あきらめてあげる
(6)

 気づけば、きゅっと唇をかみしめているわたしがいる。
 それも、なんかむかつく。
 あの男、一体何を考えているのよ。
 花見小路って、花見小路って……。
 そこって、あれでしょう!?
 舞妓さんや芸妓さんの町!
 あの男、なんなのよ!
「高瀬ー!」
 そう思ったと同時、わたしは群がる娘さんたちを蹴散らし、叫びながら高瀬に突進していた。
 すると、それに気づいたのか、高瀬はぴたっと足をとめ、驚いたようにこちらを見つめている。
 高瀬に迫り行く、わたしを。
 そして、まもなく、どしんという音を立て、わたしは高瀬に体当たりしていた。
 なんだかやっぱり腹が立つ。むしょうに。
 どうしてわたしが、こんなに嫌な気分にならなきゃならないのよ。
 本当、なんて男なのよ、このペテン師は。
「楓花!」
 体当たりしたわたしを、高瀬はすかさずぎゅっと抱きしめる。
 そして、嬉しそうに、幸せそうに、優しい微笑みをわたしに落としてくる。
 あまつさえ、その顔をわたしへ近づけてきて……。
 あわやキス。
 まったく、信じられない、この男。 
 どうにかそれだけは、ぺしんと高瀬の顔を平手打ちして阻止したけれど。
 こんな公衆の面前で、よくそんなことを平気でできるわね!
 ほら、見なさいよ。すぐ後ろでは、後を追ってきたであろう娘さんたちが、目をきらきら輝かせ、わたしたちの動向を見ているじゃない。
 まったく……。どいつもこいつも。
 ……というか、この手、はなせ。
「どうした? 楓花。楓花から抱きついてくるなんて」
 抱きついていってない。断じてない。そんなことは。
 怒りのために高瀬に突進し、体当たりしたことは、仕方がないから否定しないけれど、だけど抱きついてなんか、絶対にない。
「でもまあ、いいか、たまにはこういうのも。それに、すごく嬉しい」
 耳元で甘くそうささやき、高瀬はもっともっと強く、わたしを抱きしめる。
 人目なんて気にせず。はばからず。
 その声も、視線も、優しさも、わたしだけに向けている。向けられている。
 まわりのことなんてかまわずに。
 今はそれしかないように。
 この世に、今は、今だけは、たった二人。
 二人だけの世界。
 何も聞こえないし、何も見えない。
 互いの声しか、互いの姿しか。
 そのように、高瀬はわたしだけを見つめて、抱きしめている。
 顔を高瀬の胸に強く押しつけられ、わたしは安心したような気分になっていた。
 今までのいらいらもむかむかも、きれいになくなったみたいに。
 たったこれだけなのに……。
 こんなインチキペテン師に抱きしめられているだけなのに。
 どうして?
 そして、高瀬から香ってくる、いつもの薔薇の甘い香りの他に、不思議な香り。
 ……え? 他の香り?
「高瀬、この香り……」
 その香りを感じた瞬間、また心が寒くなった。
 怖くなった。
 それはもしかして……移り香?
 誰の?
「え? ああ、忘れていた」
 高瀬はわたしの気持ちなんておかまいなしに、けろっとそう言う。
 そして、少しだけわたしを抱きしめる腕の力を抜き、胸元から小さな袋をすっと取り出した。
 ちりめんでできた、かわいらしい袋。二つ。
 ううん、袋というよりは、猫のマスコットみたい。
 赤と青の、ペアのちりめんの猫。
 さっき感じた不思議な香りは、そこからしていた。
「ほら、匂い袋。そこの店で、楓花にと思って買ってきた」
 そう言いながら、高瀬はわたしの手に、その匂い袋をきゅっと握らせる。
 わたしの右手には、小さくてかわいい猫が二匹。
 それぞれ、違う香りを放っている。
 この香りは、菊花と梅花?
 ……え? これって……?
「本当は、指輪とかネックレスとか……そういうものをあげたかったけれど、たまにはこういうものもいいかと思ってな。せっかく京都に来たのだし」
 ふふっとどこか得意げな笑みをもらし、高瀬はその大きな手でふわりとわたしの頬を包みこむ。
 ぽかんと高瀬を見つめるわたしの頬を。
 だって、匂い袋って……。
「もしかして……?」
 手渡された匂い袋をきゅっと握りしめ、高瀬を見つめる。
 少し首をかしげ、問いかけるように。
 心が、ほんわかとぬくもりを感じる。
 すると高瀬は、やっぱりにやりと俺様な笑みをもらした。
「ああ、これを楓花にあげたくてな。もう目的は達成できたから、さあ、これからは二人だけで、たっぷりまったり京都観光しような」
 瞬間、両肩に一〇〇トン級の錘がのったような重圧を感じた。
 がくんと肩を落とす。
 あまりにも高瀬らしいその言葉に。
 一瞬にして、これまでのちょっぴり感動かもしれない、な気分が消えうせたわ。
 つまりは、そういうこと?
 高瀬が、何故だかわたしを独り占めせずに、娘さんたちに甘んじて差し出していたのは、これを買うため?
 そして、その目的は果たしたから、もう娘さんたちに貸してやる気はない。
 わたしをまた高瀬だけのもの、一人占めにする?
 すなわち、この娘さんたちは、わたしを一人ぼっちにしないために利用しただけ?
 ……ばか。
 高瀬の、大馬鹿者。
 わたしは、知らず知らず、自分から高瀬の胸に顔をうずめていた。
 心がぽかぽかの陽だまりのよう。
 こんなに寒い冬なのに。
 そうして、高瀬は呆然とそこに立ちつくす娘さんたちと浦堂をあっさり無視し、さらっと見捨て、当たり前のようにわたしをさらっていく。
 真冬の京都。
 寒いはずなのに、吐く息はこんなに白いのに、何故だか寒さは感じない。
 不思議にあたたかい。
 高瀬が横にいるだけで。それだけで。
 京都で、たからものがひとつ増えた。
 この匂い袋は、気づかれたら恥ずかしいから、指輪と一緒に持ち歩かずに、部屋の机の引き出しの奥に、そっとしまっておくことにする。


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update:05/02/27