悠久の風に吹かれて
(七)

「破天荒で、破綻?」
 三人のあまりものその迫力に、さすがの香姫さまもおされ気味です。
「ええ、それはもう……。さすがは、あの兵部卿宮とおいとこ同士。そして、親友ですわ! この間なんて、ご機嫌うかがいへきた大納言を、一刀両断にしてしまわれたのですよ!?」
「大納言を、一刀両断?」
 香姫さまは、なんだか聞けば聞くほど、東宮という方がわからなくなってきてしまったようでございます。
 大納言といえば、都でも切れ者と有名な殿上人。
 しかしまあ、それでも一癖も二癖もある方のようで、その二枚舌ぶりは天下一品だそうでございます。
 そのような大納言を、一刀両断……?
 実は、この大納言。陽楊さまと葵瑛さまによると、東宮に自分の娘を東宮妃にしてくれと、しつこく詰め寄ってくる輩の一人のようでございます。
 ……となると、今までの女房たちの話から、どうやら娘の入内をしつこく迫るあまり、東宮のお怒りをかってしまった……と考えるのが筋でしょうか。
 それにしても、この東宮。いい人なのか、はたまた葵瑛さま同様、困ったちゃんなのか……?
 果たして、どちらの評価が正しいのでございましょう?
 ……まあしかし、宮中一の困ったちゃんと言われている葵瑛さまの親友というのですから……東宮もまた、ただものでないことだけは確かなようでございます。
「そして何よりも、東宮がそのように姫君さま方をふって、生涯の(ひと)とお決めになられたとかいうその稀有で幸運な姫君が、あの左大臣さまの姫君、香姫さまというから、もう信じられないやら、腹立たしいやら……!!」
 嗚呼……。やはりと申しますか、とうとうと申しますか、香姫さまの話題へと移りつつあるようでございます。
 香姫さまもご自分の話になると、どう反応すればよいのかわからないので、かなり焦っておられるようです。
 下手に反応してしまうと、ご自分が香姫さまその人だとばれてしまうかもしれませんから……。
 その事態だけは、絶対にさけなければなりません。
「よりにもよって、今をときめく左大臣さまの姫君というとても尊いお立場に生まれながら、その御名を汚すような行いばかりなさるあの姫君でしょう? もう本当、衝撃的すぎますわ!」
「それに……やはり、東宮のご趣味はどこかおかしいということが、これではっきりと証明されましたものねえ……」
 憤慨する雅の横で、哀愁を漂わせ、困ったように栞がため息をつきました。
 それにしても、まったくひどい言われようでございます。香姫さま……。
 まあしかし、あながちはずれてもおりませんので、何とも言えませんが……。
 香姫さまほど破格な姫君は、この京広しといえど、そうなかなかいらっしゃらないことでしょう……。
 いいえ。香姫さまたったお一人だけでしょう。他にいらしてたまるものですか。
「そういえば、お邸の床下にもぐりこみ、そこで野良猫と格闘したとか、お庭の池の鯉をつかみどりしたとか……。あとは、厳重な警備を掻い潜り侵入してきた盗賊を、投げ飛ばしてお縄にしたとか……。とにかくもう、姫君らしからぬ噂しか聞きませんわよね? いいえ。本当に女性なのかしら? 左の大臣の香姫さまは」
 志木が追い討ちをかけるように、そう具体例をあげてきました。
 それにしても、その噂、宮中へとどくまでに、だいぶ誇張されてしまっているようですね。
 たしかに香姫さまは、床下へもぐりこもうとはされました。
 しかしそれは、運悪く?女房に見つかり、寸前でとめられてしまったのです。
 また、そのもぐりこもうとした理由は、床下で子猫の鳴く声がするので気になり、様子を見に行こうと思ったからだそうです。
 それを聞いた女房が下男を呼び、床下を調べさせたところ、そこには迷子の子猫が一匹いて、その後助け出されたそうです。
 そして、あわれに思われた香姫さまによって、今では愛玩動物として飼われて、幸せそうに暮らしているとか……。
 そして、お庭の鯉についてもそうです。
 まあ……こちらはあながちはずれてはいないのですが、暇をもてあました香姫さまが、釣り殿から釣りをされたという程度です。
 しかし、その池にいた鯉が問題だったのです。
 その池に放たれていた鯉は、恐れ多くも、帝から賜った鯉だったのです。
 ですから、左大臣邸では大騒ぎになった……ということでございます。
 そして盗賊……。これはまったくの誤解でございます。
 侵入しようとした盗賊を、夜にもかかわらず、たまたまお庭を散歩されていた香姫さまが見つけ、大声を上げたところ、慌てた盗賊が塀から落ち、腰を打ちつけ動けなくなったところを、そのまま左大臣邸付きの武士団に御用になった……というだけのことでございます。
 それにしても、もともとよい噂のない香姫さまでございますから、ちょっとしたことでもすぐに噂になり、それに尾ひれがつき、宮中へとどく頃には、とんでもないことになってしまっていたようでございますね。
 ――そう思うと、やはり東宮のご趣味が、とてつもなくおかしく思えてきます。
 何しろ、そのようなはちゃめちゃな香姫さまを、ご自分のお妃に……と望まれているということなのですから……。
 一体、東宮とは、どのようなお方なのでしょうか……?
 そして、香姫さまを再起不能にさせるかのように、志木がこのようなことを言いました。
「ですから、世の権力者たちは、嘆いておいでのようですわよ? ご自分の娘が東宮妃になれないことは、あの東宮だから諦めもつく。しかし、よりにもよって、あの有名な香姫さまが東宮妃に選ばれてしまうなど、どうにも腹が立つ。あのような姫君に自分の娘は劣るのかと思うと、憎しみすらわいてくると、あちらこちらで不平不満が出ているそうですわよ?」
 香姫さまはご自分についての噂話を聞き、それがあまりにもひどい言われようでしたので、どっと疲れてしまわれたようでございます。
 まさかあれらが、そのような大きな話になっていようとは……と、驚かれてもおられます。
 そして、返す言葉もなく、ただその震えるこぶしを、必死におさえておられます。
「本当、とんでもない姫君だと思いませんこと? 香さん」
 よりにもよって香姫さまご本人に、そのような同意を求める言葉が投げかけられました。
 さすがに香姫さまも、これにはどう答えればよいかわからず、思案されはじめた頃でございました。
 耳をつんざく悲鳴が、東宮御所中に響き渡りました。
 今の今まで、東宮と香姫さまの噂話にはなをさかせていた栞たち女房たちも、それにはびくっと驚き、何事かと顔を見合わせています。
 そのような中、香姫さまだけがすっくと立ち上がり、すたすたと庇を出て、悲鳴がしたであろうもとへと歩いて行かれようとしています。
「か、香さん!? どちらへ行かれますの!?」
 慌てて雅が香姫さまに声をかけます。
 すると、香姫さまは振り返ろうともされずに進行方向を向いたまま、多少乱暴にお答えになりました。
「確認するのよ! この悲鳴の原因を……!!」
「香さん!? 本気ですの!? ここでおとなしく……」
 さらにそのようなことを言おうとしましたが、その時にはすでに、香姫さまのお姿は遥か彼方の簀子の上にございました。
「香さんてば……!」
 その素早い行動に、栞も雅も志木もあっけにとられてしまっているようです。


 先ほどの悲鳴がした場所は、どうやら、東宮の御寝所に使われている庇のようでございます。
 悲鳴のした方向へ歩き出した香姫さまは、すぐに床にしりもちをつき、ぶるぶると震える女房を見つけられました。
 そこで、恐らくその女房が悲鳴を上げたのだなと推察され、立ち止まられました。
 すると案の定、悲鳴を上げた人物はその女房で、香姫さまのお姿を発見すると、すがるように、しりもちをついたままの体勢で、にじり寄って来ました。
「あなた、どうなさったの?」
 香姫さまがそう問いかけられます。
 すると女房は、蒼白なその顔で、途切れ途切れに言葉をもらします。
「こ、これが……。今、東宮の……御……寝所にきてみれば……」
 震える手で、螺鈿の文箱を香姫さまに差し出します。
 香姫さまはその文箱を受け取ると、ぽつりとこぼされました。
「これ……は……!?」
 なんと香姫さまが受け取られたその文箱は、先ほど簀子ですれ違った殿上童の手の中にあったそれと同じだったのでございます。
 香姫さまは文箱を受け取られると何を思われたか、すっと蓋を開けてしまわれました。
 そして、その開けた文箱の中を確認されると、顔の色を失われてしまいました。
「え、ええ。そうです。わたくしも、それで……」
 気をとり戻しはじめた第一発見者の女房が、香姫さまの顔色をうかがいます。 
 そしてその頃、ようやく栞や雅、そしてその他の悲鳴をききつけた女房たちも、そこへ姿を現しはじめていました。
「香さん? その文箱は? どうなさったの?」
 志木が顔色を失っている香姫さまと女房に気づき、声をかけてきます。
「え? ええ、その……。この文箱の中は、見ない方がいいわ」
 香姫さまはそうおっしゃると、ぱこんとまた蓋を閉めてしまわれました。
「見ない方がいい……?」
 怪訝な顔で、その場に集まってきた女房たちは香姫さまを見ます。
 それに気づかれた香姫さまは、諦めたかのように大きくため息をもらし、そして重苦しそうに口を開かれました。
「――この文箱の中には、お文ではなく、呪詛人形が入っていたのよ」
 香姫さまのそのお言葉を聞いた瞬間、そこにいた女房たちから、信じられないと疑うような眼差しを向ける者や、恐怖し、その場に倒れそうになってしまう者が続出いたしました。
 女房によって反応はばらばらですが、どれもいい反応ではございません。
 香姫さまの持つ文箱の中には、人形(ひとがた)をした白い紙が一枚入っており、そこに『怨 東宮』と朱色の文字で書かれておりました。
 ……呪詛……とは言いがたいかもしれませんが、明らかに東宮に恨みを持っていることはわかります。
 そして、縁起の良いものではございません。
「それ……本当ですの?」
「ええ。この方のこの怯えようを見れば、一目瞭然でしょう?」
 香姫さまは冷たく言い放たれました。
 すると、御寝所は瞬時に沈黙につつまれ、誰かが息をのむ声がやけに大きく響きました。
 それは、単数ではなく、複数の息をのむ音――
 そして次の瞬間、天地がひっくり返ったような大騒動になってしまいました。
「だ、誰か! 早く僧都を呼んできて! 祈祷をしなくては! 陰陽師も呼ばなくては!!」
「帝にもお知らせしなくてはならないわ!」
「それよりも、警備の手を増やさなければ……!!」
 口々にそのようなことをわめき、右往左往しはじめました。
 そして、だっと飛び出そうとした女房を見つけ、香姫さまが怒鳴られます。
「お待ちなさい!!」
 香姫さまの怒声が響くと、またしんと静まり返り、女房たちは訝しげに香姫さまを見つめました。
「少し落ち着きなさい。……そして、騒ぎを大きくしては駄目よ。――東宮の御ためにも……」
 静かに香姫さまがそうおっしゃられると、女房たちは不服そうに、ぶつぶつと口々に不満をこぼしはじめました。
 癪に障ったのでしょう。新参者である香姫さまに指示されたことが。
 そして、その指示したことは、あながち間違ってはおらず……むしろ本来は、まさしくそのようにとりはからうのが、この場合筋で、東宮御所に仕えるよくできた女房でしょうから……。
 香姫さまの瞬時のその判断をおもしろくなく思うのは、至極当然でございましょう。
 ぶつぶつと不平をもらす女房たちに気づき、香姫さまは言葉をつけ加えようと口を開かれました。
「あのね……」
 そこまで言いかけた時です。香姫さまのお言葉を遮るかのように、女房たちに言葉が投げかけられました。
「香殿の言う通りです」
 女房たちは、その声の方へ一斉に振り向きました。
 すると、右手に持った扇で御簾を持ち上げて、葵瑛さまが姿を現されました。
「……!?」
 女房たちは、言葉にならない驚きを見せます。
 香姫さまはというと、ようやくきたかとでも言いたげに、おもしろくなさそうに、葵瑛さまをじと〜りとにらみつけておられます。
 それに気づかれた葵瑛さまは、香姫さまに愛想笑いを浮かべられました。
 そして、女房たちへ向き直られます。
「ことは東宮の進退にかかわること。東宮の御ためにも、これは内々に処理しなければならない。それは、この東宮御所に仕えるものとして、至極当然のことでしょう。何をそううろたえているのです。もっと落ち着きなさい」
 葵瑛さまは、香姫さまや陽楊さまとご一緒におられる時のような、人をからかうようなふざけたような態度でも表情でもなく、毅然とした、だけどその中に気品を漂わせる、そのようなそこにいる者たちを威圧するような雰囲気をかもし出しておられました。
 ですから、誰も葵瑛さまに逆らおうなどと思ったりする者はいません。
 宮中一の困ったちゃんと言われている葵瑛さまですが、それでもなおこの宮中にとどまれるのは、葵瑛さまのこのようなところがかわれて……認められてでございましょう。
 宮中一の困ったちゃんであると同時に、宮中一の切れ者とうたわれておられるのです。
御室(おむろ)に連絡し、人をこちらによこしてもらいなさい。そして、祈祷なさい。外の誰かに何かを聞かれても、東宮の幸を願って……でも何でもよいから、とにかく理由をつけて、うまく誤魔化しなさい」
 葵瑛さまが、静かにそうおっしゃられます。
 香姫さまはちらりと葵瑛さまを確認されると、無言で持っていた文箱を手渡されました。
 すると葵瑛さまは、その文箱を受け取ると同時に、香姫さまの手を取り、そのまま外へと連れ出してしまわれました。
 それを見ていた女房たちは、きょとんとお二人のお姿を見送っています。
 たしかに、香姫さまは、葵瑛さまのご紹介で東宮御所に上がった……ということになっていますが、何やらどこかあやしい雰囲気が……と、女房たちは、彼女たちにありがちな邪推をしているようでございます。
「やはり、あのお二人、そういう仲でしたのね……」
 そのように。


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update:03/06/19