悠久の風に吹かれて
(二)

「ついてこないでちょうだい!」
 朱雀大路を北へ向かう途中のその道で、ばっと振り返り、怒鳴り散らされました。
 すると、まわりを歩いていた行商の女や、荷車を引く男などがそれを耳にし、誰ひとりもれることなく、ぎょっと目を見開きました。
 見れば、ただの市井の娘が、どこからどうみてもやんごとない身分の公達にそのような暴言をはき、さらには喧嘩を売ろうとしているのですから、驚かないわけがありません。
「そうは言っても、やはり心配でしょう? あなたの帰宅を見届けるまでは」
 公達はまったく動じず、にこりと微笑みます。
 香姫さまはそれをご覧になり、うんざり顔で大きなため息をつかれました。
 この公達、相当肝がすわっているのではないでしょうか。
 ……いいえ、ただの変わり者なのかもしれません。
 普通ならば、下賎な者にこのような仕打ちを受けて、怒らない公達など、貴族など、存在しないでしょうから。
 しかし、この公達は違っていました。むしろ、香姫さまが嫌がるとわかっていて、しつこくこのようなことを言うのです。
 あまつさえ、それを楽しむような余裕すら感じさせています。
 ――真に、身分高き者とは、もしかしてこういうものなのでしょうか?
 この公達を見ていると、そうとも思えてきてなりません。
 姫さまは、「これは、とことんついてくる腹積もりね。厄介な男に関わってしまったものだわ」と言わんばかりに、思い切り嫌そうなお顔で、じっと公達をにらみつけられます。
 事実、香姫さまは困っておられました。
 家出をされてきたのですから、当然お邸へ帰ることはできません。
 だからといって、香姫さまに市井の知り合いがいるはずもありません。どこへも行くところがありません。
 にもかかわらず、どこか人の家へ行き着き、その中へと入っていくまで、この公達はいつまでもいつまでもついてまわるでしょう……。
「心配していただかなくて結構よ。もう本当、放っておいてくださらないかしら!?」
 うんざり顔で、だけど、きっと公達をにらみつけられます。
 しかし、公達も、それで引き下がるはずがありません。
 ひょうひょうと言ってのけます。
「それは無理だよ。やはり、男としては、女性の安全を守らなければね」
「あなた! よくそのような台詞が言――」
えてね!!……と、香姫さまは最後までおっしゃることができませんでした。
 「えてね!!」のかわりに、香姫さまのお口から出た言葉は……。
「きゃ……っ!!」
 そのようなものでございました。
 そして、そのお体はぐらりと揺れ、あろうことか、公達の方へと倒れこむ勢いでございます。
 それを、すかさず公達は支え、香姫さまを抱きとめます。
「まったく……。なんという奴らだ。このような往来で……」
 朱雀門(すざくもん)へと続くその道で、朱雀門の方向をにらみつけ、公達ははき捨てました。
「本当、なんという奴らなの。人にぶつかっておいて……」
 香姫さまは公達に同意しつつも、汚らわしそうに公達からすっと離れられます。
 まったく、助けてもらっておいてこの態度です。
 しかし、公達はまったく気にしていない様子です。
 香姫さまも香姫さまですが、公達も公達です。
 どうやらこのおニ人、普通の神経やら思考は持ち合わせておられないように思えてなりません。
 香姫さまと公達の言葉を整理いたしますと、先ほどの言葉を発し終わる寸前、香姫さまは、南よりすごい勢いで走ってきた童に、すれ違い様ぶつかられてしまったのです。
 それはまだよかったのです。それくらいでは、さすがの香姫さまも、体勢を崩されこけそうになる……というまでは至りません。
 しかし、そのぐらりときたところへ、先ほどの童の後ろから、今度は雑色姿の男が、童同様、ものすごい勢いで走ってきて、またしても香姫さまにぶつかってしまったのです。
 さすがの香姫さまも、今度ばかりは、大人の男性にぶつかられては、もうどうにもなりません。
 よろめき、そのまま公達の方へと倒れこみます。
 そして、少し前に至る……ということです。
「だから言ったでしょう? お家まで……」
「もう! だから言っているでしょう! いらないって!!」
 そうおっしゃられたすぐ後に、香姫さまは、ふとご自分の足元に目をやられました。
 公達から退くようにじりじりと後退していかれ、そして足元に何かかさっという感触を覚えられたからです。
 足元に目をやると、そこには、真っ白い御料紙の文のようなものが落ちていました。
 それを拾い上げられます。
「ねえ、これ……」
 そして、何を思ったか、公達へついとその文をつきつけられました。
 公達はためらいなくその文を受け取り、しげしげと見まわします。
「ああ、誰かが落としたのかもしれないね。――開いてみよう。もしかしたら、誰のものかわかるかもしれないよ」
「でも、いいのかしら? 他人のお文を勝手に見るなんて……。もしかしたら、恋文かもしれないじゃない?」
 楽しそうに香姫さまがそうおっしゃると、公達は「ありえない」と即座につぶやきました。
「恋文なら、もっと色気のある御料紙に、花の一つも添えようものだろう?」
 そう返されてしまい、香姫さまは、悔しそうに公達をにらみつけられます。
 まさしくその通りなので、悔しかったのでございましょう。
 恋文にしては、色気がなさすぎです。
「わかっているわよ、それくらい。ただ言ってみただけじゃない!」
 そうおっしゃり、公達からがばっと文を奪い返し、がさがさと乱暴に開いてしまわれました。
 そして、びらっと中に入っていた文を開き、目を通されます。
 五秒ほどすぎた頃でしょうか。香姫さまのお顔から、さあっと色が引いていきました。
 それを見た公達は、ふと何かに気づき、すかさず香姫さまから文を取り上げます。
「かして……!!」
 香姫さまは、「あ……」と小さく声をもらされると、抵抗する素振りなく、文に目を通す公達を、じっと見つめられます。
 それは、公達の顔色をうかがっているようにも見えました。
 先ほどの香姫さまほどではございませんが、公達も顔をゆがめました。
「これは……」
 それから、声を殺してつぶやきます。
「ねえ、どういうことかしら? と――」
 香姫さまが首をかしげそこまで言いかけると、公達は慌てて香姫さまの口をふさぎ、きょろきょろと辺りを見まわします。
 そして、ぼそっと香姫さまに耳打ちました。
「詳しい話は、他に人がいないところでしよう」
 香姫さまは、そう言った、ご自分の顔の近くにある公達の顔を、真剣な面持ちで、そして色を失った状態でじっと見つめ、こくんとうなずかれました。
 異を唱える理由など、存在しなかったのでしょう。


 香姫さま方は、先ほどの朱雀大路から少しはなれた、神泉苑(しんせんえん)までやって来ておられました。
 ここは、数年前、帝のご配慮から、広く一般に解放された禁苑でございます。
 だからといって、ここは広大な敷地ですので、そう簡単に人と会うこともあまりありません。
 よって、おニ人はこちらを選ばれました。
 神泉苑の池のほとりに、香姫さま方はいらっしゃいます。
 香姫さまは、公達の直衣(のうし)の袖をむんずとつかみ、噛みつくように見つめておられます。
「ねえ、一体どういうことなのよ! 東宮さまのお命を狙うだなんて……!!」
 熱い香姫さまとは反し、公達は険しい顔つきで、冷静に答えます。
「どういうこともなく、そのままでしょう? 不逞の輩が、東宮のお命を狙っているのですよ。……まあ、この文面からいくと、大方はしぼれてくるけれどね……」
「しぼれて……?」
 香姫さまは、怪訝な顔をされました。
 しぼれてくる……というその言葉が、信じられないようでございます。
「そうですよ。どうやらこれは、東宮妃入内に絡んだ話のようですからね」
 ふうっとため息をつき、公達はばかばかしそうな表情をしました。
 どうやら、先ほどの文には、公達の言葉を借りると、東宮妃入内に関して何らかの問題が発生し、それに絡み、東宮はお命を狙われている……ということになるのでしょうか。
 まったく、とんでもないことを企む輩がいるものです。
 事実、公達は、この東宮暗殺計画が、ばかばかしく思えてならなかったのでしょう。
 東宮暗殺など、そうむやみやたらにできるものではありません。
 そして、成功の確率もそう高くはないはずです。
 謀反を試み失敗し、失脚するのが関の山でしょう。
「そんなに冷静にしていていいの!?」
「――慌てても仕方がないでしょう? それにこの文は、恐らく、先ほどの童か雑色のどちらかが、あなたとぶつかった時に落としたものでしょうね。それまでこの文に気づかなかったということは。……まあ、九割方、雑色で間違いないでしょうけれど」
「それはわかったわ。だけど、そうじゃないでしょう? どうするの? やっぱり、東宮さまにお知らせしなければいけないわよね?」
「知らせる……といっても、そう簡単に東宮に会えるはずがないでしょう? まして、あなたのような身分では、一生かけても無理です」
「な……っ!!」
 公達にそのような言葉を投げられ、香姫さまはむっとされます
 今の香姫さまのお姿では、そう言われても仕方がございません。
 それにしても……これは、何か因縁じみたものを感じずにはいられません。
 よりにもよって、東宮暗殺のその計画を最初に知ったのが、香姫さまなどとは。
 香姫さまが今まさに、そのようなことに関わろうとされているなどとは……。
 何かこう、切っても切れない仲……というようなものを感じてしまいます。
「――というかむしろ、このように楽しそうなことを、他人にさせる手はないでしょう?」
 公達は、いきなりそのような訳のわからないことを言って、にやっと笑いました。
 その姿を、香姫さまは目を見開いて見つめられます。
 そして、しばらくの後、香姫さままでも、何を思われたか、にやっと笑われてしまいました。
「……そうね……」
 嗚呼……。この後の展開が、もう分かりきっていて恐ろしいです。
 この普通ではないおてんば姫の香姫さまのことです。絶対によからぬことを企んでおられます。
 そして、この公達。やはり、この公達もただ者ではありません。
 東宮暗殺を楽しそうなこととさらりと言ってしまい、こちらも何やらよからぬことを企んでいるふうなのですから……。
 嗚呼、嵐の予感――
「……首謀者を……とっつかまえてやろうという魂胆ね?」
 香姫さまは、試すように公達を見られます。
 すると公達は、「わかっているじゃないですか!」とで言うように、にやりと笑います。
 やはり、こうなってしまったのですね……。
 恐れていたことが、とうとう現実に。
 前言撤回です。馬が合わないどころか、馬が合いすぎて、馴染まなかったのでしょう。
 そして今、お互いに考えていることが一致してしまいました。
 そうなると、あとはもう、このおニ人のご関係、上昇の一途でございます。
「あなた、なかなかおもしろいじゃない? お名前は何というのかしら?」
 香姫さまは、公達にそうおっしゃられ、名前を尋ねられます。
 香姫さまからお名前を尋ねられる……ということは、この公達を認められたということでございましょう。
 公達は、どこか気品漂う笑顔で答えます。
「名は……陽楊(ひよう)と呼ばれている。君は?」
「わたしは香子(こうこ)よ」
 そう答えられた香姫さまにはもう、先ほどまでの、この陽楊と名乗る公達をうっとうしがっておられた様子はまったくございませんでした。
 お二人の間には、楽しいおもちゃを見つけ、それで一緒に遊ぶ……童と女童のような、そのような無邪気……とは言いがたいですが、何やらやけに得意げで楽しそうな空気が漂っておりました。
 やはりこのおニ人、似たもの同士のようでございます。


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update:03/06/09