落花流水の如く
(十一)

 一方、こちらは、東宮御所。
 予定の時刻になってもなかなかやって来られない香姫さまと葵瑛さまに待ちつかれて、陽楊さまは多少いらだっておられました。
 そわそわと、庇を行ったり来たりとされておられます。
 それはもちろん、東宮御所へ来る途中、危険なめにあっていないか?という不安と心配からでございます。
 そして、とうとう我慢しきれなくなり、ばっと簀子へお出ましになられたその時でございます。
 梅若が、血相を変えて駆け寄ってきました。
「東宮! 東宮、大変です! 宮様が……兵部卿宮が、嫌がる師匠をむりやり……!!」
 そこまで叫ぶと、わざとらしく言葉をとめました。
 この梅若。実はあの一件より、陽楊さまと葵瑛さまの文使いをしておりまして、最近ではすっかり東宮御所の人間にも顔を覚えられ、簡単に出入りできるようになっていたのでございます。
「何だと……!? それで、どうした!?」
 梅若のその言葉に胡散臭さも感じましたが、時が時でございます。
 そして、なかなかやって来られない香姫さまに待ちつかれ、多少いらだたれていた頃でもありました。
 ですから、陽楊さまは、冷静な判断を多少欠いていたのかもしれません。
「音羽の滝へ……音羽の滝へ連れて行かれてしまいました!! ――刺客から逃げるようにして!!」
 梅若は、ぜいぜいと息を切らせております。
 ところで、梅若は何故、そのことを知っているのでしょうか?
「刺客!? ――あいつ……!! どさくさにまぎれて、よくもぬけぬけと……!! あそこは、あいつが女性を落とすアイテムの一つだぞ!!」
 ええ〜!? アイテムの一つって……!?
 それでは何ですか? 葵瑛さまは、刺客をいいことに、まんまと香姫さまを音羽の滝へと誘ったということになるのでしょうか?
 あのような緊迫した中、よくもまあ……。
 しかし、相手はあの香姫さまですよ? 他の女性同様、そううまくいくものでございましょうか?
 ――それに今、お二人はたしか、それどころではない状況におかれているはずでございますし……。
 陽楊さまはそう叫ばれると、慌ててかけていかれました。
 そのような陽楊さまの後ろ姿を見送りながら、梅若は、あっかんべ〜と舌をだし、慌てる陽楊さまをふんと鼻で笑っております。
「香子と東宮の邪魔をする協力はすると言ったけれど、あなたの協力をするとは言っていないよ、宮様。おあいにくさまだね。悪く思わないでよ。――香子は……このぼくのものなのだからね」
 そうつぶやくと、梅若はにやりと不敵な笑みを浮かべました。
 それはさながら、葵瑛さまのそれのような……。
 ひょっとして、今回の一連のこの事件は……?
 ――まさか、そのようなことがあるはずがございませんよね。いくら何でも。まだこのような子供に……。
 しかし、それは、あの葵瑛さま縁の童。一筋縄ではいかないでしょう。
 ……まさか、これは香姫さま欲しさに梅若がたくらんだこと、などと……?
 そして、香姫さまを香子と……?
 普段、師匠師匠と言っているのは、それは香姫さまの気をひくための策略……?


「香子!!」
 葵瑛さまはそう叫び、がばっと躍り出ると、先ほど香姫さま目がけて飛びかかってきた刺客から守るように、ぐいっとご自分の方へとお引き寄せになられます。
 そして、それが功を奏したのか、無事香姫さまはお命をつなげることができました。
 しかし、まだ安心できないことはたしかでございます。
 香姫さまは、突然のその葵瑛さまの行動に驚かれ、じっと葵瑛さまを見つめられます。
 そして、そっと葵瑛さまの香姫さまをかばう腕に触れられました。
 すると香姫さまは、そこに違和感を覚えてしまわれます。
「葵瑛さま!? 大丈夫!!」
 慌てて葵瑛さまの体を引きはなすと、先ほど触れた腕をとり、まじまじと見られます。
 香姫さまは、蒼白なお顔をされております。
 見れば、葵瑛さまの束帯のお袖は切られ、もうそこにはなく、地面に無残に落ちておりました。
「……大丈夫ですよ。少し袖を切られただけです。――しかし、どうやら、そうとう厄介なことになってきてしまっているようですね? ……これでは、多勢に無勢。果たして、逃げ切れるかどうか……」
 苦渋の表情を浮かべられます。
 そして、また香姫さまをご自分へとお引き寄せになり、その袖を切られた腕で抱きしめられます。
 香姫さまは、何だかやりきれない気持ちになってしまわれました。
 葵瑛さま曰く、「ちょっと袖を切られただけ」ということですが、たしかにその腕からは血がにじみでてきております。
 かすめた……という程度の、ほんの浅い傷ではございますが、負傷していることにはかわりありません。
 葵瑛さまのその腕に、そっと触れられます。
「……ごめんなさい。葵瑛さま。命をかけて守ってくれているあなたを、疑うようなことを言って……」
 葵瑛さまは、香姫さまが何をおっしゃられているのか一瞬わからなかったようでございますが、すぐに、どうやらあの一条戻り橋でのことを言っているのだなと悟られ、困ったように微笑まれます。
「大丈夫。気にしてはおりませんよ。――何しろ、いつものことですからね?」
 そう香姫さまに優しくおっしゃると、葵瑛さまは目の前に群がる刺客を険しい顔でにらみつけられました。
 どうやら、あの葵瑛さまが思わずもらされたように、事態はそうとう厄介な方向へと移ってきているようでございます。
 このままでは、お二人とも……。
 そのような香姫さまと葵瑛さまを見て、刺客たちは得意げな嫌な笑みをもらすと、一斉に飛びかかってきました。
 今度こそ、今度こそ、おしまいです!!
 香姫さまは、ぎゅっと葵瑛さまの腕を握り締め、目を力いっぱいつむられます。
 葵瑛さまは、葵瑛さまには似合わない、ちっという舌打ちをし、ぎりりと太刀を握り締められました。
 そして、襲いくる刺客連中をきっとにらみつけられます。
 その瞬間、完全におしまいと思ったその瞬間、何やら聞き覚えのある声が香姫さまのお耳に飛び込んできて、そして大好きなあの香りが鼻をかすめました。
「香子、葵瑛! 二人とも無事か!?」
 香姫さまはその言葉を聞くと、ぱちっと目を開かれ、そしてがばっとお顔を上げられました。
 するとそこには、刺客の一人の腕をつかみ、ぎりぎりとねじ上げる陽楊さまがいらっしゃいました。
 どうして……どうして、ここに陽楊さまがいらっしゃるの? これは夢? 夢なのかしら……?と、香姫さまは呆然と陽楊さまを見つめられます。
 どうやら、梅若から、葵瑛さまに香姫さまが音羽の滝へと連れて行かれたと聞き、急いで陽楊さまもここ、音羽の滝へやってこられたようです。
 そして、いざ音羽の滝に来てみれば、予想していなかった不測の事態になっているではないですか。
 香姫さまと葵瑛さまが刺客に取りかこまれ、今にも殺されてしまいそうな勢いでございました。
「……ははは。よくやりましたよ、陽楊。さすがですね」
 あの葵瑛さまが額から一筋の冷や汗を流し、苦笑いを浮かべられます。
「馬鹿。そのようなことを言っていないで、さっさとこの連中を始末するぞ」
 陽楊さまはそうおっしゃると、つかんでいたその刺客の腕を引き寄せ、ずしっとみぞおちに拳を沈められました。
 その途端、刺客はう……っという苦しそうな声をもらし、その場に倒れこんでしまいました。
「――もとより。それよりも、陽楊。決して殺してはなりませんよ? 大事な証人なのですから」
 葵瑛さまはすっと香姫さまを引きはなすと、かちりと太刀をかまえられました。
 すると、先ほど陽楊さまが払った連中が体勢を立て直し、また陽楊さまと葵瑛さまめがけてとびかかってきました。
「そのようなことは、言われなくてもわかっているよ!」
 陽楊さまはそうおっしゃると、飛びかかってきた刺客の一人をすっとよけ、さっとその後ろへまわり込み、そのまま背に一発食らわせ、気絶させておしまいになりました。
 それを見た葵瑛さまも、おいしいところを陽楊さまにとられてなるものかと、刺客の一人のみぞおちに太刀の柄を食らわせ、気絶させてしまいました。
 そして、お二人は得意げに見つめ合われます。
 その時です。そのような陽楊さまと葵瑛さまのお耳に、よりにもよって香姫さまの悲鳴が飛び込んできました。
 香姫さまとて、本当に危険なめにあえば、そのようないたいけな姫君のような悲鳴を上げることもあるようでございます。
「きゃあっ!」
 お二人ははっとなり、がばっと香姫さまへ振り返られます。
 すると、刺客の一人が、ちょうど香姫さまへ駆け寄っているところでございました。
 瞬時に、陽楊さまと葵瑛さまのお顔から色が失われていきます。
 陽楊さまも葵瑛さまも、生きた心地がされませんでした。
 しかし、もうお仕舞いと思ったその時、切りつけようとした刺客のその太刀は、香姫さまの目の前で、ごとん、ぽとっと音を立て、地面に落ちてしまいました。
 それと同時に、刺客は痛そうに手をおさえておりました。
 香姫さまは、一体何が起こったのか……?と、ぽか〜んとその刺客を見られます。
 そして、ふいに足元へと視線を下ろされます。
 するとそこには、香姫さまの足元には、太刀と、その横に一つの扇が落ちておりました。
 どうやら、先ほどした、ごとん、ぽとっという音の、ぽとっの方の音は、この扇だったようでございます。
 そして、その扇をよく見てみると、それは、香姫さまが池に落ちたあの日に、葵瑛さまのお顔にめり込み、そして陽楊さまが袖にお仕舞いになられた、香姫さまのあの扇でございました。
「……くす。さすがは陽楊」
 それを見て、葵瑛さまは愉快そうに、香姫さまとその前で手をおさえる刺客へ歩みより、刺客に一撃を食らわし気絶させ、ゆっくりと落ちた扇を拾い上げられました。
 そして、その扇に軽く口づけられます。
 それを見て、香姫さまもまた、複雑そうな顔をして、くすりと笑われました。
 陽楊さまは面白くなさそうにむっとして、鋭い眼差しで葵瑛さまをにらみつけられます。
 どうやら、香姫さまに刺客が切りかかったその時、あわやというところで、陽楊さまが放たれた香姫さまの扇が見事刺客の手に命中し、そしてその痛みと驚きで、太刀を落としてしまったようでございます。
 とっさの陽楊さまの判断が、香姫さまのお命を救ったということになりましょう。
 これは、まさしく愛ですね。愛のなせる業ですねっ。
「では、最後の始末といくよ、葵瑛!」
 そのような苦笑いを浮かべられる香姫さまのご様子を確認すると、陽楊さまはそうおっしゃり、あまりの手際のよさにひるみはじめていた刺客たちへ向き直り、ぎろりとにらみつけられます。
 するとその時です。いきなり刺客の一人が泣き叫びました。
「宮様〜! もうよしましょうよ〜、このようなこと! わたしには、もうこれ以上はできませ〜ん! 東宮を……東宮を〜!!」
 その刺客の自供のような叫びを聞き、香姫さまと陽楊さまは目が点になってしまわれました。
 ぽか〜んと、刺客を見ておられます。
 この刺客の告白で、意外であるような意外でないような、その事実を悟ってしまわれたのでございます。
 やはり、今回もまた――
 そのような香姫さまの横では葵瑛さまが、おもしろくなさそうに、ふんとその刺客をにらみつけておられます。
「まったく、こらえ性のない人ですね。――せっかく、ここまでうまくいっていたというのに……」
 そして、楽しい遊びを途中で台無しにされてしまったと言わんばかりに、ふうと大きなため息をつかれました。
 ――と、ここまでくれば、もうおわかりですね?
 え? もうすでにこうなることは気づいていましたか?
 そうです。またしても、今回も、どうやらこの困った宮様、葵瑛さまの陰謀……お戯れだったようでございます……。
 まったくもう、人騒がせもたいがいになさいませ……?
 と呆れているのは、陽楊さまと、かわいそうにぼろぼろになった刺客たちだけでございます。
 香姫さまが、このような仕打ちをされて、黙っているはずがございません。
「ま〜た〜お〜ま〜え〜か〜! 結局、お前だったのかっ! このすっとこどっこい親王!!」
 そう叫ばれたのは、香姫さまではく陽楊さまでございました。
 香姫さまは、真っ赤な顔をして、ぶるぶると体全部を大きく震えさせておられます。
 そのような香姫さまのお姿を見て、何故だかほっと胸を撫で下ろされた葵瑛さまに、香姫さまの華麗なるとび蹴りが炸裂いたしました。
 そして、勢いあまって、ばしゃんと音を立て、滝つぼに倒れこんでしまわれました。
 冠がとれ、乱れたその御髪から、水滴がしたたり落ちております。
 葵瑛さまの、葵瑛さまにあってはならないその無様なお姿を見て、香姫さまと陽楊さまは、これまで散々なめにあってきただけに、思わずぷっと吹き出されてしまいました。
 陽楊さまは、ちゃっかりと、香姫さまの肩を抱かれております。
 そのような仲睦まじいお二人を、葵瑛さまは目をすわらせ、おもしろくなさそうに見つめられます。
 そのような情けないお姿でさえ、葵瑛さまときたら、妙に色っぽく、艶かしいのでございます。
 まさしく、今の葵瑛さまにぴったりな言葉は、これ。

 水も滴るいい男っ。

 ――で、ございます。


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update:03/08/18