悠久の風に吹かれて
(八)

「では、香子は、その殿上童が怪しいと?」
 ごとごとと揺れる牛車(ぎっしゃ)の中で、香姫さまに向かいあうように座る陽楊さまがおっしゃいました。
「ええ。だってそうでしょう? あの殿上童が持っていた文箱と、東宮の呪詛に使った文箱、まったく同じものだったのよ? ――たしかに、そのようなあからさまな、すぐにばれるようなことをするとは思えないけれど……」
 香姫さまはぶつぶつとつぶやき、難しそうなお顔をされています。
「そうだね。だけどここは素直に、その殿上童からあたっていってもよいかもしれないね?」
 陽楊さまのそのような、援護するような、同意するような発言を聞き、予想していなかったばかりに、香姫さまはかなり驚かれたご様子で、陽楊さまを目を見開き見つめられます。
 香姫さまは実は、ご自分のお考えを信じてはおられなかったのです。
 どこか詰めが甘い、ご自分でも釈然としないところに考えが及ばれたからです。
 しかし、そのお考えに陽楊さまが同意されてしまったので、驚かれてしまったのです。
「……否定……しないのね?」
「どうして? あなたは呪詛の犯人を見たかもしれない。そのようなあなたの言うことを信じなくてどうするのだい? それに、我々は同志でしょう? まずは味方を信じなくては」
 優しげに、だけどどこかうそ臭い微笑みを、香姫さまに向けられます。
 もちろん香姫さまも、そのような陽楊さまの態度を胡散臭く思われ、じとりとにらみつけるように見られます。
 信用して組んだはずなのに、どこか信用されていない陽楊さま。
 まったく、陽楊さまときたら……。
 まあしかし、葵瑛さまよりは、香姫さまの信用を得てはいるでしょうけれど?
「……あのね。わたしを葵瑛と同じように思わないでくれるかな?」
 どうやら、香姫さまのその視線の意図に、陽楊さまもお気づきになられたようでございます。
 葵瑛さまのお友達ということはすなわち、陽楊さまも同様に、一癖も二癖もある人物……と、香姫さまの中では方程式が成り立ってしまっていたのです。
「あ。そこでとめなさい」
 さめた眼差しで、じとりと陽楊さまを見続ける香姫さまをそのままにし、陽楊さまはいきなり物見(ものみ)から顔をだし、牛飼い童(うしかいわらわ)にそう言われました。
 すると、牛飼い童はこくんとうなずき、すぐさま牛車をとめます。
「陽楊さま? どうしたの? いきなり車をとめて……」
 香姫さまは首をかしげられます。
 先ほどまで、あれほど陽楊さまを疑わしそうに見られていたにもかかわらず、もう香姫さまの頭からは、疑うという考えが消えておりました。
 どうやら、いきなりのこのおかしな陽楊さまの行動の方に、興味がいってしまったようでございます。
「先日の雨で、もう花はほとんど散ってしまったけれど、まばらの桜……というものも風流でしょう? まずは気を落ち着けて、これからの対策を練ろう」
 そうおっしゃられ、道端の桜の木の下にとめた牛車から降り、陽楊さまは、南へ数歩、歩かれました。
「少し歩こう?」
 香姫さまは牛車の中から、不思議そうに陽楊さまを見ておられました。
 本当、おかしな人。普通公達って、このようにくだけてはいないでしょう?
 などと思われながら、香姫さまも牛車から降りようとしておられます。
 すると牛飼い童が、慌てて香姫さまに声をかけました。
「姫さま……! お待ちください。このような往来で、お姿をお見せになるなど……!」
 牛飼い童の言うことはもっともでございです。香姫さまや陽楊さまのそのお振る舞いがおかしいのです。
 殿方はいいとして、世の身分ある姫君が往来に出るなど、ましてやご自分の足で歩こうなどとは、一般の常識からはあり得ないでしょう。
 牛飼い童は知らなかったのです。
 陽楊さまから、香姫さまは葵瑛さま縁の女房で、本当はどこぞの姫君……だと吹き込まれていたのです。
 ですから、陽楊さまと葵瑛さまの前にお姿を現した、香姫さまの町娘姿は知らないのです。
 よって、このような発言に至る……というわけです。
 本来、姫君とは、お邸奥にこもり、ご自分の足で往来をお歩きになるなど考えられません。
 ましてや、そうやすやすと他人にお顔を見せるなど信じられないのです。
 しかし香姫さまは、扇越しに牛飼い童に微笑みを向けられ、
「いいのよ。わたくしも歩きたいから」
そうおっしゃって、そのまま牛車から降りられてしまいました。
 それを見ていた陽楊さまは、楽しげに香姫さまを見つめられます。
 牛飼い童は、自分の主と、その主の客人である香姫さまを、困った顔で見つめていました。
「さすがは香子だね。話がわかる」
「あのね、陽楊さま。普通の姫君は、決してこのようなことはしないのよ?」
 微笑む陽楊さまに、香姫さまがあきれながらおっしゃられました。
「だけど香子。あなたは本来、姫君ではないからね?」
 忘れていました。
 そうです。陽楊さまにはまだ、香姫さまは町娘と思わせたままなのです。
 香姫さまの正体はまだ言っておりません。
 ですから、陽楊さまもこのような気軽なお振る舞いをされてしまうのでしょう。
「そうよ。それのどこが悪いのかしら?」
 香姫さまも、それを今思い出したことを悟られまいと、必死に冷静を装い、そしてお得意の高飛車な台詞をおっしゃいます。
「あ〜あ。それにしても、東宮暗殺がとんだことになったわね。まさか呪詛まで持ち出してくるなんて……」
 ため息をつきながら、香姫さまはとぼとぼと朱雀大路を歩き出されます。
「……たしかに。まあしかし、暗殺計画を知ったその時から、いつかはこうなると思っていたけれどね?」
 困ったように、陽楊さまが香姫さまを見られます。
「いつかは……?」
「ああ。つまりは、この暗殺を企てる連中は、どうしても東宮に死んでもらいたいわけでしょう? ならば、呪詛がいちばん手っ取り早いじゃないか。……それに、証拠も残りにくいしね。――だけど、今回の呪詛騒動は、やけに杜撰すぎる。それが気にかかるが……」
 考え込むように、陽楊さまが立ち止まられました。
 それに合わせ、香姫さまも立ち止まられます。
 陽楊さまが、今回の呪詛騒動は杜撰すぎる……とおっしゃったことは、もっともなことでございましょう。
 何しろ、呪詛といえば、呪詛をしかける方もそれなりの覚悟……代償を伴うものでございますから。
 そのような危険な術を、このような荒々しい方法でするものでしょうか?
 ……やはりこれは、呪詛とは言いがたいかもしれません。
 わかりやすいように、簡単に呪詛≠ニいう言葉で片づけてしまっていますが、これは呪詛には及びません。
 今回のものはただ、お文に『怨 東宮』と書かれていただけで、ただたんに東宮を怨んでいる……という意思表示にすぎないのですから。
 本当に呪詛したいならば、力のある陰陽師でも使って、それとはわからないように一気にやっておしまいになるでしょう。
「――ねえ、やはり、この東宮暗殺の裏には、左大臣の姫の入内が関係しているのかしら……?」
 行きかう人々を切なそうに見つめ、香姫さまはそうこぼされました。
「香子……?」
 陽楊さまは驚かれ、香姫さまのお顔をしげしげとのぞき込まれます。
「だって……どうも合点がいかないのよ! どうして東宮は、よりにもよって左大臣の姫の入内を望んだの!? 東宮ともなれば、どのような姫君だってよりどりみどりじゃない……!」
 香姫さまはやりきれないといった苦しそうな表情で、言葉荒げに叫ばれます。
 すると、行きかう人々は、ぎょっと香姫さまを凝視していきます。
 今の香姫さまのお姿は、以前この朱雀大路を通った時とは違い、れっきとした貴族の姫君のお姿ですが、だからといってそうやすやすと左大臣の姫、ましてや東宮の中傷をしてもよいということになはりません。
 どこで、誰が聞いているとも知れないのですから……。
「――それは……恐らく、東宮にしかわからないと思うけれど……決して、何かを企む……などそのようなものではないと思うよ? ……純粋に、気に入ったのではないかな?」
 困ったように、陽楊さまが東宮の弁護をされます。
 しかし、当の香姫さまには、そのようなことは通じません。
「……ばっかみたい。一体、あのような姫のどこがいいというのよ!? 東宮ってば噂通り、とんでもない方なのかもしれないわね……!? どうして、どうして左大臣の姫君なの!? そのような人を東宮妃になんて望まなければ、今回のようにあの――」
 悲しげに、切なげにそこまで言葉を出されると、香姫さまは、陽楊さまにさっと抱き寄せられ、そして胸に顔を埋められてしまわれました。
「……いいから、少しお黙りなさい。東宮や左大臣の姫君の中傷まではまだよいとしても、その後の言葉を言ってはいけないよ。――国がひっくり返ってしまうかもしれないからね」
 そうおっしゃられた陽楊さまは、そのお言葉とは違い、とても優しげでございました。
 愛しそうに、香姫さまを抱きしめておられます。
 恐らく、陽楊さまにはわかっておられたのでしょう。
 「どうして、左大臣の姫君なんかのために、東宮がそのような苦しみにあわれなければならないの!?」という、香姫さまのお気持ちが。
 陽楊さまには、今目の前にいるその娘が、香姫さまご本人であるなどわかりもしないのに、そのような香姫さまのお姿を見て、何かを感じられたのかもしれません。
「ひ、陽楊さま!?」
 香姫さまはもがき、陽楊さまからはなれようとされます。
 しかし陽楊さまは、その腕に込める力を緩めようとはされません。
「あなたはいいひとだね。……わたしとは違い、本当に東宮のことを思い、今回の件の解決にのぞんでいるのだね……」
「陽楊……さま?」
 香姫さまは不思議そうに、陽楊さまの物言いたげな、どこか切なそうな、はかなげなお顔を見つめられます。
 それに気づかれ、陽楊さまは苦笑いを浮かべられました。
 陽楊さまは……一体、何をお考えなのでしょう?
 いえ、それよりも、陽楊さま、あなたはもしや、今回この件に手を出されたのは、面白そうだからとかそのようなことではなく――
「あっ!」
 顔を上げ、陽楊さまのお顔を見つめておられた香姫さまが、いきなり叫ばれました。
 そして、ぐいと陽楊さまの体を押しのけられます。
「こ、香子!?」
 いきなりの香姫さまのその行動に驚き、陽楊さまは慌てて体勢と感情を立て直されます。
「あの童よ! 例の文箱の童だわ……!!」
 そうおっしゃり、香姫さまはいきなり朱雀大路を南へ、羅城門(らじょうもん)の方へとかけて行かれます。
 陽楊さまも慌てて、香姫さまの後に続かれます。


「捕まえた!!」
 香子さまがそう叫び、例の童の腕をむんずとつかんだそこは、すでに京は南の端、羅城門でございました。
 羅城門もまた、鴨川の川原同様、死体捨て場となっていて、そしてその楼閣の中には、鬼が住んでいるとも言われております。
 もちろん、そのようなところですから、追い剥ぎや盗賊の輩も巣くっております。
 あまり治安の良いところとはいえません。
 そして、昼間でも不気味な雰囲気を漂わせており、人はここに近寄ろうとはいたしません。
「てこずらせてくれて! このようなところまで来ちゃったじゃない! どうしてくれるのよ!?」
 やはり香姫さま。どこか論点のずれたことを、ぶち切れて叫ばれます。
「香子。違うだろう。そうじゃなくて……」
 陽楊さまが、呆れ顔で、香姫さまと殿上童の間に割って入り、童の腕をつかむ香姫さまの手を放し、今度はご自分が童の腕をねじり上げられます。
 そうです。本題はそこではございません。このようなところまで、香姫さまに追いかけさせたのではなく――
「さあ。素直に言ってしまいなさい。君だね。東宮の御寝所に、螺鈿の文箱を置いたのは」
 陽楊さまが殿上童をにらみつけられます。
 しかし殿上童は、憎らしげに陽楊さまをにらみ返します。
 そして、はんと鼻で笑いました。
「何のこと? ぼくは知らないね。とにかく、この手を放してくれない!?」
 まったく、ふてぶてしい態度でございます。
 殿上童といえば、普通は身分ある貴族の若君が、元服前にお勉強のため宮中へ上がるものでしょうに。
 この童はどうも、身分ある貴族の若君にありがちな、気位の高い童のようでございます。
 陽楊さまは、ふ〜んというような顔つきで、涼しげに童の腕をねじり上げる手に力を込めていかれます。
 すると、当然のように、殿上童の顔が苦痛にゆがみます。
「ちょ、ちょっと待って、陽楊さま! あまり手荒なことは……」
 かわいそうに思われたのか、香姫さまが慌ててかばいに入られます。
「何を言っているのだい、香子。この童は、よりにもよって、東宮に呪詛をしかけようとしたのだよ!?」
「でも……」
 香姫さまは困ったようにぽつりとつぶやかれ、すっと陽楊さまから視線をはずされました。
「ちょ、ちょっと待ってよ! ぼくはそのようなことは知らないよ! 何なのだよ、その呪詛って!! ぼくはただ、頼まれて東宮の御寝所にあの文箱を置いただけだよ……!!」
 とうとう童が口を割りました。
 しかし、童の口から出た言葉は、陽楊さまたちが望んでおられたものとは、少し違ったようでございます。
「頼まれて……?」
「ああ。そうだよ。ぼくは、あの中に何が入っているかなんて知らなかったね! ただ頼まれただけ。……まあだけど、その頼んできた人物というのが誰なのかは、決して言えないけれどね? ――わかるでしょう? あなたにも」
 ふてぶてしくそう言って、ばっと陽楊さまの手を振り払います。
 陽楊さまも、そこまで聞いたので、あっさりと手を振り払わせてやりました。
 そして、殿上童は陽楊さまを一瞥し、香姫さまをまたしても物言いたげにじいっと見つめ、そしてそのまま、朱雀大路を北へと上っていきました。
 その後ろ姿を、香姫さまも陽楊さまも、ただ無言で見つめておられます。
「……いいの? 行っちゃうわよ?」
 殿上童の去って行った方向をじいと見つめながら、香姫さまが静かおっしゃいました。
 すると、陽楊さまも静かに答えられます。
「ああ。少しおよがせておこう」
「……」
 そうおっしゃられた陽楊さまの目は、どこか冷たいものをはらんでおりました。
 その目を、香姫さまは無言で見つめておられます。


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update:03/06/19