悠久の風に吹かれて
(十四)

「わたしは以前、あなたにお話ししましたね? わたしが、かの姫君に恋してしまった時のことを」
 女房たちは皆下がらせ、そしてそこには、香姫さま、陽楊さま、葵瑛さまの三人だけが残っておられます。
 葵瑛さまだけを几帳奥、燈台のもとに残され、香姫さまと陽楊さまは、簀子ぎりぎりまで出てきて、寄り添うように座しておられます。
 相変わらず雨はしとしとと降っており、月を隠したままでございます。
「ええ……。管弦の宴で訪れた、そこのお邸の姫君に恋をしたと……。――ああ、だから、お忍びだったのね。東宮が出歩いては、何かと不都合だものね」
 香姫さまは、雨にうたれる庭の桜の木を見つめておられます。
 陽楊さまは……いいえ、東宮でございますね。東宮は、香姫さまのその言葉をお聞きになり、複雑な表情を浮かべておられます。
 何か言いたいけれど、だけど言えない。そのような表情でございました。
「それはね、あの時も言ったけれど、一目ぼれだったのだよ。あの方のお姿を垣間見た瞬間、わたしはあの方を愛してしまっていた」
「……一目ぼれなんて、存在するの?」
 桜の木から視線を移し、香姫さまは、訴えるようにじっと東宮のお顔を見つめられます。
 ふいに、東宮が優しげに微笑まれました。
「わたしの場合はね? 実際に、そう思ったら、もう自分の気持ちが抑えられなくなったよ」
「……そっか。そうなのね……。うん、わかったわ……。東宮と陽楊さまの思い人は同一人物なのね。だから陽楊さまは、東宮には東宮のままでいてもらわなければならなかったのね」
 どこか、これまでの会話の流れとは異なることを言っておしまいになる香姫さま。
 今の香姫さまには、そうおっしゃることしかできませんでした。
 自分以外の誰かを思う方を思っても、不毛ですから。
 そしてそれは、他の誰でもない東宮……。
 これから、香姫さまがお仕えしなければならないお方。
 これからの香姫さまの人生は、終わったも同然でしょう。
 香姫さまの思う方と、これからお仕えする方が同じ方だとわかった矢先、その真実に気づかされてしまったのです。
 針のむしろでございます。
「そうだね」
 さらりと、東宮はそう答えられました。
 その答えをお聞きになり、香姫さまはかちんときて、瞳いっぱりに涙をため、訴えるようにきっと東宮をにらみつけられます。
 この辺りは、まだ陽楊さまが東宮であるとわかる前と、あまり変わってはおられません。
 いいえ、香姫さまは、陽楊さまその方が東宮だとわかってからも、態度はまったくかわってはおられません。
 ここが、香姫さまの香姫さまらしいところでございましょう。
「だからね、わたしはかの姫君を手に入れるために、東宮でいなければならないのだよ」
 東宮はくすっと笑われ、試すように香姫さまを見つめられます。
 もちろん、今の香姫さまのご様子から、香姫さまのお気持ちは一目瞭然。東宮にもわかっておられます。
 わかっていて、東宮はこのような意地悪を香姫さまにおっしゃるのです。
 香姫さまは、悲しげに視線を東宮からそらされました。
「……」
「香子。君は何か勘違いをしているようだね? わたしの思い人はね、かの姫君がいらっしゃるお邸はね、左の大臣のお邸なのだよ?」
 そのお言葉を聞かれた瞬間、香姫さまは目を白黒させ、まじまじと東宮を見つめられます。
「ひどいな。あれだけ手がかりを出していたのに、やはりあなたは気づいていなかったのだね?」
「だって……だって!!」
 香姫さまは訴えるように東宮をにらみつけられ、それから悔しそうに顔をそむけられます。
 そして、ぷうっと頬をふくらまされます。
「わたしは、左大臣に宴に呼ばれていた。だけど、表立ってはいけないから、忍んでね? 知っていた? あなたのお父上とわたしは、実はなかなかの仲なのだよ?」
「父様と……?」
「ああ」
 にこりと東宮は微笑まれます。
「だからね、わたしの東宮という立場と権力、そして左大臣との仲を利用して、左大臣に姫君の入内をもちかけた。もちろん、左大臣はすぐさま断ったけれどね? だってあなたは、有名だったから……」
 くすくすと楽しそうに笑い出されました。
 香姫さまは「ひど〜い!」とでも言いたげに、むっつりと東宮をにらみつけられます。
「だけどね、それでもわたしは、あなたを諦めきれなかった。……あなたの……あなたの噂は知っていたし、どのような姫君であるかも百も承知だった。だけど、それでも駄目なのだよ。わたしは、あなたでなければ……。あの日垣間見た、あなたでなければ……」
 熱く、強い眼差しで、にらみつける香姫さまを、東宮は見つめられます。
 すると、香姫さまのその目も次第にやわらぎ、じっと東宮を見つめ返されます。
「……本当……?」
 ぽつりとつぶやかれました。
 東宮は何もおっしゃらずうなずかれると、そっと香姫さまの肩を抱き寄せられます。
 香姫さまは、こつんと東宮の肩にもたれかかると、夜の闇にとける東宮御所のお庭をじっと眺め、ご自分に言い聞かせるようにおっしゃいます。
「わたしは、陽楊さまがいい。東宮なんて嫌。陽楊さまとじゃなきゃ、嫌なの……」
「……香子……?」
 東宮は、ご自分に寄り添う香姫さまを、愛しそうに見つめられます。


「はい。ラブシーンはそこまで。そろそろわたしの話も聞いてくれるかな?」
 じっと見つめ合う香姫さまと東宮の目の前に、にょろっと葵瑛さまのお顔が現れました。
「うわあ〜っ!!」
 もちろん、香姫さまも東宮もお顔を真っ赤にして、うろたえ取り乱されます。
 まったく、葵瑛さま……。よりにもよって、このような時に割って入らなくても……。
「ねえ? 謎解きをしよう」
 そして、そのようなことをおっしゃいます。
「……葵瑛。いい加減にしないか。お前はいつもいつも……」
 ぎろりと、東宮は恨めしそうに葵瑛さまをにらみつけられます。
 仕方がありませんね……。そりゃあ、今まさに、ずっと思いを寄せていた姫君をその腕に抱いているのですから、その幸福感、満足感といったら言葉では言いあらわせないほどでしょう。
 しかし、そこまであからさまに……。
 東宮ともあろうお立場の方が……。
 もとより、東宮のラブシーンを邪魔する葵瑛さまほど、はちゃめちゃな方はいらっしゃいませんでしょうけれど……?
「まあ、そう怒らない、陽楊。いわば、わたしはあなたの味方、恩人。感謝こそされ、恨まれる覚えはないよ?」
「恩人だと!?」
 ぎんと、東宮の目が不気味に輝きます。
 まったくもってその通りでございます。葵瑛さまの、一体どこが恩人なのでしょう?
 どう見ても、邪魔者でしかないように思うのですが……?
 どうやら東宮、先ほど葵瑛さまによいところ?を邪魔されて、相当根にもっておられるようでございます。
 そのようなお二人のやりとりをご覧になり、香姫さまは「あ〜あ」といったご様子で、もうすっかり興が冷めてしまわれているようでございます。
 だけど、その表情には、どこか柔らかな微笑みがありました。
「それで? 謎解きって何かしら?」
 香姫さまは、見下すように葵瑛さまを見られます。
 あくまで香姫さまは、今までたばかってきた葵瑛さまに対しては、冷たい態度をとるおつもりです。
「ああ、そうそう。謎解き謎解き」
 さっさと東宮をお捨てになり、楽しそうに香姫さまへ向き直り、そしてすとんと香姫さまの前に腰を下ろされました。
「陽楊に、あなたの入内の話云々辺りまでは聞いたね?」
「ええ。だけど、父様がお断りになったのでしょう?」
「ああ、そうだよ。だけどね、そのような楽しそうなこと、放ってはおけないでしょう?」
「へ……!?」
 香姫さまは、真剣にそう語る葵瑛さまの言葉を聞かれ、目が点になってしまわれました。
「だからね、わたしが強引にもっていったのだよ。陽楊とあなたの結婚の話を、帝に。帝のご決定とあらば、左大臣も逆らうことはできないからね〜。それに、陽楊が断るわけがないからね。陽楊は自分のためにしてくれていると思っていたようだし。単純だね。素直だね。ばっかだよね〜」
 そうおっしゃられ、香姫さまの横で、明らかに体を震わせ拳を握り締め、あと一言何か葵瑛さまが発すると、飛びかかってしまいそうな東宮を無視し、葵瑛さまは今回の真相を語りはじめられました。


 だって、じれったいじゃないか。
 陽楊はあなたのことが好きなのに、一度左大臣に断られたくらいで、その後は何も行動に移そうとしないのだよ?
 忘れられないのに。忘れられなくて、忘れられなくて、どうしようもないのにね?
 ……あれ? 陽楊。何をそんなに真っ赤になっているのだい?
 くすくす……。かわいいね〜。
 だから、わたしはあなたが好きなのだよ、陽楊。
 ――そうそう、脱線してはいけないね。続きだね。
 そこでね、わたしはこの計画を思いついたのだよ。
 おてんば姫と有名なあなたのことだ。きっかけさえ与えれば、絶対に何かをしでかすと思ってね、今回の東宮暗殺計画を思いついたのだよ。
 え? 一体どの辺りから計画されていたのかって?
 それはね……あなたが家出をした日、朱雀大路で貴族にぶつかったでしょう? あの時、すでにはじまっていたのだよ。
 あの貴族はね、わたしの部下でね、彼にあなたの(きぬ)に文をしのばせるようにさせたのだよ。
 そしてその後、童と男にあなたにぶつからせ、文が落ちるように仕向けた。
 え? どうしてあの時、あの場所にあなたがいるかわかったのかって?
 それはね、つけさせていたからだよ。
 気づかなかった? あれは、あなたの家の者だよ。あの童と男は。
 あの者たちに、随時あなたの行動を報告するように言いつけてあったのだよ。
 左大臣にも協力させたからね。もちろん、誠心誠意お願いしてだよ?
 わたしの頼みを聞かなければ……そう言うと、二つ返事で精力的に協力してくれたよ。
 だから、事は、楽しいくらいに順調に進んだよ。
 え? わたしが鬼だって? 心外だね〜。
 でもまあ、あなたもなかなかのものだよ。香姫殿。
 そうそう、それでだね、左大臣家の捜査網をもってすれば、今頃はもうあなたは邸へ連れ戻されていただろうけれど、左大臣も協力してくれているから、あなたは今でもこうしてここにいられるのだよ。
 あまりあなたの父上の力をみくびるものではないよ?
 左大臣は、この国では、我々皇族の次に力のある人間なのだから。
 あの石のついた文に、どうしてあのように書いたのかって?
 あはは! それは簡単だよ。
 あのように書けば、あなたは絶対に燃えると思ったからね。
 案の定、あなたは面白いくらいに暴走してくれた。
 ……まあ、あそこで梅若があなたに捕まってしまったのは、計算外だったけれどね?
 そして、わたしが協力していると思い込んでいた陽楊は、まんまとあの日あの時、鴨川へと行ってくれたというわけだ。
 その後、次第に疑わしくなるわたしに、陽楊はかなり戸惑っていたみたいだね。
 それも、見ていて、とても楽しかったよ。
 くすくす。そうだよ。知らなかった?
 あなたと陽楊の出会いは、仕組まれたものだったのだよ?

 これが、一連の葵瑛さまの告白でございます。


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update:03/06/23