あきらめてあげる
(7)

 夕方、集合時間より十五分遅れて集合場所へ行くと、そこでは、ひくひくと頬をひきつらせる先生たちと、にやにやと楽しそうにわたしたちの帰りを待つ生徒のみなさんがいた。
 さすがに、この遅刻には、学年主任の先生も一言物申さずにはいられなかったらしく、「高瀬先生、時間は守ってもらわなければ困ります。あなたはそれでも、今は一応教師なのですから」と、そう皮肉を言ってきた。
 高瀬の顔色が変わると、びくんと体をふるわせ、すごすごと逃げていたけれど。
 やっぱり情けない、この学校の教職員陣。
 それにしても、本当にそうよねー。
 時間は守らないと。団体行動を率先して乱しちゃ駄目よねー。仮にも、何を間違ったか、教師が。
 「嫌だ、まだ楓花と二人きりでいたい」とだだをこねる高瀬を、どうにか引っ張ってこられたけれど、結局、それでも十五分も遅刻しちゃったわけか。
 不覚。この楓花さまとあろうものが、猫一匹飼いならせないなんて。
 さらっと学年主任を追い払った後、高瀬は嬉しそうにわたしにごろごろ猫さんをしているし。
 嗚呼、もうっ。
 高瀬を引っ張り、どうにかバスへ乗り込む。
 このまま放っておいたら、二人、おいてけぼりにされそうだから。
 そうなれば、この男は、とてつもなく喜ぶだろうけれど。
「情緒あふれる京都で、楓花と二人きり」
 とか何とか言って。
 まったく、本当、その言動を想像するだけで、頭が痛くなる。
 わたしたちは、ゆらゆらバスにゆられ、これから、今夜のお宿、奈良市内のホテルへ向かう。
 遅れてバスに乗り込むと、そこでは、目をすわらせ、高瀬にするどい視線をなげつける浦堂がいた。
 運転席のすぐ後ろ、いちばん前の席にどんと陣取り。
 わたしと高瀬は、通路をはさんでその横に腰かける。
 本来なら、生徒はこの席に座るものじゃないけれど。
 それは、この男、高瀬にしたらどうでもいいことらしい。
 とにかく、わたしを横に座らせないと気がすまないらしい。
 もちろんわたしは、窓際の席においやられている。
 その横に、高瀬。そしてそのまた横に浦堂。
 我がクラスのバスは、奈良市内に入るまで、嬉々として、いちばん前の席に注目していた。
 バスガイドのお姉さんを、気の毒に思えるくらいさらりと無視して。


 今夜のお宿は、昨日と違ってホテルだから二人部屋。
 「怪談は明日」とか言っていたけれど、こんな状況じゃできるはずもなく、翌日に繰り越されることになった。
 一日中京都市内を歩きまわっていたから、さすがにみんなも疲れたようで、ホテルにつき、夕食をすませた後、それぞれの部屋へ入っていった。
 不思議。この妙にあっさりしたみんなの態度。
 一体、どれだけはしゃぎまわっていたの?
「楓花ちゃん……? どこへ行くの……?」
 ベッドの中でむくりと起き上がり、眠たそうに目をこすり、同室の娘さんがそう聞いてくる。
 わたしは今、ベッドを抜け出し、ドアノブに手をかけようとしていた。
「え……? あ……うん。ちょっと眠れなくて……」
「ふーん。気をつけてね」
 しどろもどろにそう答えると、特には興味さなそうにそうつぶやき、娘さんは再びベッドに身を沈めていった。
 やっぱり、今日は相当疲れたらしい。
 こんなにあっさりひいてしまうとは。
 だって、ねえ?
 昼間、わたしを拉致ったその報復が、今宵の夕餉の席で見事繰り広げられていたから。
 クラスの女子のみなさんは、それはそれはもう……。
 浦堂に至っては、言葉にできないほどの報復を……。
 そして当然、昼間浦堂とツーショットで撮ったあの写真の使い捨てカメラは、高瀬に没収され、再起不能となっていた。
 「俺だってまだ楓花と二人で撮ったことないのに……」とかぶつぶつ言いながら、自分のデジタルカメラで、これでもかというほど、わたしとの写真を撮ってもいた。
 というか、高瀬。
 どうして、浦堂との写真のことがわかったのよ?
 誰もそれについて口に出そうとはしていなかったのに。
 ばれたが最後、こうなることくらい百も承知だから。
 ……やっぱり、この男、どこまでも訳のわからない男。
 というか、何者!?
 エスパー? 魔法使い?
 同室の娘さんの眠りゆく姿を見て、わたしはそっと部屋を抜け出す。


 各階のエレベーターホールには、少し休憩できるような喫煙スペースが設けられていて、わたしはそこにあるソファーにぼすんと身を沈めた。
 眠れない……。
 それも、あながち嘘じゃない。
 本当は、昨日も眠れなかった。
 だって、あれがないもの。
 いつも感じて眠るぬくもり。
 一体、いつの間に、あのぬくもりがないと眠れなくなっていたのか……。
 そう思うと、この上なく癪だけれど。
 だけど、あのぬくもりと香りを感じてじゃないと、もう眠れない。
 ぐっすりとは。
 それが、今のわたしの本当。
 あーあ。
 まさか、修学旅行にこんな落とし穴があるなんて思わなかった。
 どうして、高瀬と一緒じゃないと眠れないのよ。
 本当、腹立たしい!
 薄明かりのエレベーターホールで、はあと大きなため息をもらす。
 すると、瞬間、ふっと辺りが暗くなった。
 それを不思議に思い顔を上げると、そこには、わたしの睡眠薬ならぬ、高瀬がそこにいた。
「え……?」
「どうした? 眠れないのか?」
 少し困ったように肩をすくめながら、高瀬は優しくわたしを見つめてくる。
 そして、ぽすっとわたしのすぐ横に腰を下ろした。
 一瞬にして、空気がかわったような気がした。
 心地よい空気が、この場を包み込む。
 薄明かりの中見る高瀬は、妙に艶かしく見える。
 わたしは、そんな高瀬に、思わず見とれていたかもしれない。
 すると高瀬は、あまい香りを放ちながら、きゅっとわたしを抱き寄せ、顔をのぞきこんできた。
 「それで、どうなんだ?」と、まるでせめるように見つめる。
 悔しいけれど、答えないわけにいかなかった。
 渋々、こくんとうなずく。
 そうすると高瀬は、ふわりとどこか艶かしく微笑み、わたしの唇をかすめとっていった。
 それから、長く長く続く、キス。
 くせになるキス――。
 こんなところでこんなことをしていちゃいけないとわかっているけれど、もう抵抗なんてできない。
 流されるように、高瀬の胸の中にわたしのすべてをゆだねる。


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update:05/03/06