同じものがない、不思議な白く冷たいもの。
 それが、妙に心をくすぐる。
 一学期や二学期よりも授業日数が少なくて、師走よりもある意味慌しい時期。
 そんな時に、何故だかあるのが、高校生活最大のイベント、修学旅行!
 ――このたび、わたしの身にもそれが降りかかってきた。
 なんだか、とてつもなーく嫌な予感がする。
 きっと、これは杞憂なんかじゃ絶対にない。
 あいつが、あの男が一緒というだけで。
 高瀬昂弥、二十六歳。
 あの男の傍若無人ぶりは、今日も革靴を履いて闊歩している。
 まったく、本当、なんて男なのだろう、あのペテン師は!


 普通、三学期にある修学旅行といえば、スキー合宿とかそういうのが定番じゃない?
 だけど、うちは違う。
 それでも、私立だからといって、そんなに贅沢はできないようで、海外へ行くということはないけれど。
 この寒い中、どこへ行くのかというと……。
 それは、底冷え厳しい京都。
 京都を中心に、奈良、大阪、神戸をまわるらしい。
 六泊七日かけて。
 その日数もさることながら、根本的に何かが間違っていると思う。絶対。
 スキーじゃないなら北海道ということはないにしても、南下するならそんな中途半端なところじゃなくて、もっと思い切って沖縄とかにならないものかなあ?
 まあ、真冬の沖縄に行っても、あまり面白そうではないけれど。
 それにしても、あの高瀬がいながら京都だなんて……。
 高瀬が好きそうなことなんて、あるようには思えないのだけれど?
 あの派手好き男のことだから、「今時、国内なんてナンセンス。修学旅行といえど海外だろう、やっぱり」とか何とか屁理屈をこねそうなのに。
 あの男だったら、自分がいちばんに楽しめないのなら、何がなんでも力ずくでも、いや、ペテンの技をもって阻止すると思ったのだけれど。
 どうもそういうそぶりはまったくない。
 一体、今度は何をたくらんでいるの?


「んー、絶好の旅行日和!」
 修学旅行出発日、早朝。
 今わたしの目の前には、にっこにっこと、この世の終わりかと思えるほどの微笑みをたたえる高瀬がいる。
 窓越しの太陽の光を体いっぱいで吸収するように、んーと伸びをしている。
 妙にきらきらオーラを発しているこの男は、一体……。
 嗚呼。もう、やめて、本当。
 どうして、キャピキャピ娘さんや健全なのだか不健全なのだかわからない男子生徒さんたちよりも、この男がうかれているの?
 というか、あなた担任でしょう。教師でしょう。
 だったら、率先して団体行動を乱すのじゃない。
 ほら、向こうの方で、学年主任の先生が、ぎゃあぎゃあと何かをわめいているじゃない。
 ……あの先生も、命知らずな。
 と思ったことは、あえては言わないけれど。
 高瀬に意見しようなんて、本当、極悪悪魔を敵にまわすようなもの。
 意外にも整列した生徒たちの前に、引率の先生たちが立ち、何やかやと今さらと思えるこの旅行の説明をしている。
 妙にうかれ模様の生徒たちなんてそっちのけで。
 事務的といった感じ。
 いかにもうちの学校の教師っぽくて笑えてきちゃう。
 それから、それ以上にうかれて、それらすべてをそっちのけにしているのがこの男、高瀬昂弥、二十六歳。インチキ国語教師。……ペテン師。
 わたしの肩をぐいっと抱き、青空へ向かって、この日の感謝を捧げている。きっとお空の上の神様にでも。
 この男には、最も似合わないその尊い存在へ。
 ……まったく、ふざけるのもたいがいにしなさいよ。
「高瀬、いいから戻る! 自分勝手な行動ばかりしていたら、旅行がスムーズに進まないでしょう!」
 今もって嬉しそうにわたしの肩を抱き続ける高瀬の左耳を、ぐいっと引っ張ってやる。
 そして、ぎゃあぎゃあわめく学年主任の先生のもとへ、高瀬を連行。
 妙に素直にあっさり連行されてくれるから、それが不思議には思うけれど、この際そんなものは無視。
 どうしてわたしが、こんな面倒なことをしなくちゃならないのよ、まったく……。
 まあ、いくら学年主任だからといっても、そうそう高瀬に意見なんてできないのだろうけれど。
 ほら、見てよ。
 この学年主任の先生のほっとした顔。
 ゴーイングマイウェイな高瀬を連行してきてくれて、心から安堵しているといった感じ。
 ――ねえ、先生。
 それもどうかと思うわよ?
 仮にも生徒に、首に縄をつけて教師を連行させるなんて……。
 まあ、この男には、どんなに頑丈な鎖の首輪やリードをつけても、無意味だとは思うけれど。
 だってこの男、犬じゃなくて、猫だし。
 ううん、それ以前に、この男のインチキペテンぷりをもってすれば、不可能なことなんてないもの。
「……先生、それよりも大丈夫ですか? ……時間」
 ようやく高瀬を連行でき、ほっとしたのもつかの間。
 自分のクラスの列に戻りながら、わたしはちらっと学年主任の先生を見る。
 それと一緒に、そうつぶやいていた。
 瞬間、学年主任の先生の顔から、色がさあっとひいていく。
 同時に、その他もろもろの同行の先生たちの顔からも。
 先生たちだけでなく、わたしのまわりにいて、恐らくはわたしのつぶやきを耳にしたであろう、うかれ模様の生徒たちの顔からも。
「ぎゃあ! 新幹線の時間まで、あと五分しかない!」
 そんな叫びがとどろくやいなや、その場はてんやわんやの大騒ぎになったことは言うまでもない。
 新幹線の待合室。
 まったくもって、いい迷惑。
 ――嗚呼、はじまりからこれって……。
 先行きが、限りなく不安。
 この修学旅行、果たして無事にすむのかな?
 ……否。
 絶対に、無事にすむはずがない。
 この男がいる限り。
 この男一人のためだけに。


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update:05/01/23